060 謎の美少女
『産総研の娘』と言って差し支えないアリス……ずっと大切にされてきた彼女の活躍と我々のほどほどの活躍をオマケで祝う懇談会は無事に終わりを迎えた。
酒の所為もあり、大いに浮かれたマイキーが上半身裸になり、皆と踊り出すといった小さなハプニングはあったが、その他に特段の問題は起こらずという事だ。
だがまあ、産総研の一同はそれだけという訳にはいかなかったようだ――
間違いなく、あれから徹夜となってしまったのだろう……そんな明らかな隈、明らかに重い眼をした研究員一同が揃ってフラフラと見送りの場へと姿を現す。
<梓、寝てないの……大丈夫?>
このアリスの心配そうな声に皆を代表するように川島が口を開く。
「もちろん大丈夫よ! 面白い意見を聞く事ができたから何時もよりも興奮しちゃっただけよ! それより皆さん、見苦しい姿で申し訳ございません!」
徹夜明けで少しハイになった川島のやけに大きく張りのある声が響く。この瞳孔が開きかけた川島のいつもと違う声に気圧されながらも俺は何とか答えを返す。
「いえ、そんな……見苦しいなんて事は……」
まあ、それだけ有意義な情報を提供できたと言う事ではあるのだが……
だが、そんな彼らの様子に少し心配を覚えながらも我々は産総研を後にする。そう、残念な事に今日はまだやるべき予定が山のように詰まっているのだ。
隕石の被害もなく、インセクタムからの被害もなかった首都……以前と変わらぬ姿を維持する東京を抜けるべく、我々は軽装甲機動車LAVを走らせる――
さて、そんな我々の次の目的地は横浜エリア……都心から引っ越しを余儀なくされた人々の新しい居住地……現状、人々が安全に暮らせる最北端である場所だ。
多くの軍事工場が立ち並ぶ事となった川崎・鶴見エリア……少し重々しく感じるエリアを早々に抜けた我々の視線の先に今度はその居住エリアの姿が見えてくる。
「ヘイッ! セイジ、ウェィクアップ! もうすぐ横浜だぞっ!」
暴風の中とはいえ、高速道路の移動に心地よさを覚え、少しウトウトとしてしまった俺にマイキーから寝るな寝るなとの声が掛かる。そうして慌てて上げた俺の視線、その少し先に未だ見慣れる事のない超大型建造物と言うべき姿が見えてくる。
「まだ距離があるというのに……相も変わらず、デカいな……」
「だろ? 金田もウェイクアップ! 助手席で寝るのは万死に値するんだぞ!」
「んがっ!? ば、万死っ!? そ、それは本当に悪かった」
流暢に鼻息荒く金田を叱ったマイキーから改めて眼前の建物へと視線を移す。
「風に強く、地震に強く、インセクタムに強く……且つ、最小の部隊で守りやすくだったかな……まあ、タワーマンションの延長ではあるんだろうが……」
思わず俺も感嘆の溜息が零れてしまう。
「パーフェクトに完成したのは何時だったか?」
「さあ……だが、完成前から高層階が売り出された事と……避難住宅なのに売られて驚き、金持ちに高額で買われていって更に驚いた事はしっかりと覚えてるよ」
「ファクトリーに関りのない人間まで買うとは驚きだったヨ!」
マイキーの演技がかった声を背に改めて眼前の超巨大建造物へと視線を送る。
高さの方は奥に見える『ジョット気流に先端を吹き飛ばされたランドマークタワー』よりも明らかに低い……だが、その横幅の方は明らかに桁違い、東京ドーム何個分の敷地があるのか、そんな見当もつかない程のサイズである。
そんな超巨大建造物がグングンと近づき、顔を見上げるほどになっていく――
「スリルを味わいたいというアホな金持ちが挙って買ったらしいな……」
面食らって黙り込んだ我々の代わりとばかり、今度は金田が徐に口を開いたのだが、その表情からはアホらしいという感情がヒシヒシと伝わってくる。
そんな金田の想いに賛同を示しながら俺は答えを返す。
「あれだけの質量があれば『数秒であれば何でも溶かすというアシッドの強酸』にも確実に耐えられる。まあ、本当に少しだけのスリルを味わいたいのだろうな」
そこまで言ったところで溜息を吐き出した俺……更に言葉を続ける。
「まあ、彼らが出してくれた凄まじい大金のおかげで実際に必要があって入居する一般人の負担が大いに減った訳だ。むしろ、感謝しておこうじゃないか」
「感謝ねぇ……ふん」
さて、多摩川を超えてから長々と続いた工場地帯、その無機質でただ真っ白であった建造物群と違い、この建物は随分と見た目に気が使われているようだ。
暴風の中、滅多な事では人に見られないにも関わらず、外壁という名の防御壁に何やら美しい様々な紋様が刻まれているのだ。決して派手なモノではないが、ここに住む人々に少しでも平穏を与えたいという想いから刻み込まれたのだろう。
うろつく『AA-PE』がいなければ素晴らしいモノであっただろう……そんな壁面を遠目に我々は離れた地点から建造物の地下への進入口へと吸い込まれていく。
◇
駐車場のあった地下一階から関係者用エレベーターを抜け、地下三階の商業エリア……超巨大ショッピングモールと言うべきエリアへと我々は向かう。
「相手の姿も分からんとはな……一体なぜ? 連絡ミスか?」
「それよりも相手はレディーとなってるぞ!」
「待ち合わせの場所に既に待っていると言ってたからな……行けば分かるだろう」
気ままな雑談をしながら最後の検閲を終え、厳重な扉を通り抜けた我々……そんな我々の眼前に驚くべき光景、普通では見れない光景が広がる――
超の付く巨大な公園……色とりどりの木々や花々、そして美しい装飾が施された噴水に街灯の数々、公園の向こうには列をなすような商店街と思われる七階建ての建造物……そして天井と思しき場所には太陽と青空の広がりまでもが見えたのだ。
それらを纏めて目にしたアリスの感嘆の声がスマホを通して更に響き渡る。
<データ上では知ってたけど……誠二の視線から見ると驚きも格別ね! でも……空はなんで再現されてるのかしら? 今までの構造物には無いモノね……趣味?>
「空は……人として必要なモノだったと今になって分かったんだ」
<ふーん、人としてね……良く分かんないけど覚えておくわ>
今は昼時なのだろう……生活時間に合わせた白く美しい輝きが天井から降り注がれているようだ。眼前の少し眩しいくらいの輝きに思わず目を細めてしまう。
だが、そんな俺の視線の先、こちら側の何もない公園の明らかに誰も来なそうな場所に人を待つ素振りの一人のサングラス姿に帽子の少女の姿が飛び込んでくる。
そんな少女の姿を見るや否や何故かマイキーが走り出す。
「まさか、あの少女が待ち合わせの……?」
「あの子だっ! 絶対だ! 間違いないっ! 匂いが違うっ!」
「おい、マイキー! 待ってくれっ!? に、匂いってなんだ!?」
瞬間移動したように一瞬で彼女との距離を詰めたマイキーを我々も追う――
さて、そんな後追いの我々の視線の先でマイキーと挨拶を交わしたであろう少女が周囲の視線を気にしながらもサングラスと帽子を取ったようだ。
その所作、その姿に俺は少しばかり驚いてしまう。
眼前の少女の姿が同僚の田沼に浪川、産総研の川島……俺の知る美しい可愛らしいと思う三名、そんな彼女たちに負けず劣らずに美しい少女であったのだ。
やや明るい焦げ茶色の髪、艶のある髪質は非常に柔らかいようだ。偶然なのだろうが、一人だけ人工的に造られた室内の風によって髪とスカートが靡いている。
身長は百六十五くらい、体重の想像はつかないが細身で筋肉質なようだ。
バレエやダンスのような体幹が強く鍛えられるようなスポーツを嗜んだのだろうか……普通の人々のようなフラフラした様子が見受けられない。何やら話しかけているマイキーと遜色ない程のバランス感覚を持っているように見えるという事だ。
只者ではない事だけは間違いないと思える程――
だが、年齢の方は十七歳程度だろうか……とてもじゃないが広報担当官、役所の人間や自衛官とは思えない姿形であるようだ。マイキーの勘は信じているが、やはり彼がただナンパしに行っただけなのだろうかと思わず訝しんでしまう。
「あそこが落ち合う場所だったな……となると、やはり彼女が広報担当官か?」
この俺のやや独り言じみた言葉に何故か返事はない。
それどころか、チラリと振り返った位置の金田は何やら茫然としており、ついで覗いたスマホに映し出されたアリスは少しばかりムスッとした顔をしていたのだ。
だが、次の瞬間にそのアリスがワナワナといった感じで口を開く。
<私の勘が言ってる……あいつは敵だわ>
何を言ってるのか全く分からないアリス、口が半開きのままな金田……明らかに様子が変になった二人に首を傾げながらも俺はマイキーの元へと向かう。
次の瞬間、そんな我々一行の姿に少女が気付いたようだ。
少女の表情が明らかに嬉しそうなモノへと変わっていく――
これは……こちらが何者なのかを知っているという事である。
名前すら知らされなかった謎の美少女への不信感が高まる。だが、それを隠すように俺は会釈をしつつ、彼女へとゆっくり近寄っていく。