077 ピンポイント通信
明らかに様子が普通ではなかった田沼恵子……そんな彼女から逃げるように緊急で出撃する事となった俺だが、流石に少しばかり急ぎ過ぎたと後悔する――
久方ぶりに搭乗した『エルザ搭載機』、自分に合わせた設定も程々に出撃してしまった為、今になって何度も質問と確認を繰り返される事となってしまったのだ。
いつもより酷く感じる機体の振動の中、又もやエルザの冷めたい声が響く。
<機体の稼動開始から一時間が経過しました。周囲の敵影はありません。一時的に機体を停止し、機体稼動のテスト・装備等の再確認を願います>
機体のエンジンを立ち上げてからは確かに一時間だが、本部基地を出撃してからは僅か五分……まあ、機体の稼動確認の大半をスキップして出撃してしまった俺が悪いのだが、相も変わらないエルザの気の利かなさに少しだけ気持ちが萎える。
「移動しながら確認しろ……って君は出来ないんだったな……まあ、良い。エルザ、到着時間を優先する。機体稼動テスト・装備等の再確認は改めてスキップだ」
<了解、機体稼動テスト・装備等の再確認を十分後に設定します>
これには俺も思わず苦笑してしまう。
「十分後……君も改良型だ……もっと柔軟にできないか? 今は単独行動だぞ?」
<戦闘稼動中であれば後に回す事も可能です>
「そうか……意外に柔軟だな……」
少し面倒くさい……その懐かしい感覚に俺は改めて全てを忘れて苦笑いする。
「ふふ、アリスの素晴らしさを再確認する良い機会と取るしかないな……」
◇
さて、今回の目的地は『本部のある上江橋と繋がる東京環状道路を川崎市街地の方向へと進み、富士見川越バイパスと交差する場所』にあるそうだ。
そこにある背の高い建造物の屋上に登れと指示されたのである。
「場所的には既に制圧済みのはずのエリアだが……この人手不足……心配だ」
思わず愚痴ったが、ここにも取り零しがいる可能性は十分にあるという事だ。
ましてや俺は激戦を潜り抜けた上に休む間もなし、集中力は激減状態……その上、頼れるアリスもいないといった余り宜しくない状況なのだ。
安全が確保されているはずだからと警戒を怠る事はできないという事である。
古い田畑、後は爆撃痕だけ、そんな何もない寂れた国道を更に西へと向かう――
「ここからはレーダー、無線、巡回、その全ての範囲外……か……むっ!?」
ただ、ひたすらに無言で突き進んだ俺の目に今度は目的の一際、背の高い建造物の姿が見えてくる。だが、その信じられない姿に俺は大きく息を飲む事となる。
「あれか? 遠目には脆そうに見えるが……気の所為……ではないな……」
少し弱まった風雨の先に僅かに見えたのは近隣に似合わぬ背の高い建造物……周囲は平屋か二階建ての中、この建造物は十階建てくらいはあるようだ。
その明らかに細い鉄骨を使った貧相な建造物が近づいてくる――
「ううむ、ラブホテルという奴か……」
アリスを連れて来なくて良かった。まあ、知っているのかどうかは分からんが……そう考えた俺の視界に遂にその建造物の全容が飛び込んでくる。
そして……まだ見えていなかった建物の半分が崩れかかっている様子も……
「これは……鉄骨が見えてるが……いや、これは平気なのかっ!?」
強烈な風を受け、剥がれ掛かったパネルが大きく揺さぶられ、まるで鉄骨まで揺れているように錯覚してしまった俺の愚痴が思ったよりも大きく響く。
<平気ではありません。土台部分に大きな亀裂が見られます。数か月以内に高い確率で崩れるでしょう。もし、我々が刺激を与えたら今、この場で崩れるでしょう>
聞いたつもりは無いのだが、エルザが的確に勝手に聞きたくもない情報を返してくる。そんな彼女の素晴らしい回答に眉を顰めた俺は少しばかり考え込む。
作戦予定を修正できないかと考えたのだ。だが……
「急ぎで来た所為もあって時間は余裕……だが、別の高層建築物を探しても無駄か……時間と向きまで指定という事は高出力のレーザー通信だろうからな」
そう、『座標、時間、位置』まで指定されたという事は遠くからのピンポイント通信……それ程までに通信の傍受を恐れたという事でもある。
「アイツは建物が脆い事も知ってるはず……崩れかけであろうとなかろうと『AA-PE』が載れる構造ではないという事も……それでもここを使えという事は……」
つまり間違いなく、作戦予定の修正など出来ないという事だ。
ともあれ、幼馴染である西島康介が現職の防衛大臣・大森茂の力を借り、俺の危険も承知の上で秘密裏に伝えようとする情報に少し寒気を覚えてしまう。
「旅団長クラスにすら秘密裏にする情報か……一体、何を伝えられるのか……」
だが、今はそれらを考えている時では無いだろう――
いつも通り、すぐにそう考えた俺は機体を止めて周囲をゆっくりと見渡す。遠くにちらほらと見える幾つかの高層建築物へと目をやったのだ。
「東に近すぎると本部に……これ以上、西に進むと川越市街の部隊に通信を拾われる可能性があるという事か……本当にここしか無かったという事だな……」
更に順に他の建造物へと目をやる。
崩れた大型家電店に同じく崩れたパチンコ店、そしてバイパスの陸橋……その見た目には無事なバイパスの陸橋の強度を目視で確認した俺は行動予定を立てる。
「さてと……機体の重さ、ブースターの噴射圧……どちらにせよ、この建物が崩れるのは間違いないが……この陸橋で高さを稼いで屋上までジャンプ、通信完了までの時間も考えるとブースターを使っての一時的なホバリングしかないか……」
だが、上空に吹き荒れる風の強さを考えると……
アリスが居れば……彼女の素晴らしさを再認識してしまう――
◇
さて、陸橋の上で周囲を警戒しながら……忙しなく動きながら時を待つ。
だが、先ほどから汗は出てこない――
改良型になって冷却システムの性能が上がったから……ではないだろう。極度の疲労もあり、俺の緊張が遂に限界を超えてしまったのだと思う。
この決して宜しくない状況に俺は誰も聞かずとも思った事を言葉にしてしまう。
「幸いな事に……特に問題は起こらず……か……」
何はともあれ、自分の強めの悪運・不運を考えると何か起こってもおかしくはない。そう思っていただけに少しばかり拍子抜けしてしまう。
だが、そもそも眼前の崩れかけている建物の存在自体が悪運・不運の塊のようであった事を思い出し、すぐに少し必死になって緊張感を高めていく。
そう……遂に作戦開始の時刻となったのだ――
「エルザ、メインノズル角度調整、ランドセル一番から四番ノズル全開噴射!」
<了解です>
アリスに指示を出すが如く、思わず口に出してしまった俺の高らかな指示に合わせ、エルザがメインノズルを絞り、同時に下方へと素早く角度が修正する。
次の瞬間、物凄い轟音と共に推力がグングンと高まっていく。
「腰部ノズル、脚部ノズル、全て下方へ向けて全開噴射っ!」
<了解です>
同時に俺は膝を曲げて溜めこんでいた力を一気に解放する。頑強さを残していた陸橋の脚、その真上となる部分を勢いよく蹴りつけるようにして飛び上がる。
打ち上げられた瞬間のロケットのように機体がジリジリと上へと加速していく。
装備はブレードとアクティブカノンのみ、余計な装備なしとはいえ、重量級の機体が思った以上の速度で順調に上昇していく様子に俺は大いに満足する。
だが、問題はここからだ――
俺は脳内から素早く一気に指示を出す。
次の瞬間、腰部・両サイドの一番二番ノズルが機体後方斜め下へと噴射され、合わせてメインノズルの噴射口が完全な下方から後方斜めと調整されてく。
バランスが維持されたまま、前方斜め上へとジリジリと機体が移動していく。
「メインノズル下方で固定、推力の調整開始っ! ホバー移動用・脚部スカート内部一番から八番までの全てのノズルも下方で固定、こちらは全開で噴射だっ!」
<了解、腰部・盾部を使い、方向転換を開始します>
思った以上の連携力を発揮し、スムーズに機体が目的地点へと辿り着く。
「よし、良いぞ……」
だが、やはり噴射炎の強烈な勢いが天井にあった塵芥を巻き上げる。そして……その巻き上げられた内の一部はやはり天井の一部でもあったようだ。
<着地点が消失しました>
だが、俺は冷たいエルザの声を気にもせず、機体のコントロールに集中する。脳内に映るように感じられるノズル一個一個を少しずつ細かく調整していく。
アリスであれば完全に安心して任せている所だ。だが改良型とはいえ、まだまだ大雑把なエルザには任せっきりとはいかないのである。
狭いポイントを繰り返し、小さく往復し、そのまま通信を待つ――
「ううむ……これは……思った以上に……そもそも『AA-PE』は……こんな使い方を想定……していないんだ……もっと大雑把な機体なんだ……康介……恨むぞ」
だが、集中のし過ぎで頭が痛くなった次の瞬間、又もやエルザの声が響く。
<データ受信……サイズ確認、五、四、三、二、一、終了です>
幸いな事にデータは大規模のモノではなかったようだ。
心からホッとした俺はすぐに機体を下降させていく――