046 暗雲低迷
「了解だ……我々、金田隊は川越街道から朝霞駐屯地を掠めていく」
さて、金田一等陸尉もプロフェッショナルであったという事なのだろうか……
片眉が上がった不満そうな、苦虫を噛み潰したような渋い顔……その表情に一切の変わりはないが、先ほどの事など何も無かったかのようにサラリと答えを返してくる。正直な所、先ほど睨んできたという事実の方が間違っている気分となる。
兎に角、あの時のような不快な敵意は今の彼からは感じられないようだ――
さて、睨みつけるのはただの癖なのか、それとも巧妙に隠しているのか……そもそも、あの程度くらいは何とも思っていないのか……それは全く分からない。
ともあれ、眼前の男からは落ち着きと冷静さが見て取れるように思える。
コッソリと横目で観察し続ける俺……だが、いつまでも観察とはいかなかったようだ。続くマイキーの声によって俺はすぐに現実へと戻される事となる。
「我々は南の公園地帯を抜けて西へと向かう。セイジは基地のセンターを抜けて向かう……そして黒目川の先のエリアまで偵察して道を変えて戻る……オーケー?」
そのマイキーの確認の言葉に俺は小さく頷く。
そして改めて必要最小限の最終確認をしていく――
「何事もなければ、それで良しだ。だが、アンノウン……今回の呼び名は『コマンダー』か……そいつを見かけたらエリアの全小隊で包囲だ。仮に我が隊が最初に見つけたとしても君らの到着を待つ。確実に捉えられる状況を作り出すんだ」
この俺の言葉を受け、二人の小隊長が合意とばかりに小さく頷く。
◇
出撃前の直立した状態での最終チェック、その為に組まれた大掛かりな足場……整備用ハンガーへと辿り着いた俺に対して二人同時から声が掛かる。
<どうしよう! ぜんぜん分かんない! あの人……怒ってたのっ!?>
「隊長っ! 俺って……やっぱり、迫力が無いんですかね?」
被さるように響いたアリスと大崎の情けない声に思わず目を瞑る。
どちらも明らかに大した要件ではないので、どちらも公平に無視したいと考えてしまったのだ。だが、流石に無視という訳にはいかない様だ。
捨てられた犬、濡れそぼった犬のような瞳で二人がこちらを見てくる――
諦めた俺は二人のどうでもよい疑問に順に答えていく事とする。
「まずはアリス……怒ってはいたと思うが、彼もプロだ。何の影響もない。それよりも……それ程に気になるのならば、この作戦が終わった後に謝罪に行こう」
<謝罪……>
「放っておくのも一つの手……別に悪い方法ではないぞ」
ムムムと唸るアリスを放って今度は視線を上げて大崎へと目をやる。
「大崎……君は三島の存在の所為で短期間で一気に成長したと思うよ。上に立つ自覚が湧いてきたんだろうな……何よりもリサくんのおかげで甘えも減ってきた。今が君の成長期という事だ。迫力とやらは成長に併せて付いていく……はずだ。」
こう答えた俺は今は見えない彼女へと問い掛ける。
「……と思うのだが、パートナーの君はどう思う?」
次の瞬間、リサが待ってましたとばかりに声を発する。
<今しがた、甘えた台詞を吐いた男に……本当、隊長さんは甘やかし上手ですこと……まあ、成長したかどうかと言われると成長したとは思いますけどねぇ>
フフンという意味深な彼女の小さな鼻息が聞こえてくる。
自慢をしたいのか……意地悪したいのか……まあ、その両方なのだろうとは思うが、どんな顔でこの言葉を発したのかは是非とも見てみたい台詞である。
思わず鼻で笑ってしまった俺に対しての不満の声が聞こえたが、今は放っておく。出撃寸前だけに俺は他のメンバーの様子も窺わなければならないのだ。
まずは……とばかりに明らかに凹んだ様子を見せる田沼へと駆け寄る。
「何か……あったようだが……」
彼女に……正しく俺の声は聞こえたようだ――
自分の機体の腰部・マシンガン、その給弾作業を手伝いながらではあるのだが、彼女の申し訳なさそうな弱々しい声が辛うじて返ってきたのだ。しかし……
「大崎くんが三島くんを怒っていたんです……でも、彼……怒ってる風でも根っこの優しさが隠しきれてなくて……私、思わず可愛いって口にしてしまって……」
どうやら大崎本人は威厳を見せつつ、しっかりと怒っていたつもりが……周囲から見ると、そんな事はなかった。その何とも言えない現実にショックを受けた大崎が先ほど俺へと泣きついた……そして大崎を傷つけたと感じた田沼が大いに凹む。
……と言うのが、この一連の件のあらましのようだ。
さて、可哀そうではあるが……大崎の方は良い――
だが、俺の眼前で凹んで見せる田沼の方は余り宜しくないようだ。
彼女は根の優しさと甘さ故、意図して通常モードと軍人モードを切り替える。これはスイッチの切り替えで無差別殺人モードになる等ではない。そう、ただ背筋を伸ばし、呼び方を変える事で公私をしっかりと区別するだけの事である。
効果は……本来は十分にあった。
だが、眼前の彼女は未だに呼称が階級ではなく、君付けのまま……既に出撃寸前となっているにも関わらず、彼女の意識はまるで切り替えられていないのだ。
そう、プライベートな彼女の姿のまま……明らかにいつも通りではない。
やはり、精神的に問題があるのだろうか――
だが、そう考えた俺の視線に気付いたのだろうか……ハッとした表情を一瞬だけ見せた田沼がすぐさまに背筋をピンっと伸ばす。そして……
「隊長、申し訳ありませんでした」
まるで人が入れ替わったかのようだ。今しがたまで涙ぐんだように……自信なさげに揺らいでいた心と身体に一瞬にして信じられない程に強い意志が宿ったのだ。
これには一緒に給弾作業をこなしていた作業員もビクリと反応を示す。
さて、元々オンオフの切り替えが強かったが、これは明らかに異常……まるで機械やサイボーグ……それこそAIでも組み込まれているかのような所作である。
何かがおかしい、重要な作戦の前だけに不安が一気に膨れ上がる――
「君は作業を進めてくれ……田沼二等陸尉……君は下へ」
梯子を滑り終えた我々の直上で面制圧用、足止め用に使われる『12.7mm重機関砲』に込められた弾帯がボックスの中で滑るようにして甲高い音を立てる。
稼働の問題、弾詰まりなどが無いかがチェックされているのだ。
そんな激しい騒音の中、俺と田沼が見つめ合う――
だがやはり、彼女の瞳には先ほどのような困惑は一切ない様だ。
再度、異常である事を確認した俺は改めて声を掛ける。だが、声を掛ける相手は眼前の田沼ではなく、彼女のパートナーのノアであった。
「彼女の情緒は酷く不安定と思われる……君の意見を聞きたい」
文句を言い掛けた田沼を手で制し、もう一度、ノアへと問い掛ける。
この繰り返された言葉を受け、ここまで黙っていたノアが初めて口を開く。だが、こちらの言葉も本来の彼の者とは少し質が違うと感じられるモノであった。
<確かに以前と比べて感情の上下は激しくなっています。ですが、この後に想定される戦闘、又は捕獲作業には支障はないと考えます。以上です>
言ってる事に間違いはないのだが、そこに彼女や我々に対する一切の気遣いが感じられなかったのだ。思わず彼もまた何処か異常があるのかと考えるほど……
だが、彼もまた先ほどの田沼のような妙な変化を見せる。
<失礼しました……少し言葉が足りなかったようです……田沼二等陸尉、そして部隊の皆に対しての支障も当然ないと考えます>
一見すると機械的になり過ぎた物言いを反省したかのような台詞……だが、俺の心を読んで慌てて付け足したような奇妙な物言いとも言える。
その小さな違和感に俺は更に疑問を覚える。
だが、そんな小さな事にかまけている時間はやはり無い様だ。出撃開始まで三十分を告げる放送がそこらかしこのスピーカーから鳴り響いたのだ。
「田沼二等陸尉、ノアくん……問題を感じたら隠さず伝えてくれ……以上だ」
言葉に出来ぬ違和感を残したまま、俺は自身の機体の準備へと急ぐ――