007 命あればこそ
「『和光陸橋』から緊急入電っ! 254号の外環方面に斥候と思われる『アント』の姿を複数確認、『至急、救援を頼む』……との事です!」
意識を戻した俺の耳に叫ぶような女性の声が飛び込む。どうやら、ここは指令室という名のプレハブと隣り合った救護室という名のプレハブのようだ。
痛みの残る身体を無理やりに起こした俺の視線の先……プレハブの小さな窓からは何時もよりもマシな曇った空と枯れる寸前といった揺れる木々の並びが見える。
その見覚えのある景色に思わず溜息が出てしまう。
「『西高島平』の増援はそのまま待機、余った部隊を『和光陸橋』へ送れっ!」
「了解です……フォックス1、すぐに『和光陸橋』へ向かってください!」
そんな俺の耳に聞き覚えのある怒鳴り声のような命令が聞こえてくる。
『北区、板橋区、練馬区』を守る東京方面軍・第二旅団、そこに新たに創設された『AA-PE』部隊の連隊長『前澤 栄吉』一等陸佐の声である。
「『西高島平』には『高島平』の部隊を回せっ! そんで『浮間舟渡』の部隊を『高島平』に送れ! 畜生っ! 浮間舟渡はいざとなったら撤退だ! ああああっ! 糞っ! 人も物資も少しだけ足らんっ!」
今の今まで寝込んでいた俺に対して言ってる訳ではない事は分かっている。
だが、まるで『人手が足りないからサッサと起きて働け』と言わんばかりの連隊長の言葉を聞いていると、このまま寝てる訳にはいかないとも思ってしまう。
(腕に差し込まれたチューブを勝手に抜いていく訳にもいかないか……)
そんな風に朧気ながらに葛藤する俺に今度は甘く柔らかな声が掛けられる。
「あ、橘一等陸尉っ! 良かった……意識が戻ったんですね!」
部屋に入ってきたのは……こんな前線に全く似つかわしくない、まるで現役のアイドルの様な可愛らしい顔をした少女……のような女性であった。
彼女の名前は『浪川 さつき』、衛生科部隊に所属する新人の看護官である。
「ああ、浪川三等陸尉か……」
「あ、橘さん! まだ動かないで下さいね? 吉川先生……じゃなかった。吉川二等陸佐を呼んできますからねっ! わー急がなきゃ!」
入隊し、まだ半年という浪川が軋む扉を開け、飛び出していく。そして片付けていなかったストレッチャーを盛大に倒し、起こすのを諦めて駆けていく。
そんな彼女の変わらぬポンコツぶりに笑みが零れてしまう。
だが、その盛大な物音は……一時的に失っていた俺の記憶を蘇らせたようだ――
「田沼……恵子……」
あの時の一連の流れが少しずつ痛みと共に思い出されていく。
敵接近の警告を知らせるアラートが鳴り響き、緑と黒の世界の端に『飛行ユニット』の姿が映り込む。アシナガバチに似た姿を持った『インセクタム』の腹部が前方に向けられており、既に噴射を終えた奴の強酸が一つの塊となって飛んで行く。
奴らは我々を追って来た奴らでは無かった……
溶かされていく機体に彼女の悲鳴……敵の状況も確認せず、彼女の機体に近寄り、出力を抑えた高周波電熱振動ブレードを押し当てた事までは覚えている。
そこからの俺の記憶は……一切無い――
同僚を失った経験が多いからだろうか……もう涙は出ないようだ。だが、そんな心が麻痺してしまった俺でも流石に胸の痛みを抑えきれなくなる。
「別れは……何時だって覚悟していたんだがな……」
シャツ越しに胸を抑えつけ、必死に心の安定を図る。
苦悶の表情を隠し切れなくなった俺の耳に聞き慣れた声が飛び込んでくる。どうやら、この声は開け放たれたままの扉の向こうから聞こえてきたようだ。
「橘隊長……すみません」
言葉少なく申し訳なさそうに入ってきたのは『大崎 雄二』三等陸尉であった。
「大崎……生きていてくれたか……!」
機体が溶かされていくという悲鳴を最後に連絡が途絶えた為、生きている訳がないと思っていた。それだけに驚きと嬉しさが同時に溢れ出してしまう。
「本当に……本当に……良かった……」
戦友の無事の帰還……俺は思わず喜びを噛み締める。だが……
「その……橘隊長、『田沼二等陸尉』は……」
ここまで聞いただけで俺の後頭部にバットで殴られたような衝撃が走る。冷静さを欠いたのか想定したはずの衝撃にも関わらず、目の前が瞬時に暗くなっていく。
事実を知りたくないという想いが強いのだろう。
「そう……か……彼女は……」
「はい、田沼二等陸尉は両足切断、右腕も切断する事となりました……」
苦悶の表情で実に言い辛そうに伝えてくる大崎の顔を思わず見返してしまう。
「え……? い、生きていたのか……」
今の俺では……これだけを口にするので精一杯であった。
◇
聞かされた田沼二等陸尉の怪我の度合いは酷いの一言……義手義足が圧倒的に進化した現代においても利き腕の切断と両足の切断は本当に酷いの一言である。
だが、それでも彼女は生き残ってくれたのだ。
しかも、彼女だけじゃない。あの酷い状況下から何と大崎までもが生き延びてくれたのだ。こんなに嬉しい事は無いという事だ。
しかし、少しばかり疑問は残る。
「何故、我々は捕食されずに生き延びる事が出来たんだ?」
「分かりません……自分も何度も聞かれたんですが……分かりません」
喜びと悲しみ、驚きと戸惑い……この何とも言えない複雑な雰囲気となった室内の空気だが、次の瞬間に無遠慮な大きな足音によって破られる。
足音を引き連れてやってきたのは先ほど部屋を出ていった浪川であった。
「あの……すみません……『先生たち』をお連れしたんですけどぉ……」
「入ってもらって構わん」
だが、俺の返答など待ちもせず、大きな足音の主がサッサと入室してくる。そんな相手に気が付いた大崎が素早く壁面に背を付け、慌てて敬礼の姿勢を取る。
そう、一人は『先生』こと『吉川 順平』二等陸佐……チョビ髭の似合うダンディーな医者……そして二人目は連隊長『前澤 栄吉』一等陸佐であったのだ。
「よう、誠二に雄二……二人とも生き残って何よりだ! まあ、恵子の怪我は残念だが、そこは仕方あるまい……命あっての物種って奴だ」
半ば自分に言い聞かせる様に一気に喋り終えた前澤連隊長が大きく溜息を吐き出し、太く力強い眉を苦々しそうに片側だけ持ち上げる。
そして端にあったパイプ椅子を持ち出し、俺の真横へと座り込む。
余り触れたくないという事もあるが、何よりも気遣いのつもりでサラリと触れるだけにしてくれたようだ。その想いに感謝しつつ、平静を装いながら答えを返す。
「先ほど大崎から報告を受けました。怪我は残念ですが、時代が時代だけに仕方がないと……考えています。彼女の代わりは……私が果たしていく所存です」
「そうか……まあ、その時代が時代……『AA-PE』が在る所為で義手義足は大いに発達している訳だ。命を残した幸運を喜んで貰うしかないな……」
暫しの無言が続く。
互いに彼女との面識は長い。俺は『AA-PE』とテストパイロット時代からの三年間……前澤連隊長に至っては彼女の入隊からなので八年の仲である。
まあ、人の出会いとしては短いと言えば短い期間である。だが、この酷い戦時下という事もあって、我々の思い出と関係は深く重いのだ。
だが、それでも何時までも臥せっているという訳にはいかない――
そう、『インセクタム』との戦争は終わりは見えない。それどころか、現状は一歩……いや、二歩三歩と大きく後退してしまったのである。
前澤連隊長もそれを分かっており、まずはと口火を切ってくれる。
「誠二……貴様と大崎三等陸尉は『産業技術総合研究所』に詰めて貰う」
「AIを開発した……産総研ですか?」
「うむ……そこから新型AIのテストパイロットの話が来たんだが……何とな、旅団長と産総研の所長から貴様らを直接に『御指名』だそうだ」
この突然の情報、ここまで黙って直立していた大崎も大いに驚いたようだ。上長の前にも関わらず、思わずとばかりに素っ頓狂な声を上げてしまう。
「き、貴様らっ!? じ、自分もですかっ? いあ、いや、自分は『AA-PE』乗りとしては新人で……その……とても役に立つとは……」
「そこまで自分を卑下する事は無い……大崎は後方で半年、前線で半年だったな? それで『あのレベルの技量』を持つなら上等だ。そこは安心しろ! だがな……」
まあ、それは兎も角と不精髭を弄った連隊長から更に話が続けられる。
「テストパイロットは一般兵よりも少し上くらいの方が都合が良いんだ……つまり、おかしいのは誠二の方だ。エースを寄越せなんて色々とおかしいんだよ」
何はともあれ、より厳しくなった前線からエースパイロットを引っこ抜かれるという訳だ。前澤連隊長が仏頂面になるのも致し方ないという事である。
俺は仏頂面となったまま固まってしまった前澤連隊長へと答えを返す。
「旅団長からの指名となれば受けない訳にはいきませんね……了解しました」
上からの命令である以上、答えはこれしか無い。前澤連隊長も分かっているのか、大きく溜息を吐き出して小さく何度も頷くしかなかったようだ――