073 視線の先にあるもの
入間大橋、背割堤と呼ばれる二つの川が合流するような特殊な流れを整える為の堤防の上で陣取る我々の眼下に向けてインセクタムの波が押し寄せる――
さて、奴らは互いの進路も気にせず、ひたすらに一点へと向かっているようだ。
その為なのか、幾つもの個体が盛大に衝突し合う。それだけでなく、生物的な反射なのか、瞬間的に互いを傷つけ合ってしまうような個体もいるようだ。
一糸乱れず、突如として機械的に進路を変更した存在とは到底、思えないような振る舞い……この異様な光景に俺は思わず『アリスのカメラ補正が無い方が良かった』と考えてしまう。余りにハッキリと見えるのも考え物と思ってしまったのだ。
そう見えてしまったのは奴らの視線――
<ね、ねえ、誠二……アイツら全部、こっちを見てるような……>
「君もそう見えたか……と言うよりも君がそう見えているのなら……」
やはり、ただの気の所為ではないという事だ。
自分の目で改めて見回してみると確かに左右に大きく広がった遠く果ての奴らまでもが、こちらへと何となく視線を向けているのが見て取れてしまう。
余りの気味の悪さに再確認してしまった事を後悔する。
「なんだ……機体、部隊、それとも橋か? 一体、何を見てるんだ……」
<うえぇ、吹き飛んでも、こっちを見てるんだけど……気持ち悪……>
だが、その不気味さに当てられている場合では無いようだ――
叫ぶような赤城中隊長の命が下る。
「目標設定完了! 突出している連中を足止めするぞっ! 各種サブウェポンを用意っ! メインウェポンは後……出来る限り、引き付けてから撃てよっ!」
この命令を受けた我々はすぐさま準備へと移る。
「目標確認っ! 大崎機、三島機っ! ミサイル準備っ!」
「「了解っ!」」
二人の返答を合図にするかのようにすぐさま発射の命が下る。
「撃てぇっ!」
まずはとばかり、波のように全力で走り寄ってくるシックルの集団……そこから突出した数十体に向けて腰部マシンガン、小型誘導ミサイルが発射されていく。
大崎機、三島機、アカンド機、アビー機がAIの力を借り、それぞれのポイントへ向けて、それぞれのサブウェポンを順に正確に撃ち込んでいったのだ。
ともあれ、この足止めの牽制射撃は想像以上に上手くいったようだ――
こちらへと駆ける数十体がマシンガンの掃射で失速、ミサイルの爆発を受け、無傷なれど一斉に転び倒れ、後方の密となった数百体の障壁となってしまったのだ。
転び倒れたシックル、避け切れなかったシックルたちが激しくぶつかり合う。
「各機、レールガン掃射準備っ! 構えっ!」
思った以上に響いた衝撃音、それを合図に又もや赤城の指示が下る。
だが、この新たな指示に従いながらも俺は少しばかり寒気を覚える――
AIに優先があるアクティブカノンではなく、パイロットに優先があるレールガン……余り考えたくない事が、赤城中隊長は乱戦になると踏んだのだ。我々パイロットが近接で戦い、AIがアクティブカノンでフォローする時が来ると考えたのだ。
それほどまでに眼前の敵が多いという事なのだ。
「この初撃で……出来る限り仕留めんとな……」
だが、そこまで考えた所で俺は作戦の失策に気付く。この橋上からの射線では敵を多く巻き込むことが出来ないという事に今更ながらに気付いてしまったのだ。
俺はすぐに頭を回す――
今から敵を多く巻き込む最善の射線を取るには……
<せ、誠二、まさか……>
「その『まさか』だっ!」
<ギリギリじゃないっ!?>
「ギリギリだっ!」
先ほどのシックルの小山、ようやく動き始めた奴らまでの距離は僅かに百メートル、我々の機体のサイズを考えれば目と鼻の先である。だが……
「田沼機、俺と右手前方に降下っ! 大崎機、三島機はそのまま橋上だっ!」
この今か今かと全員がゴクリと唾を飲み下すような段階になった状況での突然の俺の命令……だが、それに大きな戸惑いを見せたのは新人である三島機とホバーだけであった。大崎と田沼は少し慌てつつもハッキリとした了解の声を返してくる。
<ほ、ホントに行くのね!?>
「ふふ、意外に弱気だなっ!」
次の瞬間、俺と田沼機は欄干を小さく飛び超えて橋の足元へと降下する。
<もうっ! 後悔しても知らないからねっ!>
足裏、太腿、腰のスカート内のノズルを一斉に一瞬だけ吹かせる事で我々は斜めに角度が付いた背割堤の坂の一番下の辺りへと静かに両の脚で着地する。
そして……
「橘機、田沼機っ! アクティブカノンの使用を許可っ! 一気に頼むぞっ!」
こちらの意図を理解した赤城の声が響く中、俺は新たな射撃ポイントをアリスを通じて全機へと示す。そして次の瞬間、遂に迫ってきた敵の本隊を目前に俺と田沼機が素早くしゃがみ込む。より機体を安定させ、より正確に射撃する為である。
「よっしゃぁ! 全機、射撃開始だっ!!」
この赤城の気迫の籠った叫びに合わせて全機のレールガンが一斉に火を噴く。眼前が真っ白になる程のマズルフラッシュが起こり、思わず目を瞑りそうになる。
だが、その一瞬の輝きはアリスによって素早く補正されていく。
俺は胴を真っ直ぐに撃ち抜かれて上体が崩れ落ちる様子、半身が吹き飛んで物凄い勢いで横へと弾け飛ぶ様子、頭部を撃ち抜かれて一瞬だけビクリと身体を震わせる様子、それぞれの受けた致命的なダメージへと順に素早く目をやる。
次の瞬間、その眼前で何十体ものインセクタムが同時に崩れ落ちていく――
さて、どうやら橋上からの貫通射撃はそれぞれ三体の敵に致命傷を与え、二体の敵を移動不能とし、それから水面を抜けて泥の中へと沈み込んでいったようだ。
だが、危険を承知で下へと降りた我々の一つの弾丸は軽く十体は貫いていったようだ。アリスとノアによる正確なアクティブカノンの射撃の戦果も含めると、この二機の計四発で五十体近くのシックルを一瞬で行動不能としてみせたのである。
纏まった敵相手なのだから当然と言えば当然だが、正に桁違いの戦果である――
「想定はしていたつもりだが……驚いたな……」
ともあれ、マイキー小隊、大崎機、三島機、金田機、それにホバー三機の攻撃も含めて、この一瞬だけで百体近くのシックルに致命傷を与えたようだ。
「赤城中隊、百体近くの撃破を確認っ! 敵前衛、壊滅ですっ!」
「橘機・二十三体の撃破、田沼機・二十五体の撃破、他・三十九体の撃破っ!」
この戦果報告に広域の無線が大いに湧く。
それはそうだろう……数字だけを見れば、たった数機で一瞬の内に敵の前衛を壊滅させてしまったのだから当然と言えば当然の反応である。だが……
「敵の進行速度、変わりありません。依然、我々に向けて前進中……次いで報告、敵の構成にアントが加わりました! 射角の調整には留意してください!」
さて、戦場の高揚に当てられて声高になったホバーからの状況報告を受けながら俺は次の射撃ポイントを探す。橋の下からもう一射したいと考えたのだ。
だが、敵の勢いも想像以上であったようだ。
橋の袂に陣取る我々へ向け、本体と言うべき集団が殺到してくる様子に面食らった俺は流石にここでの射撃は無理と判断し、まず田沼機に上へ戻るよう指示する。
短い了解の声、すぐに吹かされたブースターによって彼女の機体が飛び上がる。
だが、ここで更なる異変が起こってしまったようだ――
先ほどから我々を確かに捉えていたインセクタムの群れの視線……その何か一点へと集まっていた奇妙な視線が全て一斉に上へと向いたのである。
<せ、誠二っ!?>
「目標は田沼機かっ!?」
このフッと浮かび上がった二人の予測……その気味の悪い予測を確かめる為、我々は上へと戻らず、胸部ブースターを吹かして橋の下を敵を引き付けるように緩く抜けていく。予測が間違っていれば奴らは手近な我々を襲うと踏んだのである。
しかし……
「……っ!? 付いてこないっ!?」
<確定よっ! 理由は分からないけど、インセクタムの目標は田沼機よっ!>
余りの意味の分からなさに俺は僅かに動揺してしまう。だが、俺の脳内に咄嗟に浮かんだ幾つもの事柄をアリスが素早く確認してくれたようだ。
いつの間にか切られていた無線が赤城中隊長・直通のモノへと繋がる。
「ん? なんだっ!? 誠二!? どうかしたのか!?」
突然の直通の無線に驚く赤城の声に俺は素早く答える。
「高い確率でインセクタムが田沼機を追っています。理由は全く分かりません。何か異常で大きな別の事が起こっていそうです! この件の判断を任せます!」
眼前で起こった謎の事象……
本当は幼馴染であり、防衛大臣の政務官という立場を持つ『西島 康介』、又は産総研の西田博士、若しくは川島女史に伝えたかったモノである。
情報を持った人間が正しく使わなければ後々に問題になりそうな事象なのだ。
だが、この事象を今、上手く使う事ができれば、この少しばかり不利な戦局を圧倒的な有利へと変える事ができるモノでもあると俺は考えたのだ。
正しい情報は持っていないし、少しばかり短絡的な面はあるが、それでも頭の回転は中々な赤城……何よりも俺を信頼してくれている彼に賭けたという事だ。
そして……それは大正解であったようだ。囁く様な声が無線から聞こえてくる。
「俺の持っている情報からでは『別の事』とやらの良し悪しの判断はできん……よって、この件は連隊長に任せる。情報はここで握り潰すって事だ……だが、田沼機を追っている件は上手く使わせてもらうぞ……お前は下から撃ち続けろ……」
近くの連中に聞こえないよう配慮された小声を聞いた俺は了解の声を返す――