080 長期休暇
少し怪しいモノ見るような視線を維持しつつも普段通りに接する事――
これが我々の明らかに怪しい動きを見せる田沼たちへの対応であった。
彼女がマザー、ノア、リサ、我々をよく思わない別の上層部……どれに繋がっているのか、はたまた更に別の何かと繋がっているのか、それは分からない。だが、その全てに対して怪しんでいる。しかし、確信は持ってないと見せる策である。
まあ、策と言えば聞こえは良いが裏を返せば、幼馴染である西島康介から次の連絡があるまでは我々では全く打つ手なしという事でもある。
さて、この苦肉の策を講じてから実は一週間も経ってしまった訳だが――
結論から言うと、川越にいる間に全く問題は起こらなかった。
田沼が例の件を再確認してくる事もなかった。作戦後の軽い挨拶、その後の大崎を含めての雑談……その後も本当に何もなく、我々は向こうでの残党処理も無事に終え、今し方に復興著しいといった様相の朝霞駐屯地へと帰還したのである。
◇
東京方面軍・第二旅団『前澤 栄吉』一等陸佐への状況報告を終えた俺は少し早足にある場所へと急ぐ事となる。だが、誰よりも信頼・尊敬している前澤連隊長に『伝えられない事がある』と言うしかなかった俺の足取りはやや重いようだ。
「伝えれる事は伝えたが……気にするなとも言ってもらえたが……」
そんな珍しく凹んだ俺を他所に全て忘れたと言わんばかりのアリスの声が響く。
<やっと、お休みっ! 本当のお休みっ! 長期休暇よっ!>
まあ……正にアリスの言葉通りである。
急な長期休暇……我々が参加した『荒川・入間川防衛戦』に伴って行われた残党処理と索敵により、遥か遠くまで全く敵影が確認されなかった故であるそうだ。
しかも、戦力増強と拠点構築が優先され、我々『AA-PE』連隊は一部の防衛部隊を除き、ほぼ全ての機体がオーバーホールされる事となったのだ。順次ではあるが、ジェネレーターも取り外されて専門施設へと送られるという事になったのだ。
つまり、ほぼ確定で一週間ほどの休みができたのである。
我々はその長期休暇の第一弾……アリスが大いに浮かれる訳である――
さて、状況が状況だけに後方へ行く事は叶わなかったが、ここ朝霞駐屯地にも小さいながらに新しい複合娯楽施設が造られ、既に皆が楽しんでいるのだそうだ。
そう、我々も今、そこに向かっている……という訳だ。
「福利厚生の一環と聞いたが、複合娯楽施設……か……」
その情報をあらゆる所からたっぷり仕入れてきたアリスが嬉しそうに口を開く。
<色々な民間チェーン店が入ってるんだって! カラオケに漫画喫茶にファストフードにミニ映画館に劇場にスポーツ施設に小っちゃい公園まであるんだってっ!>
「それは凄いが……俺は部屋で静かに休みたかったよ」
だが、この目の下に隈まで出来た俺のボヤキはアリスには届かなかったようだ。
<凄いよね! 今はね、『AA-PE』乗りを応援しようって機運が高まってるんだって! 今までの反動なのかな? この前のイベントの所為かなぁ? あ! でね、その所為もあって大手のチェーン店が無償で提供したいって言ってきたんだって! 無償なのに競争になったんだって! だって広告効果、凄そうだもんね!>
本当に何処でそれらの情報を仕入れたのか……だってだってと俺も全く知らない、圧倒的に初耳な情報を信じられない勢いでアリスがペラペラと喋っていく。
<あっ! あっちにはね! 私のファンクラブもあるんだって! リサとノアとアスカのもあるけど、私のが一番なんだよ? 凄いよねっ! アイドルみたいだよね? あっ! あっちってのは街の方って事ねっ! あーあ! こっちでも私のグッズとか売ってくれないかなぁ……結構、売れると思うんだよね!>
「広告効果……ファンクラブ……何となく、西島の遣り口な気がするが……」
<な、何よっ! プロパガンダって言いたいの!? 全然、違うわっ! 私の純粋な魅力が皆に伝わった結果よっ! ふふん、間違いないわっ!>
ともあれ、彼女のテンションは限界突破したままのようだ。何処かで発散しなければ、このアリスの状態に終わりは来ないだろう……そう思える程の様相である。
まあ、その為に今、無理をしてでも、その複合娯楽施設に行く訳だが――
さて、もう完全に諦めきった俺、その目に明らかに場違いな扉が見えてくる。
「裏口が……あった所だったか?」
どうやら、格納庫、整備工場、出撃ブースを兼ねたエリアに隣接するように造られていたが、先ほどは急ぎ足で逆に向かった事もあり、何よりもネオンが点灯していなかった事もあり、この異常な煌びやかな入口に全く気付かなかったようだ。
俺は口が開いたまま、思わず立ち止まってしまう。
<綺麗っ! キラキラしてる! 私、ワクワクしてきたっ!>
「さっきからワクワクしたままじゃないか……しかしまあ、本当に何かの娯楽施設の入口といった所だな……こんなモノが基地にできる日が来るとはな……」
時代は変わっていくんだな……
そう、しみじみと想いながら手動のガラス扉を開いた俺……今度はアッという間に溢れるように流れ出したポップな音楽の波に飲み込まれていく。
これは最近の流行りの歌なのだろうか――
可愛らしい曲調に合わせて覚えのある甘い歌声が聞こえてくる。
<げっ!? これ……桃華の歌だわ……>
「通りで……」
さっきのテンションは何処へやら、今度はプリプリと不満の言葉を吐き始めたアリスを他所に俺は入口すぐの広々としたバーらしき所の端のソファへと腰掛ける。
バーテンダーらしき人物、その上のモニターに表示されているメニューへと視線を送る。だが、赤に黄色にピンク色、派手な色遣いに目がチカチカとしてしまう。
「部屋の色と我々の色が致命的に合わないじゃないか……」
そんな見慣れぬ景色に思わず視線を逸らしてしまった俺の目に今度は大きな窓が写り込む。どうやら、ここは出撃する『AA-PE』の見送りができるようになっているようだ。まあ、酷い雨風の所為で肝心の景色の方は全く見えないのだが……
「開放感があって良い感じだ……見送りがあるのも悪くはない。しかしなあ……」
俺はもう一度、チラリとバーデンダーらしき人物へと視線を送る。こちらの視線に気付いた彼女の小さな会釈に合わせて俺も思わず小さく笑顔を返す。だがやはり、ここからの出撃は酔っ払いに見送られるのかと少しばかり複雑な気分になる。
そんな何となく更に気持ちが萎えてしまった俺に対して今の今まで勝手気ままに喋りっぱであったアリスがまた勝手気ままな関係のない言葉を掛けてくる。
<私、こいつよりも上手く歌えるわっ! 聞いてみ……>
だが、彼女がそこまで口にした所で覚えのある声が被さるように聞こえてくる。
「何よっ! 貴女が歌ったら録音した曲を流すのと変わらないじゃないっ!」
<むっ!? 桃華の声っ!?>
本当に今し方に聞き及んだ声というか歌……その声がした方に振り返った俺の視線の先、先というにはやけに近い位置にいたのはアイドル・城山桃華であった。
「橘さんっ!」
<あっ!? 何すんのよっ!!>
俺の名を叫ぶと同時、背中越しに抱き着いてきた少女が嬉しそうに声を上げる。
「あの時の『君の為に……我々は必ず帰ってくる』って約束……あの約束はちゃんと覚えていたんですけど……待ちきれなくて来ちゃいましたっ!」
<ちょっと、誠二にくっつかないでよっ!!>
驚きで声も出せぬ俺の耳に畳み掛けるような桃華の続く言葉が聞こえてくる。
「この複合娯楽施設の話、マネから聞いたんですけど! 無償が条件だったんですけど! いの一番で立候補しちゃいましたっ! もちろん、貴方の為ですっ!」
<は、離れないさいよっ!>
「む、無償? その……事務所は? 平気なのか?」
「冗談で辞めてやるって言ったら喜んで許可してくれましたっ! あ、安心して下さい! 宣伝効果が大きいので大丈夫だろうとも言ってましたよ?」
<きぃぃぃ!>
前よりもずっとグイグイと来るようになった桃華……そんな彼女の良く通る声とアリスの怪鳥の悲鳴のような叫びが合わさり、そこら彼処に盛大に響く――
やはり、周囲に誤解を招きかねないから離れてくれという俺の言葉は全く間に合わなかったようだ。吹き抜けになっているバーという名の飲食スペース……その二階と三階部分からやけに聞き覚えのある叫ぶような揃いの声が聞こえてきたのだ。
「せ、セイジ、ズルいじゃないかっ!!」
「……っ!? も、桃華ちゃん!? 本物じゃないかっ!!」
一際デカい声は在日米軍所属の『マイケル・ヴィクトール・ダグラス』大尉、もう一人の鼻の下が伸びたような声は『金田 有康』一等陸尉である。
二人も長めの休暇を貰い、早速とばかり、ここにやってきたようだ。
ともあれ、二階からアッという間に飛び降りたマイキーと三階から全力で駆け降りてくる金田、二人の見苦しい姿に俺はただただ頭を抱える事となる――