050 捕獲作戦
真っ黒な雲が空を覆い、上から下、そして左に右へと忙しなく雨粒が飛び回る。
昔にあった一瞬で信じられないような雨を降らしたというゲリラ豪雨……それに暴風を付け足したような異常な雨が機体を激しく何度も叩く。
その酷い雑音に負けじと俺は必死に声を張る。
「全機、ドローンを回収っ!」
だが、この命令に返ってきたバラバラの答えからは覇気が感じられない。皆、実際にアンノウンに遭遇する事など無いだろうと何処かで思っていたという事だ。
一気に悪化した天候……鳴り響く雷鳴が皆の不安に拍車を掛ける――
困惑を隠せない彼らに俺は集中しろとばかりに新たな指示を送る。
「よし……皆、深呼吸だ! 幸いにして敵に動きは無い! ついでに今一度、装備の簡易チェックをしろっ! 二分以内に終えろよ?」
本来であれば繰り返しとなる必要のない行為……むしろ、無駄な行為である。
だが、我々の部隊の面子のように性格が繊細であると、こういう小さな……言い換えると成功体験を積ませる行為が意外と重要となってくるのだ。
例え、貴重な数分を使う事となっても……である。
ともあれ、その猶予があった事に感謝し、我々もその作業をこなしていく――
「アリス、俺は機体の稼働確認を行う。君は装備の稼働確認を頼むぞ」
<任せてっ! まずは肩部・アクティブカノンからチェックをしていくわ>
彼女の可愛らしい声を合図に右肩に僅かな衝撃が伝わる。同時に俺の視界の上にアクティブカノンの砲塔の先端が滑り込んでくる。
その動きがピタリと止まるや否や、今度は信じられないような滑らかな動作で砲塔の先端が弧を描くようにして背部へと消えていく。
並行して行っていた稼働チェックもアリスによって次々と報告される。
<右腰部・小型誘導ミサイルの開閉確認完了! 両腕部・高周波電熱振動ブレードの起動確認! 続いて右手・手持ち式レールガンの通電確認っ!>
同時に各部のノズルも順に小さく動かされる。今頃、向きを変えたり、絞ったりされている事だろう。それらに合わせて俺もやるべき事をやっていく。
「両腕部・ブレード収納確認……改めて右腕の稼働確認っ! レールガン、ミサイルボックスとの干渉無し! そのままネットランチャーの装備確認へ移る!」
俺はモニターの左端に映されたサブカメラの映像へと目をやる。そこに機体の左腰部・ミサイルボックスの代わりに付けられたネットランチャーが映し出される。
同時に俺自身の動きに合わせて機体の腕が動き、手を模した複雑なマニピュレーターが正確にランチャーへと向かう様も映し出される。そして……
「ランチャーを確保、同時に通電を確認、再装填作業はスキップだ!」
<了解っ! こっちはテイザー・ショックウェーブ通電・可動を確認!>
腕部と一体となった盾……そこに取り付けられたテイザー・ショックウェーブが盾部と一緒に前方を守る様な位置へと動かされ、今度は真横へと戻る。
アリスの補助のおかげでアッという間に確認の機体が終わってしまう。
ここで俺は改めて、それぞれの小隊に送った作戦の概要へと目を通す――
「体育館に陣取るアンノウン、その眼前で大人しくする三種のインセクタムの集団にマイキーが単機で陽動を仕掛けて彼の小隊の待つ総隊司令部跡の広場へと誘う。その横っ面に我々が就き十字砲火……背面を金田隊が塞いで残党を狩る……か」
そして……チャンスがあれば、捕獲も行う。
<相手は新種も含めた十五、六体くらい……私たちは十機だけど……>
こうやって口に出してみると実に簡単そうに聞こえるが、現実は余り上手くいかない。特に初の試みとなる『捕獲作戦』となれば尚更である。
やはり、アリスの方も俺と同じような不安を感じているようだ。
<捕獲の成功確率……どれでも良いなら50%くらいって出るけど……>
「今まで生きたインセクタムを捕獲する余裕すらなかったからな……その計算は当てにならんだろう。まあ……アント一匹でも連れ帰れれば御の字と考えよう」
ともあれ、敵を前にもう四の五の言ってはいられない。
我々の小隊も作戦を遂行すべく動き出す――
「ホバーは我々の攻撃開始と同時に固定を解除……俺との距離は十メートルを維持しろっ! 三島機はホバーに貼り付けっ! 身を挺してでも敵を寄せるなっ!」
高梨と三島の少し高ぶった声色を伴った了解の返事が戻る。やはり、緊張はしているようだ。だが、それによって動きが悪くなるような委縮は感じられない。そんな少し頼もしくなった二人の返事を合図に今度は田沼と大崎へと声を掛ける。
「田沼機と大崎機はいつも通りっ! ノア、リサっ! 二人の補助を頼むぞっ!」
この声掛けに隣り合った二機から重なり合った了解の答えが返る。
俺は時刻を読み上げ、全部隊に作戦開始の合図を送る――
だが、次の瞬間……大きな異変が起こってしまう。ここまで近づいても全く動きを見せる事がなかったインセクタムたちが突如として動き出したのだ。
高梨の驚愕の声が無線を通して響く。
「橘隊長っ! 奴らが動き出しましたっ! たぶん、全部が一気に……音が重なって分からない……っ!? レーダーに感ありっ! 我々の方に向かっています!」
突如、我々の気配に気付いたのか、はたまた他に原因があるのか……何はともあれ、マイキーの陽動の前に一気に事が動き出してしまったようだ。だが……
だが、言い換えると待ち伏せではなかった。心配していたインセクタムによる罠ではなかったという事になるのだろうか……少しホッとしたような、やはり腑に落ちないような、そんな何とも言えない奇妙な感覚が俺の心の内に広がる。
どちらにせよ、俺の緊張感は増し、逆に大いに冷静になったようだ――
「ホバーは固定を緊急解除……三島機と共に後退っ! マイキーと金田に新しい状況を送れっ! 田沼機、大崎機は俺を援護しながら退け! 射撃優先は俺だ。取り零しは頼む! ホバーは奴らがどのルートを通るかの確認も急げよっ!」
さて、普通に考えると今回のルートは二つ……左手の総隊司令部に隣接する我々の正面に位置する道路、もう一つは右手の建物の駐車場がルートとなるだろう。
だが、相手は縦横無尽に動くインセクタムである。
当然、別のルートも使ってくる――
そう、奴らは建造物に足を突き刺し、無理矢理に壁面を登る事が出来るのだ。
「正面と右手・建造物の上に反応ありっ!」
予定は……大いに変更となる――
左手の総隊司令部、右手に見える三階建ての建造物、右後方の八階建ての大きな建造物、そして左後方の公園跡地を順に確認した俺は全機に改めて指示を送る。
「全機、ホバーのいる公園まで退く! そこで防衛線を張り、両隊を待つ!」
今度は我々が誘い込み、マイキー隊と金田隊が退路を塞ぐ形とするという事だ。
先ほど言った通り、インセクタムは建造物を平気で超えてしまうが、平面が広がる場所まで引き込めば充分に火力を集中できると判断したのだ。
引き付ける為、ゆっくりと機体を後退させていく――
そんな俺の視界の内……右手の建造物の上部に熱センサーによって捉えたアント……アリスによって画像補正された姿が映し出される。
先ほど高梨から伝えられた登ってきた内の一体のようだ。
僅かに逸れた俺の視線……次の瞬間、その隙を突くように今度は二つの建造物に挟まれた正面の道路を二匹のシックルが全力で走り抜けくる。
実に嫌なタイミングである。
「アリスっ! 上の奴を頼むっ!」
<了解っ!>
アリスの返事が聞こえるや否や、肩部・アクティブカノンが動き出す。僅かな音を発すると一瞬で砲塔が上向きに動き、球形の台座が僅かに回る。
上を取られる事を嫌がった俺の想いをアリスが正確に受け取ったのだ。
瞬時にロックオンされたアントが形も残さずに消し飛ぶ――