008 人の消えた街
いつもと変わらぬ雨が天井を叩き、いつもと変わらぬ風が車体を揺する。軽装甲機動車LAVの旧型のEV機関がそれらへの小さな抵抗とばかりに僅かに唸る。
変わらぬ悪天候……我々はボロボロとなった街中を抜けて行く。
「田沼さん……どうなるんですかね? 失った手足の方は最新の『サイバネティクス義肢』になるらしいですけど……やっぱ、除隊ですかね?」
俺の身体の調子を慮って運転を買って出た大崎……そんな彼の小さな疑問の呟きが狭い車内に響く。そして俺は答えにならない答えを返す。
「顔すら見れなかったからな……何とも言えん……」
そう、残念な事に田沼二等陸尉は面会謝絶であったのだ。
我々は公園の側の病院の厚いガラス越しから彼女の顔だけを見て泣く泣く出発する事となったのだ。言い換えるとボロボロの『AA-PE』と違い、肉体にはさして傷が無かった俺たちは目覚めから一日も経たずに基地から追い出される事となったという訳である。先日、話題に出た『産業技術総合研究所』に向かう為だ。
僅かに聞こえるエンジン音と少しばかりのロードノイズ、それらを掻き消す様な激しい雨音が響く車内に又もや小さな溜息と少々の愚痴のようなモノが響き渡る。
「はぁ、本当に大丈夫なんですかね……? あ、自分が居た方がなんて言うつもりは無いですけど……今、前線を離れるのは流石に不安じゃないですか?」
「ほぉ? 休暇好きのお前からそんな言葉が出るとはな……まあ、それは兎も角……人手が減る訳だ……前線はかなり厳しい状況になるだろうな……」
ほとんど記憶の無い俺は前澤連隊長から聞いた話を思い出していく――
あの時、『インセクタム』の奇襲を受けた我々は壊滅的な被害を負った。
警備の為に周辺に展開していた十の小隊、その全てが足元から奇襲を受けた結果である。電気信号、機械音、人の気配……何を以て居場所を判断したのかは分からないが、全ての『インセクタム』が正確に我々の足元へと出てきたのだそうだ。
ともあれ、展開していた三十機の『AA-PE』と十機のホバーは全て大破、パイロットの死者は二十七人、ホバーの乗組員に至っては全滅となってしまう。
つまり、我々以外は全滅という事になる。
そして同様の奇襲を受けた本部も甚大な被害を負う事となる。乗り込む事すら出来なかった『AA-PE』三十機、ホバー十台、その全てが大破したのである。
だが、本部に関しては運良く死者の数は『それほど』でも無かったようだ。
これを幸いな事と言って良いのかは分からないが、不思議な事に人員150名の内の死者は二十名ほど……大半は軽傷で意識を失っただけで済んだのだそうだ。
(とは言っても田沼のように未だに意識を戻さぬ者も多いからな……)
何にせよ、紛う事なき大敗北を喫したという事に変わりはないはずであった――
だが、驚くべき事に我が旅団はここから引き分けと言える程に戦局を押し返す事に成功したのだ。もっと簡単に言うと我が旅団は朝霞駐屯地へと深く侵入した『インセクタム』の背後を強襲し、逆に全滅へと追い込んでしまったのである。
この逆転の立役者は連隊長『前澤 栄吉』一等陸佐……
奇襲を受けたという一報を受けた前澤連隊長はすぐに情報を集める。そして直近の間、周囲に交戦情報どころか目撃情報も無かった事に気付く。
朝霞駐屯地から続報が無い事も合わせ、『朝霞駐屯地』が『大規模な奇襲』にあったと判断した彼は大胆な作戦を立案し、すぐさま次の行動へと移る。
彼は近場の防衛ラインの部隊の全てを朝霞駐屯地へと回したのである。つまり、彼は近隣の全ての『インセクタム』が朝霞駐屯地へと集められたと判断したのだ。
これはただの無謀な賭けという訳では無かった。
そう、単純な話……『防衛ラインに敵が残っていて且つ朝霞駐屯地が連絡不能になる程の戦力に襲われた』となったのなら既に我々に勝ち目は無いとなるのだ。
あの瞬間、見る者が見れば既に背後を強襲するしか手は無かったという事だ。
(……とは言っても気付いたとして実行に移せるかはまた別の話だ)
何にせよ、この英断の所為で我々は完全なる敗北を回避したのである――
だが……
「やっぱ、前線は厳しいですか……」
「まあ、敵の発生方法が分かっていないからな何とも言えんが……今までの敵の戦力を考えれば五分……暫くは互いに戦力不足となっていて欲しいな」
どちらにしても前線から離れる我々の心配する事ではない。そんな俺の想いが伝わったのか、大崎が小さく溜息を吐き出して口を噤む。
だが、そんな静寂は長くは続かなかったようだ。
「防御壁……環七ですね……」
川越街道を通ってきた我々の前に地平の端まで続く壁が見えてくる。
これは環状七号線沿い『一級河川である荒川から西武新宿線・野方駅』まで伸びる高さ七メートルの防御壁……対インセクタムの最終防衛ラインであった場所だ。
ここを境に我々は無傷の都心部へと入っていく事となる。
「久しぶりに真っ当な世界へ帰ってきましたね」
防御壁の検問を抜けた我々の視線の先に見えてきた無傷のマンション群……その小綺麗な建造物を大崎が田舎から出てきたばかりの子供のように見上げる。
灰色の空に似合う無機質な建造物に俺も目をやる。
「真っ当……真っ当か……」
反射的に呟いてしまった俺の言葉に大崎が気付いたようだ。
「そういえば……もう、東京に人は居ないんでしたね」
そう……彼の言葉の通り、既に首都である東京に人は居ない。
正確には住んでいる一般市民は居ないという事になる。ここから先は軍事拠点となっている幾つかの場所にしか、正しく人は居ないのである。
雨と風の音しか聞こえてこない奇妙な空間をLAVが走り抜けていく――
「しかし……本当に誰も居ないんですね……」
他の車両の姿も無い、当然のように歩く人の姿も無い。異世界にでも来たのかと疑ってしまうような異様な光景に流石の大崎も面食らってしまったようだ。
「自分が東京に配属された一年前は……まだ人が居たんですけどね」
そう……彼の言う通り、一年前にはまだ僅かに人が居たのだ。その大半は国の機関の関係者ではあったが、その頃は辛うじて人の営みが見えていたのだ。
だが、今は違う。完全な無人となっているだけでなく、主要な道路など以外は整備もされていないのだ。アスファルトの隙間から草木が生え、至る所に苔が育っているのだ。大袈裟に言えば、自然に還りかけているといった所なのである。
何時か……元の暮らしに戻る事が出来るのだろうか――
そんな事を考える俺の前に次の検問が見えてくる。我々はここ北池袋のICから首都高速に乗り、霞が関にある『産業技術総合研究所』を目指すのである。
◇
未だに一部が正しく機能していると言われている『国会議事堂』……その僅かしか見えぬ立派な建造物を横目に『産業技術総合研究所・東京本部』へと向かう。
古いビル群……様々な省庁のビルが数多く立ち並ぶ通りを抜けて行く。
「あれ? ここも人が……全然、居ないですね?」
「ああ……今、それぞれの省庁は地下で結ばれているからな……車両用のモノもほぼ完成したと聞くし、わざわざ暴風の中を外に出る物好きは居ないだろうな」
田舎からやってきた『お上りさん』のようになった大崎に更に声を掛ける。
「そういえば地下鉄も再整備が進んでいるらしいぞ……後、前を見ろ」
「じゃあ、我々が次に来るときは地下鉄ですかね?」
「分からん……我々の敗戦の所為で予算と物資が回らなくなるかもしれんな……と言うか、ちゃんと前を見て運転してくれ!」
僅かな雑談を終えた我々の前に特筆すべき点も無い茶色の建物が見えてくる。
「そういえば……テストパイロットって話ですよね? 普通のビルに見えるんですけど……我々は何処でテストするんですかね?」
この大崎の疑問に答えを出せないまま、我々は駐車場へと吸い込まれていく――