084 アビーの誤解
「新曲っ! 凄く良かったよ! こんな間近で聴けるなんて!」
「こんな近くでアイドルの歌を聴けて嬉しいっす!」
ここまで余り酒も飲まず、大人しく我慢をしていたのは彼女にアプローチする為の一瞬を狙っていた……という事なのだろう。そう、褒めるという前向きな行為、後ろめたさの無い声掛けのできる、その一瞬を彼らは虎視眈々と狙っていたのだ。
まあ、その数少ない大切な瞬間は完璧に被ってしまったようだが……
互いにムッとした顔で見合う二人の様子に思わず笑ってしまう――
「准陸尉……君は橘の横に座ると良い……積もる話もあるだろう?」
「い、いえ……自分は結構です! 隊長の横は金田一等陸尉にお譲りします」
「一等陸尉である俺の好意を受け取れないと……?」
「きょ、今日は無礼講と聞いています」
「喧嘩は駄目ですよぉ?」
「「もちろんです!」」
その言葉とは裏腹、桃華の隣で押し合うような体勢のまま動かなくなった金田と三島……大人げなく肩をぶつけ合うようにし始めた二人に揃って呆れてしまう。
まあ、明らかに大人げないのは実際に大人である金田の方だが……
さて、このまま殴り合いの喧嘩になるなんて事は流石に無いと思う。だが、それでも見苦しい二人を放っておく訳にもいかないと俺が席を譲る事で仲裁する。
「金田……ここに座ってくれ」
「良いのかっ!?」
「ああ、良いとも……」
「ん? んんっ!? 橘さんっ!?」
「ん? ああ、二人とも君のファンらしい……少し話をしてやってくれ」
「そ、そうですか……そうですね……」
意外に礼節を弁えていると言うか、根っからのアイドル気質と言うか、他人からの好意を無碍には出来ない性格の桃華がやや引き攣った笑顔のままこちらを見てくる。まあ、明らかに私を置いて勝手に離れないでよと言わんばかりの顔である。
だが、そんな彼女を置いて俺は別の場所へと移動する。今回の懇談会の幹事として盛り上がっていない場所へ助っ人にいかなければならないと考えたからだ。
まあ、余りにグイグイとくる桃華から少し離れたかったという事もあるが……
何はともあれ、俺は一人の女性の元へと向かう。周りと話が全く噛み合っていないのか、先ほどから気が付くとフッと一人きりとなってしまう女性である――
さて、この寂しそうな表情を見せている彼女の名は『アビゲイル・プラド・ダグラス』……マイキーの妹であり、『AA-PE』の凄腕のパイロットでもある女性だ。
そんな明らかにシュンとした彼女の横に座り、出来る限り軽く声掛けをする。
「一人きりとは珍しいな……?」
マイキーやアカンドが居ないのは珍しいな……という意味での何気ない言葉のつもりだったのだが、この言葉は何やらアビーを深く傷つけてしまったようだ。
彼女の美しい碧眼と小さな口が驚きで一瞬だけ大きく開く。そして……どう考えても中々に聞き取りやすい日本語を喋り出したアビーが小さく首を振る。
「私……日本語、下手なまま……上手く喋れない」
ともあれ、その目が僅かに潤んでいく――
やはり、彼女も酔っているのだろうか……何時もよりも饒舌に喋り出す。
「皆、私と話すと……目が合うと何処かへ行ってしまう……日本に来てから、ずっと……皆、距離遠くなる。今もそう……男の人も女の人も……」
言葉に詰まりながらも、そう伝えてきたアビー……そんな彼女と遠巻きとなった周りの人々の様子を交互に見比べる。だが、こちらの会話に耳をそばだてていたのか、その周囲の数人が俺へ向けて『違う違う』と慌てたように手を振ってくる。
そのハミングバードのパイロットたちの慌てた様子……酒酔いとは違う、ほんのり何か高揚したような呆けた表情を見た俺は何となくに状況を察する。
「アビー、彼らは君を前にして照れてしまっただけではないだろうか……」
さて、見た目でどうこうは言いたくない――
だが、アビーは一般的に見てかなりのスタイル抜群の金髪碧眼の美女……であるそうだ。しかもマイキーと違い、何処かで日本の血筋が入ったのではと言わんばかりのマイルドな雰囲気を残した日本人受けしそうな美女……でもあるそうだ。
これらの情報は大崎からの受け売りだが……まあ、恋愛に関してはただでさえ、照れ屋、奥ゆかしくなる日本人にとって彼女は余りに刺激的すぎるという事だ。
この内容を俺は出来るだけ分かりやすく端的に彼女へと伝える。
「君の見た目もだが、その可愛らしい仕草に見惚れてしまったんだよ……初めて会った日の事を覚えてるか? 皆、あの時の俺とは別だが似たような状態って事だ」
初めて出会う異国の人間、そんな連中と共同訓練……俺は大いに戸惑い、英語どころかマトモに日本語すら喋る事が出来ずに彼女の前で黙り込んでしまったのだ。
あの時、照れくささで離れたくなるも訓練だけに離れる訳にもいかず……言葉が出ない代わりに彼女の仕草や表情をマジマジと眺めてしまった事を思い出す。
そして同じ瞬間を思い出してくれたのか、眼前のアビーに笑顔が戻る。だが……
「セイジ……アナタも見惚れていた?」
「んんっ!?」
明らかに誤解がありそうな彼女の言葉、その艶めいた表情に戸惑った俺は言葉を失くす。だが、この誤解は不味いと考えた俺の目の前でスマートフォンが震える。
そのモニターに表示された名前を確認した俺は思わず立ち上がる。
さて、俺は慌ててアビーに謝罪の言葉を発し、部屋の外へと飛び出す――
彼女の小さな誤解をそのままに場を離れた事に不安はあるが仕方がない。何せ、相手がここまでずっと大いに連絡を待ち望んでいた西島政務官だったのだ。
俺は何を置いてでもとばかりに早足で娯楽施設の外へと向かう。
だが……まあ、それら急ぎの対応は全て無駄だったようだ――
『俺も飲みに行くぞ』
今、何処に居るかを答え、アビーを置いたまま慌てて外へと飛び出し、例の件の答えを待った俺……ようやく送られてきた新しいメッセージを前に表情を失くす。
だが、そんな動けなくなった俺の耳に覚えのある声が掛けられる。
「お、なんだ……迎えに来てくれたのか、丁度良かったな」
角を曲がり、声と共に姿を現したのは、その西島康介であった――
「なんだ、その顔は……?」
突然の再開だが、無の表情となったまま、そんな俺に更に声が掛けられる。この彼の言葉でようやく気を取り直した俺は少しだけムッとしながらも答えを返す。
「顔は……気にしないでくれ……それよりも飲みたいだなんて珍しいな?」
そう、これは実に珍しい事なのだ。
仕事として飲む事が多い為か、俺と飲む機会は精々のところ年一回……いや、今回に限っては回数の問題では無いだろう。そう、この大変な時期に真面目で働き屋な彼が酒に逃避するかのような振る舞いを見せた事の方が問題なのだ。
そんな俺の不審な表情に気付いたのか、西島が演技がかった溜息を吐き出す。
「はぁ、俺だって……飲みたい時くらいあるんだ」
そう言いながら更に溜息を吐き出した彼の表情を改めて慎重に窺う。言葉だけを聞き取れば、酒の場でただ愚痴を言いたいだけと聞こえたが、その彼の表情は全くそう言ってないようなのだ。つまり、何か重要極まりない別件があるという事だ。
そうと分かった以上、俺も西島の演技がかった口調に合わせていく。
「そうか……政務官なんてやってればストレスも溜まるか……まあ、丁度良い。折角、こんな立派な施設もできたんだ。是非とも、お前も楽しんでくれ」
この言葉に満足したのか西島の顔に少しだけ笑顔が戻る。だがやはり、その目は死んだままのようだ。それを確認してしまった俺の気分は少しだけ沈んでいく。




