063 犬猿の仲
これ以上、待たせると何か違う問題が起こりかねない……そう考えた俺はホールへと急ぐ。そして羨ましさを隠しもしないマイキー、恨めしさを隠しもしない金田、俺の行方を必死の形相で捜す城山桃華の待つ居心地が悪いホールへと戻る。
「待たせて済みません……案内を頼みます」
そんな皆の不満をぶつけられる前に俺は執事のような装いの男へと案内を促す。
◇
さて、誰の予約かは知らんが、随分と良い席を宛がってくれたようだ。
「Unbelievable!」
「こりゃあ、驚いたな……」
先に辿り着いた二人が驚きの声を上げる。そして僅かな時間差で辿り着いた俺の目にも何やら不可思議な絵まで飾られた異様な個室の姿が見えてくる。
「これは……広すぎというか……それ以前だな……」
この俺の小さな呟きは部屋の端まで届かない。やけに豪華な金縁の椅子を見る限り、六人での使用が考えられているようだが、ここが余りに広すぎたのだ。
変な絵に変な壺、壁際の長いソファーの傍を抜け、やけに広い花壇付きのベランダへとようやく出た俺……階下に遠くなった公園を眺めながら茫然とする。
「まさか、執事のような人に案内され、こんな豪華な部屋に来るとはな……」
そんな俺の小さな呟きを追随してきた桃華が拾う。
「ただのレストランの個室ですし、そんな高い部屋じゃありませんよ?」
「君の基準ではそうかもしれんが……我々からするとだな……」
可愛らしく小首を傾げた桃華に小さく溜息を吐きながら俺は辛うじて答えを返す。だが、どう見ても普通の部屋ではない様相に嫌な予感が沸き上がる。
そして……
「まさか……君の個人的な金か……?」
誰の予約か知らんと言ったが……間違いなく、自衛隊や役所で取れるレベルの部屋ではない。そう考えた俺の訝しんだ言葉に実に明瞭な答えが返る。
「はいっ! 私のポケットマネーですっ!」
満面の笑顔となった桃華の言葉……余計な言い訳もない、これまた実に清々しい答えである。だが、そんな答えに俺の方は更に頭を悩ます事となる。
「そうか……君のか……ううむ」
「あれ? なんか、駄目でしたか? 皆さんに喜んで貰えるかと……」
サプライズであり、絶対に喜んでもらえると考えていた桃華が戸惑う。
そんな中、俺は一つの宜しくない疑問が脳裏に浮かび、思わず眉を顰めてしまう。次の瞬間、その俺の言動に気付いたアリスが渋々ながらに声を発する。
<際どい所だけど……こいつと誠二は直接的な関りは無いし、贈収賄にも癒着にもならないと思う。ここに居たのが採用した担当だったらヤバいと思うけど……>
この答えに俺はホッとする。そして機嫌のよくない冷めた声ではあるが、僅かながらに反応を示してくれた彼女の様子の方にも少しホッとしてしまう。
だが、そんな少し落ち着く事ができた俺の眼前で桃華の眉間に皺が寄っていく。当然ながらアリスがワザワザ強調して喋った部分に納得がいかなかったのだ。
「こいつとか、直接的なぁとか……AIの癖に嫌味っぽい奴……」
鼻を鳴らし明らかな敵意を見せる桃華……そんな彼女にアリスが言い返す。
<私は事実を正確に言っただけよ……ふんっ!>
こんなのが続けばストレスで胃に穴が開く……それを恐れた俺が慌てて仲裁へと入る。だが、そんな俺の必死な言葉は二人の耳には全く入らなかったようだ。
◇
正に犬猿の仲なのだろう……アリスとリサの言い合いを何度も聞いたが、それらは実に可愛いらしいモノであったと再認識してしまう程であった。そんな濃密な三分間の言い合いを終え、鼻息荒くしたアリスと桃華へと交互に目を向ける。
「アリスもいい加減にしろっ! 俺のサポートAIの役目を思い出せ……だが、桃華くん……君も大概だ! 我々の案内の役を買って出たのなら責務を果たせっ!」
騒ぎを聞きつけた執事……先ほどの彼が現れた事もあり、いつもよりも少し厳しい言葉が出てしまった。だが、それでも決して言い過ぎではないだろう。
この小さな怒りを籠めた言葉に流石の二人も押し黙る。
「ご、ごめんなさい……」
<わ、私も……少し言い過ぎたわ>
流石に反省したのか、二人が反射的に謝罪の言葉を口にする。
その言葉を受けて俺も自ら作り出してしまったこの空気を換えようと言葉を探す。だが、俺が上手い言葉を探す間もなく、ここまで一言も喋らずに黙っていたアスカ……米軍所属であるマイキーのサポートAIである彼女が唐突に口を挟む。
<ようやく、理解しました……お二人は橘一等陸尉の将来の恋人候補として争っている……と言う事ですね。なるほど、田沼三等陸尉に浪川三等陸尉、産総研の川島副所長に……もしかしたらアビゲイル少尉も……ふふ、これは面白くなりそう>
後半、声のトーンを落としたものの、明らかに聞こえるように声を発したアスカ……卓上の彼女がワザとらしく『失礼、喋り過ぎました』と謝罪してくる。
そのニヤリと小さく笑った悪意ある表情に開いた口が塞がらなくなる――
そんな俺の眼前で当然のようにアリスと桃華、そしてマイキーと金田までもが揃ったように驚きを見せる。部屋中に四人の叫ぶような声が重なる様にして響く。
<わ、私は恋人候補とか……! そ、そういうのじゃないのっ!>
「ちょ、ちょっと待って! 恋人候補、何人いるの!? そんなにいるのっ!?」
「あ、アビー? なんでアビー? お兄ちゃん、聞いてないぞっ!?」
「も、桃華ちゃんはアイドルだぞっ!?」
無造作に置かれた卓上で一瞬だけ満面の笑みを見せたアスカ、そんな彼女の眼前で更に騒乱は続く。全く心休まる事のない時間……味も分からない昼食を辛うじて終えた我々は全員そろって肩を落としたままホテルのレストランを後にする。
◇
さて、ホテルを後にした我々は一階層下へと進む事となる。
この階層は新設された地下鉄を中心に市役所と分室、上層下層と繋がった幾つもの警察、消防、救急、学校、そして巨大な市民公園と様々なスポーツに対応したグラウンド設備などの公共施設が集中しているエリアとなっているのだ。
その一つ、市役所の前で手を振り、我々を待ち侘びる二人の男の姿を捉える。
だが、その何処かで見た事のある姿形に何故か俺の不安が高まる――
「アリス……あの二人、何処かで見たような……雰囲気がそっくりなのだが……」
声を上げると同時、俺の頭部・左の側面に張り付くように装備されたインカムセット、その骨伝導マイクと一体となっている小型カメラが小さく唸りを上げる。
そして……
<げっ!? マジ……!? あれって……ほぼ三島よっ!?>
情緒不安となっていた彼女が思わず素に戻ってしまう程の驚きを見せる。
「それだ……老けて太った三島と痩せて凛々しくなった三島なんだ」
こんな事で……妙に高鳴る心音を必死に抑え、遂に二人の眼前へと辿り着いた我々に早速とばかりに声が掛かる。そう、実に聞き覚えのある声で……
「橘一等陸尉ですな! 息子が世話になっている!」
「橘一等陸尉ですね! 弟が世話になっています!」
綺麗に重なり合う声……似た顔と似た声色、そして似た内容の言葉に混乱が極まる。思わず、俺は脳がバグってしまったような奇妙な錯覚を覚えてしまう。
声が被った事を喜ぶ二人の完全に被った笑い声が響き渡る――
そんな中、俺は必死に次の言葉を探す。
「三島准陸……いえ、『三島 公輝』の御父上と兄上ですね」
ようやく、吐き出せた言葉に又もや重なる様にして答えが返る。
「『三島 公久』です。城山桃華のマネージャーを務めております」
「『三島 公平』です。横浜市教育委員会の社会教育主事を務めております」
慣れた手つきで素早く差し出された二枚の名刺に俺はただ唖然とする――