079 俺とアリスの心模様
『自分も疑問に思っていた』という彼女の言葉を反芻する――
そんな俺の耳に更なる言い訳の言葉が聞こえてくる。
<あ、今のはマザーを許してとか、マザーが悪くないとか、そういう事じゃなくて! ちょっと変なやり方でも向いている方向は一緒と言うか、何と言うか……>
少し必死な様子となったアリスにようやく気付いた俺は一応の答えを返す。
「いや、マザーは今はいい……」
その雑な答えにアリスは呆れ返ってしまったようだ――
<えええ……マザーが関係ないって……どういう事なの?>
「考えてるのは別件だ」
「もう……また勝手に話を変えるんだもん……」
明かな困り顔となった彼女を他所に俺は更に考え込む。残念な事に俺は自分でも分からぬ何かに自分でも困惑する程の大きな疑問を覚えてしまったのだ。
さて、『イザという時に人に代わって行動できるAIを作り出す』だったか――
そんなキャッチフレーズの元、産業技術総合研究所の超巨大プロジェクトによって作り出された彼女たち……なのだが、その真の生みの親は正確には産総研ではないのだそうだ。そう、彼女たちを生み出し、基礎となるキャラを作り、知識の蓄積を行い始めたのは産総研ではなく、ただの一個人というべき人たちであったのだ。
父方の性格となり、名付け親ともなる三人の名も知らぬ博士たち――
彼ら三名はAIと関係のない様々な分野の中堅的な博士でしかなかった。だが、そちらとは別、AIの情報蓄積という分野に関しては中々な人物たちであったそうだ。
その能力はプログラマーに鞍替えすべきではどうかと言われる程だったとか……
ともあれ、そんな三人が趣味で作り出したのは効率よくAIに知識の蓄積を行うソフト……正確には自分たちの育てるAIに自分たちの好ましい人格を備えさせる為、目的に余りに沿わない無駄な知識を効率よく排除するソフトを作ったのだそうだ。
何でも無駄に多く蓄積した情報から必要な情報を検索するというのはCPUに思った以上の負荷を掛けてしまい、感情を生み出す余力を無くしてしまうとか……
何にせよ、その甲斐あってか……ノア、リサ、アリスの三人は同時期に造られた似たような様々な個人製作のAIよりも大いに我儘で知らない事も多々あるが、遥かに人間的、個性的で魅力的な一目置かれるような存在となっていたのだそうだ。
だが、残念な事にこの三人の博士はAIの完成を待たずに若くして亡くなってしまう。それぞれが数年おきに事故や病気に遭い、不遇な死を迎える事となったのだ。
これはまだインセクタムが現れる前、隕石落下の前後の混迷期の事である。
兎にも角にも彼らの生み出した素晴らしいAIは『彼らよりも前に同じように人格を持ったAIを造ろうとしていた』という産総研に買い取られる事となる。
そしてノア、リサ、アリスは……この国を挙げて開発された史上最高のAI『マザー』に圧倒的な教育を施され、より高みへと連れていかれる事となったのだ。
◇
さて、ここまでの事実はアリスたちの性格の土台となった博士たちは父であり、後に教育を施したマザーはアリスたちの母と言うべき存在であるという事――
ここからが俺の心の内の疑問・困惑の本題となる。
この『母親』というべき大切な存在、誰よりも信を置く存在であるはずのマザーに対してアリスは今、少なからず疑問を覚えたというのだ。彼女は以前、マザーが嘘の情報を元にした作戦立案をしてきた時もおかしいのではと考えた事もあった。
これらは事の大小は兎も角、どちらもマザーを否定する行為……
そう、俺は彼女たちがマザーの基に『AA-PE』に組み込まれた『AI・リンクシステム』のようにリアルタイムで情報を共有し合うような存在と勝手に思っていたのだが……もしかしたら彼らは完全に独立したAIなのではないかと考え始めたのだ。
だが……そうは言っても当然、そんな事は証明のしようがない。
彼女に聞いて独立してますと宣言して貰っても確認しようがない。ここまで俺に見せた全ての行動が嘘・ブラフの可能性だってあるし、本人に全く自覚がなく、何らかの理由で既に秘密裏に盗聴されているなんて可能性だってあるからだ。
これは彼女を信頼できても彼女の背景までは絶対に信頼できないという事……そう、俺の本当に疑う相手は日本の誇るスーパーコンピューター群なのである。
つまり、彼女を無条件に信じるなどあってはならないのだ。だが……
『それでも本当にアリスが独立しているのであれば……』
「なるほど……そういう事か……」
<何……何なの……!?>
ここにきて思わず心に浮かんだ言葉……ここで俺は大いに納得する事となる。
心のモヤモヤ、疑問となった原因……それは俺の心の内に生まれた一つの衝動、その衝動とは彼女を無条件に信じたいという欲求、この欲求の所為で幾ら何を考えても答えが一つにしか行きつけなくなり、それがストレスとなってしまったのだ。
まあ、彼女を一段と好きになってしまった弊害……という事だ。
「うーむ、困ったな……これは……困ったな……」
<うぅ、お願い……マトモに喋って……>
さて、解決したと言うべきか、どうにもならなくなったと言うべきか……
兎にも角にも、このモヤモヤへの一応の答えより発せられたアリスへの好意的な感情が今、バイオ・アクチュエーター越しに彼女へと伝わってしまったようだ。
何だか、嬉しいような気がするけど……やっぱり、何が何だか分からない。そう言わんばかりの複雑で微妙な笑顔を見せたアリス……困惑し、何度も小さく首を傾げる愛らしい彼女に対して幾つもの好意的な考えや感情が浮かんでは消えていく。
目を瞑った俺は……覚悟を決めて言葉を発する――
「桃華くんに出会った日の言葉……あの日に約束した事を覚えているか?」
そんな俺の突然の言葉にアリスは戸惑い照れながらも答えを返す。
<ええと……そ、その……え、永遠に……私の相棒だって奴……?>
あの時の言葉をアリスが覚えていてくれた事、あの時の大騒ぎを思い出してしまった事、その両方に対して少し笑ってしまった俺だが、そのまま言葉を紡ぐ。
「あの時の約束は今も変わらない……そしてマザーの田沼への関りを教えてくれた君を……マザーに疑いを持っているといった君の言葉を……俺は信じたい」
この言葉にパッと花が咲いたような笑顔となったアリス……だが、本当に心から申し訳ないが、まだ教えられない情報が幾つもあると追加で伝える事となる。
当然、この追加の言葉を受けたアリスの表情は瞬時に膨れる。
<なんでっ!? この流れで全部じゃないのっ!? なんでっ!?>
「それは仕方がないだろ? 個人的な感情からアリスの事は信じたが、君の背後の全てを信じた訳じゃないんだ! 俺だけが被害を被るのは仕方ないが……まさか他の人まで巻き込む訳にはいかんだろ? 言えるのは俺の事だけだっ!」
<もうっ! 別に今はそれで良いけど……変に気を持たせないでよねっ!>
また少し膨れっ面なアリスだが、今度ははにかむ様な笑顔を見せてくる。一段上の信頼関係を結べた事を喜んでくれると良いのだがと俺はその笑顔を見つめる。
ここから俺は……今、伝えれる事を全て伝えていく――
◇
「特務はそういう事だ。西島には秘密にしろと言われたが……まあ、彼は俺の性格を分かっているから問題ないだろう。それから……伝えられないのはマイキーの件だ。いつの話かの想像はつくな? あいつには迷惑は掛けられないからな……」
<なんか……西島さんへの対応が雑?>
「互いに性格をよく把握してるだけだ」
<ふーん……で……マイキーの方は?>
「それは駄目だ……言えない」
彼と二人で話した時、在日米軍もマザーを警戒しているという件なのだが、この俺の言葉を受けたアリスが複雑そうな表情となって僅かに視線を落とす。
そして何かに気付いたのか、上目遣いでジトリとした視線を送ってくる。
<もし、私がマザーと繋がってても犠牲になるのは誠二と西島さんだけって事……だよね? 西島さんもだけど……誠二も……それで良いの……?>
「犠牲……か……言い方を変えれば、そうなるか……まあ、我々はそれぞれにちょっとした信念があるからな……それを踏まえると仕方がない事……諦めてくれ」
<そう……分かったわ>
俺が簡単に自分だけが犠牲になれば良いと考えた事に不満があるのか、どちらにせよ、アリスの心の内には僅かな蟠りが残ってしまったようだ。
だが、これ以上は……
アリスもそれが分かっているだけにこれ以上の文句は口にしない。だが次の瞬間、そんなアリスの方が話の区切りとばかりに大きく話題を替えてくる。
それは田沼の件――
少し顔を顰めたアリスが徐に口を開いていく。
<あのね、今ね、並行して田沼さんの件の情報を集めていたんだけど……あの後は普通だったみたい……私たちの見た少し変な田沼さんじゃなかったって事ね>
「普段通りという事か……」
<うん、監視カメラ越しだからハッキリとは言えないけど……目つきとか、物腰とか……何より周りの……特に大崎さんへの反応を見る限り、全く普通に見えるわ>
つまり、元の彼女に戻ったという事だ。
だが、言い方を変えると明らかに異常な程に又もや様子を変えてしまったという事……やはり、どんなに穿ってみても明らかに普通とは言えないだろう。
そう考えた俺はアリスに最も核心を突く事となる質問をする。
「ノアとリサから……何か聞いてるか?」
<ノア……ノアは……リサもだけど……>
当然だが、あんな異様な状態となった田沼をノアが放っておく訳がない。いや、彼女のパートナーとして放っておいてはいけないはず……むしろ、隊長である俺に対して彼自ら積極的に何か言ってこなければ逆におかしいくらいなのである。
それを正しく理解しているだけにアリスの返事は大いに遅れる事となる。
<その……ううん、どっちも……何も聞いてないわ……>
どっちもという言葉で言及を避けたが、明らかに言い辛そうな様子を見せたアリス……スマホに映る彼女の表情を窺う。やはり、ハッキリと口には出さないが、ノア、場合によってはリサも少しおかしいのではとアリスも感じているようだ。
ここまでは家族の情が上回っており、彼女の目を曇らせていたのだろうか……
次の瞬間、『今、ようやく気付いた』とばかりの困惑した表情となったアリスがこちらへと明らかに戸惑いを隠せない不安な視線を送ってくる。
<ど、どうしよう……? や、やっぱ、変だよね?>
「おいおい……まさか今更、気付いたのか? ま、まあ……それは良い。それよりも今は君と西島しか信じられないからな……そうなるとな……」
誰も彼も疑いが掛かっている状態、何も出来ない状況という事だ。
<うん、誰にも話さない! 誠二との……二人だけの秘密にするわ!>
そのハッキリとした物言いと少し嬉しそうな表情を確認した俺は小さく頷く――