056 信頼、警戒、心の狭間
いずれ来る『失地回復』、その為の通信強化――
さて、今回の作戦の遂行にあたり本部は幾つかの中継地点を作り出した。以前、我々と共に進軍した通信大隊と後方支援連隊が造り上げた新たな中型拠点である。
これらは光が丘基地から突出した位置に幾つか造られ、前線との通信中継、イザという時の避難所、何よりも敵を引き付ける役を負う事となる。
ともあれ、どの機能も以前のモノよりも大幅に強化される事となったそうだ。
その甲斐あってか……今までならば通信不能レベルであった距離・天候下において、我々は何時でも比較的に安定した大容量通信が可能となった。
そう、AIによって前線の解析情報が作られ、それを本部が受け取り、その場で大容量のデータ付きの修正案を瞬時に前線へと送り返せるようになったという事だ。
そして……これは『その素晴らしい力の弊害の一つ』と言って良いだろう。今まで始末書でしか見る事がなかったような信じられない文字数に俺は目を滑らせる。
「これは……現在の我々の安全確保について……なのか……?」
だが、そんな必死な俺を横目にアリスが絶句する――
<なんで……なんでなんでなんでぇ!?>
彼女のショックを受けた言葉を受けた俺も急いでメールへと目を通す。そして彼女同様、大いに衝撃を受け、彼女同様に大いに絶句する事となる。
「撤退……撤退だと……!?」
簡単に言うとメールにはアクシデントが続き、危険な為、すぐに撤退せよと書かれていたのである。しかも、連隊長、中隊長、諸々の博士の署名付きである。
<な……なんでっ!? ここまで追い込んでおいて……むしろ、こんな有利な状況を作れたのにっ! 撤退っ!? なんでっ!? 意味わかんないっ!>
逸早く、やや正気に戻ったアリスが興奮気味に不満の言葉を投げ掛けてくる。
「こちらはもう安全だと感じているが、本部から見ればエリアごと危険なんだろう。まあ事実、ここまで問題続きであった訳だし撤退させたいというのも……だが、連隊長たちがこのタイミングでこんな指示をするとも思えんという気も……」
長々と愚痴る様な俺の早口を受けたアリスがすぐに答えを返す。
<あっ! きっと、神田幕僚長が茶々入れしてきたのよっ!>
この言葉に少し考えた俺はすぐに口を開く。
「うーむ、考えられない事もないが……先日の決断をした彼の案とは到底思えない……どちらかというと生粋の政治家みたいな連中からの茶々のような……」
「じゃあ、誰よっ!?」
更に鼻息荒くなるアリス……だが、そんな彼女を諫める。
「それより、これだけ早くキッチリと返信されてきたという事を考えるべきだな……何せ、撤退させる意思は相当に固いようだからな……さて、どうするか」
<私は撤退なんてやーよ!>
明らかにプイッと顔を逸らしたであろうアリスから思考を戻す――
何はともあれ、普通に考えれば命令である以上、迷わず撤退である。
だが、先ほどのアリスの不満の言葉通り、ここまで達成したにも関わらず、敵を目の前にしてただ撤退というのは大いに癪に障るというのも事実である。
さて、確認の意味を込めてアリスにもう一度だけ問い掛ける。
「アンノウンの姿と巣の様子は送ったんだな?」
<追加で……すぐに後から送った>
「その様子では追加の方の返事は無しか……」
<うん……既読だけど、それには返事なし……>
頭の中で色々な考えが信じられないような速さで浮かんでは消えていく――
そして気に喰わない命令を受けた事で反骨心でも生まれたか、それとも短期間でアリスの影響を受けすぎてしまったか……俺の中に嫌な名案が浮かび上がる。
「我々の安否を気遣ってくれた上での命令だ……事情はどうあれ撤退する」
この俺の言葉にアリスが当然のように素早く反応する。
<……っ!? や、ヤダ……うぅ、ヤダって言いたいけど……よく考えたら犠牲を出さないようにしろっていう条件もあった……わね>
だが、もう一つの成すべき事、犠牲を出さないという点を思い出したアリス……ぐうの音は出たようだ。続けざまに『ぐぬぬっ』と悔しそうな声を発する。
だが、そんな悔しそうなアリスに俺はニヤリと笑い掛ける。
「だが、そのままでは帰らんぞっ! アリスっ! 建物を破壊だっ!」
<建物を破壊……っ!? なるほどねっ! 了解よっ!>
すぐに理解したアリスが建物からドローンを逃がす。それを待たず、俺は周囲の警戒を続けていたマイキーと金田、二人の小隊長へと声を掛ける。
「話は聞いていたな?」
そこまで口にしたが、有能な二人には皆まで話す必要は無かったようだ。
「オーケー! 奴を残骸で閉じ込めるんだな? それなら安全は問題ないな!」
「現状、アンノウンを置いていけば見失う可能性が高い……こちらも了解だ」
明るく楽しそうに声を上げたマイキー、冷静に淡々と答えを返してきた金田、この二人の十分に理解したという意味を含めた短い返答……その言葉に満足した俺はそれぞれの破壊するエリア、その方法をアリスを介して素早く伝えていく。
◇
<ねえねえ、あれだけで大丈夫かな?>
ようやく撤退を開始した我々……自らの足で周囲を警戒しながら歩く俺の耳にアリスの心配そうな後ろ髪が引かれているかのような声が聞こえてくる。
<あの体育館の重量物って鉄骨くらいでしょ? 重さ足りるかなぁ?>
「奴らの力を考えると物足りないだろう……だが、あれ以上の時間を掛ける訳にはいかんからな……運良く、閉じ込め続けられる事を祈るしかあるまい」
……とは言ったものの、このアリスの不安も大いに理解できる――
即時撤退を上層部から命令された我々に残された時間は少ない……と言うよりもほぼ無かった。当然、アンノウンを捕獲してノロノロと連れ戻る時間など無い。
そこで俺は撃てる分のネットランチャーをアンノウンの見えていた脚部に撃ち込み、その上で建物の四方を撃ち抜き、崩壊させて天然の牢獄としたのだ。
数は多くとも力の弱そうな細い脚部しか持たないように見えたアンノウン……あいつだけであれば、ここに数日は閉じ込めておけるだろうと踏んだという訳だ。
「生命力は折り紙付き……外部からの干渉が無ければ問題ない……とは思う」
<ふふ、中継地点がなければ、聞こえなかった振りで持って帰れたのにね?>
以前ならば、こんな面倒事でも簡単に誤魔化す事が出来たのにという想い……このフッと頭を過った考え、口に出さなかった言葉にアリスが勝手に答えを返してくる。だが、俺はそんなアリスの勝手な言葉に答えを返さずに思い悩む事となる。
今回の作戦の終わりが結果としてノアの考え通りになった事に対してである――
そもそも、彼の言葉に一理あった。
それが別の人間によって本部でも採用されただけではあるのだが……俺がそう考えた次の瞬間、アリスによって全ての無線がコッソリと切られる。
<何か、ノアの事を考えてるみたいだけど……私はもう気にしてないわ! あの時は少しムカッてしたけど……だって、皆の身の安全を優先するって悪い事じゃないもん! 赤城中隊長も出撃の時、『決して無理をするな』って言ってたしね!>
こちらの脳波から、『表層の言葉や僅かな感情の起伏』を読み取ることができるアリス……そんな彼女がこちらの言葉を待たずとばかりに声を発する。
やはり、奥の奥にある深層意識は読み取れなかったようだ――
俺が考えていたのは『ノアの繋がり』……偶然の可能性が圧倒的に高いというのは分かっているのだが、これほどに似通った命令が下りてきたという事は同様の考えを持つ者、彼と深い繋がりがある者が本部内に存在するのではと考えたのだ。
そして……その繋がりのあるモノは当然――
さて、その存在に悪意があるか、敵対する意思があるか……今はまだ、何も分からない。だが、明らかに警戒を促すアラームが心の奥底から発せられる。
俺はそれを信じ、無邪気に話を続けるアリスから少しだけ心を閉ざす――