071 急襲、インセクタム
ほんの一瞬前まで確かに反省の色を見せていたアリス……だが、そんな彼女の記憶から金田への暴言の件で怒られていたという事実は既に消えてしまったようだ。
<試作型AIとか……高性能AIって呼ばれるのも悪くないけど……うふふ>
ハッキリと意識した言葉は脳内越しでもハッキリと伝わるという事だ。
そう、俺が夢想した新人類なのではという考えが相当に嬉しかったという事である。先ほどからアリスが似たような言葉を繰り返しながら照れ笑いをする。
そんな少し腑抜けてしまった彼女に俺は流石に集中しろと声を掛ける。
「こちらへ来る敵の数は少ないが油断するな……天候も視界も悪いんだから……」
そう口にした俺の眼前に早速とばかりに一匹のアントが飛び込んでくる――
だが、この各種榴弾の雨を運良く潜り抜けてきた『地球上の蟻によく似た個体』は既にボロボロ、その複数の脚の大半が吹き飛んだ後であったようだ。
前脚と腹部の脚だけで胴体を半ば引きずる様にしてこちらへと近寄ってくる。
「三島機っ!」
「三島機っ! 了解っ!」
次の瞬間、俺の声を合図にするように三島機の手持ち式レールガンが火を噴く。同時に眼前の個体の頭部が胴体ごと綺麗さっぱりと弾け飛ぶ。
この慌てた様子もなく、素早く冷静に撃ち込んだ三島の姿に俺は満足する。
「ふむ、次は高周波電熱振動ブレードを使って仕留めるんだ。援護はする」
「うえっ!? い、いや、いつかヤラなきゃいけないのは分かって……」
だが、この新たな指示に対する彼の必死な反論が終わる前に俺の機体の無線が盛大に鳴り響く。これは緊急性のある場合に発せられる特殊な警報音であった。
この注意を引く様なピー音と同時、強制的に広域の無線が立ち上がる。
「い、インセクタム集団が方向転換っ! 上江橋へと集まっていた集団が一気に入間大橋へと向きを変えましたっ! 既に荒川沿いの沼地を走り抜けています!」
明らかに困惑した女性の悲鳴に成りかかったような声が無線から響く。
当然、この新たな情報を受けた俺も困惑し、疑問を覚える――
<な、なんで? い、意味わかんない……だって、今の今まで上江橋へ……>
当然、アリスも俺と同様の疑問を覚えたらしい。この場の誰よりも先ほどの女性よりも困惑した声で発せられた彼女の言葉に俺は辛うじて言葉を返す。
「り、理由を探すのは……今は無駄だ」
何故、インセクタムは人を襲うのか……
何故、インセクタムは集まり朝霞駐屯地を攻めたのか……
何故、インセクタムは突如として川越方面へと攻め手を変えたのか……
何故、今この瞬間になって『水の苦手なインセクタム』が『最も酷い水没地帯となっている入間大橋』へと攻撃目標を変えたのか……当然、疑問は山のように出てくる。だが、やはり今それを考えている意味も……そして暇もないという事だ。
そう、今やるべき、考えるべきは眼前の事態への対処のみなのだ――
それでも膨れ上がる疑問と困惑を無理矢理に抑え込み、口にする事で無理矢理に覚悟を決めた俺……その耳に赤城の実に分かりやすい力強い命令が聞こえてくる。
「聞いたなっ! 迎撃だっ! 奴らが橋を渡ってくる前提で橘小隊を中心に密集隊形をとれっ! 抜かれる事は気にするなっ! 後からくる奴らに任せろっ!」
この簡潔な命令が聞こえると同時、俺の機体に警報音が鳴り響く。入間川と荒川が並走する辺り、南南東一キロメートルの位置にインセクタムの反応が次々と現れたのだ。良くも悪くも考える時間など余り無い……という事になった訳である。
そんな中、俺も中隊長同様に覚悟を決めて皆へと指示を伝えていく。
「インセクタムは水を嫌がるっ! ほとんどが橋の上にくるという事だっ! 侵入ルートは荒川沿いを進んだ真東の開平橋からだろう。覚悟だけは決めておけっ!」
そう叫ぶように指示を伝えた俺は大きく深呼吸を繰り返し、乱れた心を落ち着ける。覚悟を決めろと言ったが、その陸路を残す開平橋はまだまだ遥か先なのだ。
迎撃準備を整える時間は十分にあるという事だ――
さて、少々の混乱の為か、正確さは二の次、明らかに釣瓶打ちとなった榴弾の雨、遠くに見える幾つもの不揃いな爆発の閃光を横目に俺は少しだけ余裕を持つ。
「三島機はホバーの護衛っ! 水を嫌がっても通らない訳じゃないっ! 左右の水辺からの奇襲には気をつけろっ! 敵の数の均衡によっては金田隊の援護という選択肢もあるっ! 全機、忘れるなよっ! 最後にマイキーに援護は不要だっ!」
<むっ!? 援護不要……なるほど、理解しました。アスカのいるマイキー機には確かに援護不要ですね。納得です。是非ともお任せください>
「ヘ、ヘイ、アスカっ! 勝手に答えないでっ! 彼は僕を信頼してるんだよ!」
<一々、煩いですね……小粋な冗談で皆をリラックスさせようとしたのに……>
「そ、そうなのっ!?」
我々をリラックス……まあ、そんな理由だけではなさそうだが……
ともあれ、この中隊用の無線から聞こえてきたマイキー機搭載・AIアスカのユーモア溢れる勝手な返事とやり取り、それを受けて思わず皆が苦笑してしまう。
だが、そんな我々の眼前で突如として更なる異変が起こってしまう――
そのまま北西へと向かう荒川沿いの土手を移動すると思われたインセクタムの反応がうんともすんとも言わない。何時まで経っても位置を変えなかったのだ。
それに気づいたアリスがコッソリと声を掛けてくる。
<ねえ、誠二……なんか、敵の位置、おかしくない? 川の中にいるような……>
「レーダー? 確かに……拡大できるか?」
了解の声と共にマップが拡大されるが、やはり彼女の言う通り、何度となく見直してみてもインセクタムの集団は川の中にいるように表示されている。
はて? レーダーの故障などあるのだろうか――
一瞬、脳内で自分自答してしまう。だが……
「いや、そんな訳あるかっ!」
俺がそう口にした次の瞬間、大量の赤い点滅が一斉に荒川を超える。
大半のインセクタムが水を嫌がり、遠回りのルートを通ると我々は考えていたのだが、ほぼ全てのインセクタムが迷うことなく最短距離を直進してきたのだ。
まるで、この数年の行動が全てブラフだったと言わんばかりに……
レーダー上の幾つもの赤い点滅が金田隊の方へと一気に向かっていく――
次の瞬間、無線に金田隊の面々と赤城の悲痛なやり取りが響く。
「インセクタム、水辺を直進っ! 既に入間川……こちらへ来ますっ! これは足が速い!? アントではなく、シックルの集団っ! う、後ろにいたんだっ!」
「……っ!? 金田小隊、急いで撤退しろっ!」
「ブースター点火がまだです!」
「か、数が多すぎっ! 逃げれないっ! 全機で応戦を!」
この混乱した金田隊の無線を受け、又もや赤城が叫ぶ。
「聞こえるな? このままでは背を突かれる……金田小隊・全機、入間大橋へ向かえっ! 誠二、聞こえるなっ! 金田の撤退を援護しろっ! 急げっ!」
「りょ、了解っ!」
だが、とても間に合いそうもない――
当然、それを理解している金田も叫ぶように口を開く。
「ここで応戦したら囲まれる! 俺が入間川を越えて奴らを誘うっ!」
「あ、あの勢いの集団に近づく!?」
「か、金田隊長!? 危険ですっ! 無茶ですっ!?」
「煩いっ! 貴様らとは橋で合流だっ!サッサと行けっ!」
歩兵が相手と思ったのに騎馬隊に襲われたかのような……そんな一気に訪れた異常事態を前に俺は思わず息を飲む。だが、すぐに現実を受け止めて気を取り直す。
「防衛線は諦める。マイキーっ! 我々の援護を頼むぞっ! 大崎機っ! 背割堤へ向かって金田機を追う奴らをスナイプしろっ! 三島機は大崎機の護衛だっ! 田沼機は俺に付いてこいっ! 金田小隊を迎えに行くぞっ!」
ホバーは動くなという指示を合図に俺は既に走らせていた機体を加速させる。アリスによって緊急で着火されたブースターの出力が何とか安定したのだ。
まだボボボボと不揃いなブースターの轟音を背に俺は金田隊の元へと急ぐ。
だが、そんな我々の耳に更に悲痛な叫びが聞こえてくる――
「何故だっ!? 何故、付いてこないっ!?」
これは自ら囮なった金田一等陸尉の叫び……歴戦のエースである彼の動揺しきった叫び……信じられないモノを見た衝撃の心の叫びであった。
<金田機、背面へ向けてアクティブカノンを発射っ! シックル三体の撃破を確認っ! で、でもインセクタムの進路はそのままっ! あんなに近いのに……!?>
まだ遥か遠くの幾つものアクティブカノンの軌跡へと目をやる。だが……
<更に二体の撃破を確認っ! 全然、駄目っ! 一体も付いていかないわっ!?>
この更なる異常事態を受け、俺の背筋が寒くなる。次の瞬間、チラリと視線をやったマップ上の三つの緑の点滅が赤い点滅に飲み込まれていく。
<し、シックルの集団、金田小隊に接近っ! 応戦しているけどっ!>
再度、響いたアリスの悲痛な叫び……俺は機体を止めて新たな指示を出す。
「田沼っ! 金田っ! 撤退だっ! 彼らは見捨てるっ!」
この有無を言わさぬ命令……だが、瞬時に金田が怒りを爆発させる。
「見捨てるだとっ!? アイツらを置いていけるかっ!」
既に受信できなくなった信号……だが、感情的になった金田はその事実を認められない。金田機のブースターの放射方向が変化した事を確認したアリスが叫ぶ。
<ちょっとっ!? 金田機、変針っ!>
俺は完全に怒りの感情に包まれてしまった金田へ再度、叫ぶように指示を送る。
「金田っ! 行くなっ! 今、行けば無駄死にだっ! ここで貴様がいなくなれば我々も同様だっ! 何もかもが本当に無駄になるぞっ!」
第一旅団のエースであった金田……当然、一を聞けば十の知る事ができる男である。この言葉だけで冷静さが戻り、この戦場の今の状況を正しく理解したようだ。
無言のまま彼の機体が再度、反転された事がマップ上に正しく表示される――