044 再燃した疑惑
<日本語モードで対応します。初めまして橘一等陸尉……私は『マイケル・ヴィクトール・ダグラス』大尉の専用にカスタマイズされたサポートAI『アスカ』です>
スマートフォンの画面が固定されたまま放り出されたようだ。
残念な事に俺から見ると逆さに表示される事となった女性……勝手に切り替える権限も持っていないという事だろうか……ともあれ、何処かで見た事のあるようなアスカと名乗った少女が眉一つ動かす事なく淡々と俺へと声を掛けてくる。
さて、冷徹な声質、未だに表情一つ変えずに返事を待つ姿、ここまでの僅かな対応だけを見るとマイキーの言う通り、彼女はエルザに近い機械的なAIのようだ。
まあ、戦闘中も良く喋り、決してへこたれる事のないマイキーのサポートAIとしてそれらは必要としていないという事なのだろう。ともあれ、アスカと名乗った彼女は完全にマイキー専用に性格や能力をカスタマイズされているという事だ。
簡単に彼女の値踏みを終えた俺は返事を待つ少女へと声を掛ける。だがまあ……やはりと言うか、アメリカ製もそれだけだけでは無かった様だ。
「アスカ……良い名前だな」
<名前は大尉の好きなアニメから付けられました。以後、宜しくお願い致します>
「お、おいおい、アスカ! アニメの下りは必要ナッシングだろ?」
珍しく慌てたマイキーが我々の挨拶へと横入りしてくる。どうやら、彼女の口にしたアニメの下りは出来れば誰に聞かれたくなかったという事のようだ。そして……その必死な想いを専属AIである彼女が誰よりも無駄に早く察知したようだ。
<名前……そこには名付け親の様々な想いが籠められています。つまり、その由来は名乗りに最も必要な情報です。アリスさんもそう思いませんか?>
俺の眼前にあるスマホ、そこに逆さのまま映るアスカが突如として笑顔を見せる。このやけに強い圧力を同じAIであるアリスは正しく認識したようだ。
<そ、そうね……私も……そう……思うわ……>
見えぬ彼女の引き攣った同意の言葉が響く。そして……
<どうやら、アニメの下りに誤解があるようです。私は名付けの仕方に文句がある訳ではありません。むしろ、付けて頂いた名前に誇りを持っています。ええと、そうですね……大尉が気に入った名前なのだから堂々としてくださいと言う事です>
「い、いや、それは……でも、アニメの下りは……秘密で……」
<やれやれ、アニメを見る事は恥ずかしい事ではありません。どの国においてもアニメが既に一つの素晴らしい文化となっているからです。それなのに貴方は恥ずかしがる。言い換えると、これは精神的な矯正が必要という事になります。まあ、お任せください。一週間ほどで恥ずかしくなくなるように合法な再教育を施します>
これは……名付けに関わる蘊蓄、その正論を盾に嫌がるマイキーへの悪戯では無いようだ。パッと見たところ、その表情や声に嫌がらせの気配が無いからである。
まあ……優秀なAIである彼女であれば、それらの仕草を隠す事は容易いが……
何にせよ、巧妙に嫌がらせをしてくるAI、ただただ正論を言うAI……どちらにしても彼女が一癖も二癖もあるAIと言う事に変わりはないだろう。
俺はアタフタとするマイキーに憐憫の眼差しを送る――
◇
さて、ようやく完成したという米軍製のAIアスカ……どうやら、彼女は産総研の持つ試作型AIの情報をもって試しに造られた代物であったようだ。
冷静さを戻したマイキーが更に言葉を続ける。
「君の所の西島クンなら知っていると思うが、初期に我が国がアリスちゃんの更に試作型の情報を産総研に与え、その見返りに完成させた君たちの情報を貰った。所謂、ギブ&テイク……それを元に今、アスカが試しに造られたという事だ」
「実戦はこれからという事か?」
「いや、先日の光が丘基地防衛戦がデビューの日だ。だが、その後は敵が見つからなくてね……まだ二体のシックルと三体のアントとしか交戦していない」
随分と後発にも関わらず、既にそこまでと驚く俺……そんな俺に申し訳なさそうな表情となったマイキーが続けざまとばかりに声を掛けてくる。
「ソーリー、セイジ……ここからは交渉だ」
どうやら、ここからが先ほど言っていた個人的な情報交換という事のようだ。マイキーによって俺の眼前に残されたままのスマホが指し示される。
「彼女の戦闘記録、思考データの一部を秘密裏に君に渡す。次の作戦、直接の連携の機会があるかは分からないが、きっと役に立つだろう」
そう口にしたマイキーが言葉を続ける。
「ここからは二人だけで話したい。フェアにいこう。アスカもアリスもノーだ」
◇
最後まで表情一つ変えずにいたアスカ、最後までブーブーと文句の言葉を吐き続けたアリス……そんな二人が搭載されたスマホが外で待つアビーへと渡される。
そして……
「久しぶりの再会なのに……こんな駆け引きのような真似をして済まんな……」
扉が固く閉ざされるのを確認すると同時、相も変わらない流暢な日本語でマイキーが喋り出す。そんな彼に向けて俺はすぐに心からの答えを差し出す。
「正直、君の性格を考えると大いに驚いているよ。だが、大切な友人の考えての駆け引きだ。疑問を抱きはするが、そこに不満はないよ」
この俺の返答に満足したのか、マイキーが嬉しそうに何度も頷いてみせる。
「オーケー、早速だが本題に移らせてもらう。実は情報交換も駆け引きもない。この場からアスカとアリスちゃんを追いやる理由が欲しかっただけだ」
一転して真剣な表情となったマイキーから飛び出した驚くべき言葉……AIである二人を追い出したかったという彼の言葉に俺は思わず目を見開く。
だが、そんな俺の心模様を気にもせず、マイキーは更に言葉を続ける。
「単刀直入……だったかな? セイジ、日本の保持するスパコン群である『マザー』……彼女に何か疑問を覚えたことはないか?」
このマイキーの突然の問い掛けに俺の背筋はアッという間に冷たくなる。
「どうやら、『想うところアリ』のようだな……さて、この部屋に盗聴器の類がない事は……在日米軍として……俺個人としても確認済みだ」
だから、遠慮なく話せというマイキー……そんな彼の表情を俺は上から下へと慎重に窺う。普段の陽気さは息を潜めているが、目の奥にはしっかりとした輝きが見て取れる。冗談、嘘、姑息な罠でもないという事だけが確かに伝わってくる。
覚悟を決めた俺はおもむろに口を開く。
「正直なところ、俺は彼女の存在をやや怪しんでいる」
まっだ詳しい事までは話せない。
だが、ある件からマザーに疑念を募らせてしまっているという事、その件はアリスとは既に共有済みである事を慎重に言葉を選んで伝えていく――
この俺からの情報にマイキーが少し驚いた様子を見せる。
「ううむ、アリスちゃんにはもう伝えているのか……だが、それくらいの情報なら……何よりも彼女の性格なら……まあ、大丈夫だろう」
そこまで……慎重な俺がこれほどの秘密を共有するまでアリスと仲良くなっているとは思っていなかった……そんな驚きの表情を見せてくる。
だが、続く彼の言葉で今度は俺は茫然自失する事となったようだ――