075 特別任務
驚異的な戦果――
撤退を開始した我々の眼前、二十メートル先に雨霰のように降り注いだ支援砲撃の様子を思い出す。ともあれ、この一撃によって一匹の超巨大なインセクタムの如く、一ヵ所に纏まり切ってしまった奴らは致命的な大打撃を受ける事となった。
蟻の這い出る隙間もない程に纏まり切ったところに数百を超える砲撃の直撃を受けたのである。一瞬で数千というインセクタムを撃破したのである。
だがまあ、これは数字は素晴らしいが予想通り当然の結果と言える。
そう……驚異的な戦果とはこの事ではない――
驚異的な戦果とは我々、『赤城中隊の戦果』の事である。
突如、強襲される事となった『AA-PE』十機とホバー三機、レーダー車両二機、これだけの戦力でシックル三百体、アント百体以上を軽く撃破したのである。
こちらも二機の『AA-PE』とホバーとレーダーを一機ずつ、何よりもエース部隊の一員という貴重な人材を失ってしまったが、それでも驚異的な戦果である。
これほどの驚異的な戦果となった要因は前述のとおりインセクタムの戦力が信じられない程に一点に集中してしまった所為が何よりも大きいだろう。だが……
何よりもアリスたちAIの前線における凄まじい演算能力が大きかった――
『後方での再計算、命令受諾後に射撃開始』のようなタイムラグは一切なし、その場でアッという間に最善の射線・射角を導き出す力……その能力は正に唯一無二、一ヵ所に集まったインセクタムの集団からの防衛戦という数字を上げやすい状況は確かにあった。だがやはり、その素晴らしい力を疑う者はいないだろう。
改良型『AA-PE』と試作型AIの部隊における地位はもはや盤石という事である。
だが、それでも多くの犠牲が出た以上、やはり決して大喜びとはいかない――
さて、この激戦を潜り抜けた我々は後方へと下がった。後は皆に任せ、殲滅戦へと移行した第三・第四旅団の戦いを本部から見守る事となったのだ。
その本部の一室、ここで既に疲労困憊となっていた俺は大きく溜息を吐き出す。
「しかしまあ、こんな前線で……しかも、個室で休めるとはな……」
窮屈な機体から解放され、ようやく人心地つく事ができた事に心から感謝した俺は本部として国が接収した団地群の個室、宛がわれた無駄に広い3LDK、やけに生活感の残る一室でもう一度だけ長く、そして大きくゆっくりと溜息を吐き出す。
次の瞬間、用意された柔らかなソファに俺の身体が沈み込んでいく。
だが、そんなリラックスした俺の耳に明らかに心配そうな声が聞こえてくる。戦場でのテンションは消え去り、ここまで一言も喋る事の無かったアリスである。
<ねえ、誠二……金田さんに……声を掛けなくて良いのかしら? あんな事があった後、すぐに声を掛けるのもあれだけど……それでも……>
どうやら……彼女の方がよっぽど人らしいようだ――
戦士の嗜みといえば聞こえは良いが……
俺の方は……と言えば、その件を既にある程度の所まで割り切ってしまっていたのだ。つまり、既に自分の心身の回復の方を優先していたのである。
それだけに今の自分の方がよっぽど機械的なのではと考えてしまったのだ。
色々な意味で心が痛くなり、俺は思わず言葉に詰まってしまう――
<誠二……?>
「いや、そうだな……」
『彼もすぐに忘れるさ』……そう言い掛けた言葉を飲み込み、すぐに別の尤もらしい答えを探す。だが、疲れ切った頭では大した答えは出てこなかったようだ。
仕方なく、無難過ぎるほどに無難な答えを返す。
「彼の心が落ち着く頃になったら……二人で声を掛けよう」
<そ……そう……>
その俺の無難な答えに平然とした様子で返事をしたつもりのアリスだが、当然のように様子がおかしくなる。やはり、未だに着たままでいるバイオ・アクチュエーターから伝わる俺の心音の変化などで何かしらに気付いてしまったのだろう。
小手先の誤魔化しを諦めた俺は改めて答えを返す。
「正直に言おう。我々は戦いに慣れ過ぎた……他者の死にも慣れ過ぎてしまったんだ。彼も……そして俺も……暫くすれば忘れてしまうようになったんだ」
決して哀しみを忘れた訳ではないが――
そう、田沼や大崎を失ったと勘違いした時も確かに哀しみはあった。
だが、これまで何人もの大切な人、大切になった人々を亡くしているだけにその感情に対して酷く鈍感になってしまっているだけなのだ。
自分の感情を何処か遠くに置いて他人事のように眺める感覚――
疲労感もピークに達し、眠気も強まった事もあり、勝手に言葉が零れていく。
「今回も……彼もすぐに忘れる……そう思ってしまったんだ」
<すぐに忘れる……>
アリスが言葉を失くす。
「いや、すまん……こんな事を口にするなんて……俺も疲れたようだ」
慌てて誤魔化す俺……だが……
<こ、こんな環境なんだから仕方ないわっ! 元の生活に戻ったら……戻れたら今度は……きっと、いつか……そっちの生活に慣れちゃったって言えるわっ!>
ただ元気づける為の心優しい言葉、他意のない温かな言葉……
だがやはり、連戦続きで疲れていたのだろうか、それとも気が昂っていたのだろうか……俺は気の緩みから何も考えず、心にも無い言葉を吐いてしまう。
「アリス……人は……簡単に上書きとはいかないんだよ……」
傍から見れば、ただ事実を述べただけの言葉――
だが、この軽率に口にしてしまった言葉はアリスを大いに傷つけてしまったようだ。一段、低く聞こえてきた『ごめんなさい』という言葉……これに眠気が一瞬で吹き飛んだ俺はソファから跳ねるように起き上がり必死に謝罪の言葉を吐き出す。
「す、済まん……そういうつもりで言った訳では無いんだ!」
<……分かってる>
俺は人で君はAIなんだ――
人とは異なった存在……そう取られかねない言葉を選んでしまった自分の無神経さと頭の悪さを後悔する。又もや聞こえてきた一段、低い『気にしていないわ』という言葉を受け、彼女を傷つけた事を確信した俺は更に大いに後悔する事となる。
だが、その後悔をすぐに挽回する事は出来そうにないようだ。
運の悪い事に部屋のスピーカーから出頭を命ずる声が聞こえてきたのだ――
◇
さて、別の人間を介し、俺に出頭を命じてきたのはここ第三旅団のトップである『柏木 英輔』旅団長だったようだ。彼専用の少し良い個室へと通された俺は困惑を隠せなくなる。当たり前だが、こんな所に呼ばれる覚えが全くなかったのだ。
そんな俺に休めと声を掛けた柏木旅団長が言葉を続ける。
「君の困惑は理解できる……私も困惑しているからだ」
そう告げた柏木旅団長が自身のツルツルとなった頭を撫でまわす。落ち着きなく、何度か撫で回した所でようやく一枚の豪華な書類が俺へと投げ渡される。
「辞令……ですか?」
内容を軽く眺めた俺の困惑したままの言葉にすぐに答えが返される。
「その通りだ……防衛大臣からの直接の辞令だ……特殊部隊扱いの君たちをまた何処かに送りたいそうだが、内容は一切合切、口外できないとの事だ」
鈍い銀色をした細身の眼鏡のレンズ越しに柏木旅団長の垂れ目が光る。
「異例中の異例……間違いなく、何か胡散臭い事が行われているのだろうな……」
その鋭い視線と言葉と共に今度は一通の封筒が投げ出される。
「こちらは君の幼馴染でもある『西島 康介』政務官殿からだそうだ……」
援軍として送られてきた我々への多大な感謝はあるが、それよりも何やら疑わしい……むしろ、ここから何かに巻き込まれるのではないだろうか……そんな明らかな疑いの目をしてみせた柏木旅団長だが、すぐに諦めたように目を瞑る。
「まあ、ここで君を問い詰めた所でどうにもならんだろう……まあ、良い。すぐ隣の通信室を使え、事前に連絡は入れといてやったからな」
「通信室? 通信の必要があるという事ですか?」
だが、この言葉に正しい返事は無かったようだ。
こちらには耳を貸さず、面白い話だったら聞かせて貰いたいものだと口にした旅団長にこっちは忙しいのだからすぐに出て行けと追い出されてしまったのだ。
団地の廊下と言うべき階段部分、開けた部分を無理矢理に鉄板で塞いだだけの急ごしらえの空間、隙間を抜ける僅かな風と鉄板を叩く雨音が五月蠅い空間、詳しい情報を全く貰えなかった俺はそこで仕方なく辞令へと目を落とす。そして……
「アリス……重ね重ね、済まない……スマホを落とさせてもらう……」
声を掛けられた事で反射的についたモニターに眉の端を落とし、口はへの字、無言のまま明らかに不機嫌……いや、哀しそうな様子のアリスが写る。だが……
「済まん……」
そんなアリスを他所に俺は急ぎスマートフォンの電源を落とす。
先ほどの謝罪も改めてと言っておいた方が良かったかもとも思ったが、急ぎであるしと諦める。そして俺は旅団長室のすぐ隣にある通信室へと向かう。
◇
団地の二階部分の一室を改装した通信室……そこで俺は辞令をかざし、緊急であると言う事、出来る限りの人払いをしてくれという事を伝える。
幸いな事に先ほどの旅団長の言葉通り、既に話は通っていたようだ。
すぐに最も端のコンピューターへと案内された俺は皆が隣室へと移動するや否や、インストールされている秘匿回線用のアプリを立ち上げる。
そこに辞令に記されていたパスワードを打ち込み、更に俺の個人のIDとパスワードを打ち込んだところで、ようやく次の特務の内容が表示されていく。
「これは……」
俺はただただ絶句する事となる――