053 ノアの反論
刺々しい頭部が吹き飛び、鋭い鎌がはじけ飛ぶ。黒々とした体液に彩られる事となった様々な部位……辛うじて形を残した部位が次々と積み重なっていく――
十三体目のインセクタムの反応が消失した所で俺は射撃停止を指示する。未だに動きを見せないアンノウン……その最後に残された一匹を遠巻きとしたのだ。
だが、ここにきて少しばかり意見が割れる事となる。
割れたのは小隊長同士の意見ではなく、驚く事にノアとアリスたちであった――
俺とAIだけが使える専用回線にアリスの怒声が響く。
<ノア、意味わかんないっ! この状況で撤退っ? 意味わかんないっ!>
このアリスのイライラとした言葉に珍しくリサも同調する。
<ホント……この圧倒的な状況で撤退を優先なんて……堅実というよりも弱気……そんな事をすれば間違いなく、私たちの評価が落ちると思いますわ!>
姿があれば間違いなく二人揃って腕組みして睨むようにノアを見ている所だろうか……だが、そんな二人の言葉に動じることなくノアが答えを返す。
<現時点での我々の評価は確実に合格点を超えています。アンノウンを捕獲をせずとも我々が今後の主体となるのは確実……無理をする必要はないという事です>
さて、このノアの言葉……決して間違いという事ではない。
むしろ、今回の戦闘データがあれば試作型AIと新型『AA-PE』の力を見せつけ、飽和攻撃を踏み止まらせるという目的は十分に達成できる。無理して捕獲作戦を行う必要は無いというノアの意見は真っ当に正論という事だ。
だが、このまま何も仕掛けずというのは余りに格好がつかないのも事実である。
今回の強行偵察の主目的に『目撃された新種の捕獲』がある以上……ましてや、実際に新種を補足し、有利な状況を維持した以上、この捕獲作戦は実地するべき……つまり、鼻息荒くするアリスとリサの言葉もまた正論という事になるのだ。
結果、俺は大いに頭を悩ます事となる――
まあ、簡単に言うと俺は安全を重視するというノアの考えに本来は賛成なのだが、このまま何もせずに撤退では少し物足りないと感じてしまっているのだ。
そう、俺が悩んでいたのは全く別の問題……俺は『ノアのメンツをどう立てるか』……という問題に大いに頭を悩ましていたのだ。
そして決して多くない時間を思考に回した俺はようやく一つの決断を下す。
「本来、俺はノア君に近い考えなんだが……いつの間にか、アリス色に染まってしまったらしい。君たちの更なる力を試してみたい……そう感じてしまったようだ」
アリスとノアの両者に一定の配慮を見せつつ、『君たちの……AIの更なる力を試したい』という言葉でAI全体を立てた台詞である。これならノアくんの面子も立つだろう。アリスの嬉しそうな感嘆の声が響く中、そう自画自賛した俺……
だが次の瞬間、予想外の結果に頭を抱える事となる。
なんと……ノアが激しく反論をしてきたのである――
<お言葉ですが……AIの更なる力、そのような曖昧な要素を試す為に部隊全体を危険に晒す訳にはいかないのでは……と私は考えます。今一度の再考を願います>
これはハッキリと言って驚き……である。
彼の口にした反対する意見も分からんではないのだが、これをもって『捕獲作戦』にここまで激しく反対・反論をしてくる意味が全く分からなかったのだ。
確かに……姿形、その能力も分からぬアンノウンを相手とならば危険は伴う。だが、強行偵察である以上、その一定の危険は我々全員が承知の上なのだ。
むしろ、現在の状況は捕獲作戦を考えると素晴らしい程に状況が良い。天候は悪化してきたが、行動の妨げになる程ではないし、この周囲に敵勢力が存在しない事は確認済み、その上で我々の戦力は過剰と言える程に充実しているのである。
むしろ、今を置いて捕獲に適切なタイミングは無いだろうというレベルなのだ。
このノアの反論にまた少し異常なモノを感じ取る――
だが、やはり今もまた確認の時間は無いようだ。
「君の意見は一理ある……いや、正しいのは君の意見かもしれないというレベルだ。だが、そうである以上、意見を言い合う時間は無い。意味は分かるな?」
この俺のハッキリとした言葉にノアのこれ以上の反論は無かったようだ。
<了解です……隊長の判断を尊重いたします>
このノアの短い返答に何も変わりはない……いつもと何ら変わらないはずなのだが、俺はこの返答の声色に冷静を通り越し、冷たさを感じてしまう。だが……
<もうっ! ノアは心配し過ぎなのっ!>
<ま、アリスみたいのが居るからと考えるとノアの気持ちも分かりますけどね>
<むっ!? 違いますーっ! リサみたいに場を乱すのが居るからですーっ!>
我々の間の冷えた空気を察したのか、はたまた何か違う理由なのか……アリスとリサが仲裁するかのようなタイミングで掛け合いを始める
この何とも言えない雰囲気の中、俺は部隊の皆へと指示を伝えていく。
◇
さて……護衛というべきインセクタムの壊滅、我々の包囲網……それを知ってか知らずか、未だに動き一つ見せないアンノウンに僅かな引っ掛かりを覚える。
正確には何やら作業をしているようにも見えるのだが――
だがやはり、何もせずにはいくまいと改めて決心した俺は皆に命令を下す。
「マイキー隊、金田隊は配置をそのまま……まずは俺が陽動を掛ける。その後、相手の能力を把握次第、捕獲作戦の可否を伝える。基本は消極的な捕獲作戦……アンノウンの退路も残す。決して無理はせず、我々の無傷での撤退が第一だ」
この最終確認をもって俺とアリスは前進を開始する――
さて、捕獲対象である『アンノウン』が潜む体育館らしき建造物までの距離は五十メートルほどである。その僅かな距離を俺はゆっくりと慎重に抜けていく。
機体の関節部にそこそこの負担が掛かるが、足音も出来る限り消すために着地寸前に足を一瞬だけ止める念の入れようで前へと進んでいく。
そんな中、忍び足で近寄る機体の邪魔はしないとばかりのアリスの囁きが響く。
<アンノウンは変わらず、あの建物の中ね……体温はあるみたいだから生きてるのは間違いないわ……何で動かないのかは分からないけど……>
このアリスの警告を受けたからではないが、自身の内に嫌な予感が溢れ出す。いつの間にか溜まってしまった唾を飲み込んだ俺に又もや声が掛けられる。
<落とし穴とか?>
「ソナーで確認済みだ」
<今、この左右の建物が崩れてくるとか?>
「先ほどの戦いで崩れなかったし、今も兆候はない」
<また待ち伏せとか?>
「無くはない。だが、有るなら先ほど使う可能性の方が高いと思う……もし、油断を誘う罠として取って置いたのなら……人類は終わるかもしれないな」
<やーね……>
高まる緊張を解す為、俺とアリスは忙しなく口を動かす。だが、幸いな事だろうか……何も起こる事なく我々は遂にアンノウンの眼前へと辿り着いてしまう。
アンノウンの様子も変わる事無く……である。
これには俺も呆然としてしまう――
「ここまで来て一切動きが無いとはな……」
<あそこから出てきてくれないと捕獲できないんだけど……>
何はともあれ、こんな事は初めてである。
<誠二……どうするの?>
「ううむ、捉えるなら無傷で捉えたいが……」
ともあれ、建物に籠ったまま動かないのであれば好都合とも言える。建物を弾き飛ばす等の行為に及ばなければ、初手はこちらが取れる公算が高いのだ。
そう考えた俺は未だに動き一つ見せないアンノウンへの距離を更に詰める。
だが次の瞬間、眼前の姿見えぬアンノウンが溜息のように大きく息を吐き出す。更に次の瞬間、同じ外部マイクを通してぼちゃりという大きな音が響く。
その奇妙な音に俺は首を傾げる――