072 インセクタムの狙い
埼玉県川越市……城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物などを数多く抱える都市、ここは小江戸の別名を持つ中々に見所のある観光都市と聞く。
だが、そんな観光都市だった場所へと何故か一目散に向かっていたはずのインセクタムの集団は又もや突如として大きく大きく進路を変えた。
その理由の方は全く分からない――
当然、インセクタムが観光を楽しむなんて事はないはず……だが、それは兎も角、この突然の進路変更の所為で我々赤城中隊の面々は危機に陥る事となる。
◇
俺は単機となった金田の進路を改めて確認する。
「アリス、金田機はどうか?」
<金田機の進路……背割堤上に確認……真っ直ぐ大崎機の元へと向かってるわ>
「……了解だ」
さて、どんなに『AA-PE』が個に優れていても所詮はマップ上の点か線でしかない。エースと言えども、インセクタムの大群を相手には出来ないという事だ。
もう一人のエース金田の力が無ければ……千は居そうなインセクタムを相手に残された我々、八機の『AA-PE』が力を合わさなければ尚更……である。
「金田……済まない……」
「俺に……力が…………くそ! くそっ!」
返答の代わりに聞こえてくる金田自身への悪態にただ耳を貸す。
現状を誰よりも理解できるからこそ、我々もまた友と思ってくれたからこその無念の撤退……その怒り、悔しさ、悲しさ、その全てが伝わるだけに俺も押し黙る。
アリスによって邪魔にならぬよう絞られた広域無線の中、我々の無言が続く。だが、いつまでもそうしてはいられないとばかりに今度は赤城が口を開く。
「俺が言うべきところを……誠二、済まんな……金田も本当に済まない……」
この赤城の反省の弁……
これは確かに彼の『見捨てるという指示が遅れた』という事実に対する弁解という事もあるが、俺のフォローをしてくれたという事でもあるようだ。
自分もそう考えていた、決して間違っていなかったという事をハッキリと口にしてくれたのである。後に俺と金田の間に禍根を残さぬ為の方策という訳だ。
それを理解した金田も消え入りそうな声で俺の代わりとばかりに答えを返す。
「仕方の……仕方のない……事です」
思う事は山のようにあるにも関わらず、今この瞬間の為にそうハッキリと答えてくれた金田に応えるべく、俺も改めて戦う覚悟、反撃する覚悟を決める。
「中隊長、新たな指示を願います」
「撤退は出来ない……ここから我々が完全に退けば、ここから内側へと深く侵入されるからだ。そうなった場合の後の労力は尋常じゃなくなるだろう」
我々が犠牲になってでも、ここで奴らの足を止めねばならないという事だ――
「まあ……奴らの目的は橋でも進軍でもなく、我々の気がするが……」
そう言った赤城が更に言葉を続ける。
「よし、敵との距離が近い、このままでは暫く支援砲撃は受けれん。上江橋や周囲からの援軍も僅かに時間が掛かる……橋を渡って背割堤の近くで迎撃する!」
この覚悟を決めた赤城の声に俺は素早く反応する。
「了解っ! 全機、聞いたなっ! 移動を開始しろっ!」
兎にも角にも赤城中隊長もインセクタム集団の進路を考えると橋そのものよりも我々の機体が狙いなのではないだろうか……と考えたようだ。
そう、わざわざ苦手な水場を抜けてまで向かった方角がおかしいのである。
本当に奴らが橋を落としたいのであれば、支えとなる脚へと向かうはず……だが、この進路では我々のいる橋の入口へと向かっているように思えるのだ。
もちろん、更に先の部隊が狙い、更に別の狙いの可能性もあるにはあるが――
さて、ともあれ我々が退くと防衛線に穴ができる。だが、背割堤に移動するくらいなら問題は少ない。むしろ、橋だろうと我々が目標だろうと迎撃しやすい。そして仮に先にいる部隊、内地への深い進入が目標でも奴らの後ろを突く事ができる。
これは決して悪い策では無いという事だ。
「周囲は水場、奴らの脚はやや遅くなる。その上で周囲からの援軍が来るまでの防衛時間は十分前後と考えると……いけるなっ!!」
<う、うん、東は一部の支援砲撃が一応は続いてるし、西と南の二方向を確実に守って十字路の北方向に回り込まれなければ退路に使えると思うわ……>
少し元気のないアリスの了解の言葉と次々と送られてきた赤城中隊長からの情報の受信を合図に俺は橋へと戻りながら改めて皆へと指示を伝えていく。
「よし、中隊長機を含むホバーを中心に隊列を組むぞっ! 背割堤を橘隊、入間川の方向はマイキー隊、金田機は合流次第、状況を見て援護してくれっ!」
同時に俺はホバーたちに別の指示を送る。
「配置に就いたら後方の特科連隊に位置情報を送れっ! 今、場所を変えている最中だろうからな……適切な場所へ到着次第、支援砲撃を頼むと伝えてくれ」
「了解……あっ!? い、インセクタムの先頭集団との距離200っ! そちらへと向かっていますっ! 真後ろですっ! 気を付けてくださいっ!」
次の瞬間、機体の警報が一段と高く鳴り響く。まだ俺と田沼は所定の位置に辿り着いていないのだが、既にインセクタムの先頭集団が到着してしまったのだ。
ようやく橋の入口から橋上へと侵入した俺は叫ぶように指示を送る。
「田沼機は全速で配置に就けっ!」
俺は橋の上、川の寸前で左右のノズルを順に吹かせ、機体を反転させる。その次の瞬間、機体のメインカメラをインセクタムの尖兵へと向ける。
「内地への方向ではなく、こちらへと来たか……」
強くなった暴風雨の中、橋の下に並走するように進路を変えた敵の姿を捉える。
月明りもない、漆黒の闇も相まって本来なら何も見えない所なのだが、アリスの素晴らしい補正によってクリアに奴らの姿が表示されたのだ。だが……
「俺の機体を見ているのか……? いや、田沼機か?」
走りながら、こちらの方へと視線を送るシックルの姿に少し寒気を覚える。
<シックル五体の姿を確認っ! 斜めに水場へと侵入っ! 今なら入間川の橋脚を狙っているようにも見えるけど……どっちかしら?>
「橋の破壊が目的の方がありがたいな……最悪、橋脚に纏まったところに支援砲撃で殲滅できるからな……だが、奴らの接近速度を考えると目的は我々だな」
すぐ、そことなった橋の脚で止まる速度とは思えないという事だ。
流石に大きな大きな溜息が漏れてしまう。苦戦を免れない現在の状況下への溜息であり、インセクタムの新たな謎の生態に向けての溜息である。
機体のブースターを全力で吹かしながら入間川を超えた所で愚痴を零す。
「奴らは一体、何なんだろうな……」
だが、ボソッと口にした俺の愚痴に誰も答える事なく遂に戦闘が始まる――
「アカンド機……射撃開始」
先ほど姿を現した五体のシックルが全て川中の橋脚を超えた為、こちら側を守るマイキー隊・左翼のアカンドが先行して射撃を開始したのだ。
少し、たどたどしい日本語が聞こえてくると同時に射撃音が響く。
使われたのは我々同様の手持ちのレールガン、その甲高い射撃音は五発のみ、同時に我々を追っていた赤い点滅が順に正確に消失していく。
俺の機体にも少し遅ればせながら彼の機体からの映像が届く。
「流石だ……あれだけの速度で接近されると落ち着かないものなんだがな……」
最後の一体は足元と言っても良いほどに近寄ってきたのだが、まるで動じることなく照準が下げられる。そしてゆっくりと正確に頭部が撃ち抜かれる。
<マイキーもアビーさんも見向きもしなかったね……>
「それだけ彼を信頼しているという事だ」
だが、のんびり会話をしている暇は無いようだ――
我々、三つの小隊のホバートラック……今は二機になってしまったホバーからの情報を統括している赤城中隊長機から新たな嬉しくない情報が届いたのだ。
無言の彼から全機へと詳細なデータが送られる。だが……
「た、隊長……ちょっと……これは……!?」
「せ、千体以上……? もっと、向かっているかも……!?」
<これって……援軍が来るまでの間だけど……!?>
大崎、田沼、そしてアリスの絶句する声と共にマップの南の端が真っ赤に染まる。全てのインセクタムが迷うことなく、我々の元へと殺到したのだ。
「奴ら……橋を渡る気ないみたいね……」
マイキーの声、アビー、アカンド、そして放心していた金田までもが絶句する。
だが、そんな我々の眼前にまず数十体以上のインセクタムが襲い掛かる――