041 蘇る記憶、不安な想い
西田博士からのメール……そこに添付された新武装・ネットランチャー、その使用方法を一通りに確認した我々はすぐにシミュレーションを再開する――
「よし、始めるぞ! 今度は公務員宿舎跡地の辺りから侵入していく! 大崎機、開始と同時にホバーと共に周囲の情報収集を開始、しっかりと頼むぞ!」
「大崎機、了解っ!」
この大崎の返事を合図に六度目となるシミュレーションがスタートする。
俺の眼前、完全に真っ暗な状態だったモニターが僅かに明るくなり、そこに何時も通りのシミュレーター使用の際の注意・警告が次々と流れていく。
それらをスキップすると今度は現実と見紛う光景が眼前で造り上げられていく。
マザーの処理能力を流用した高精度シミュレーションマップである――
さてさて、何が違うのかと問われると答えに困るが、こいつは以前に使用した産総研の最新シミュレーターよりも更にリアルになっているのだそうだ。言葉だけで言えば、フレームレートの数値が異常に高く設定されているという事だそうだ。
まあ、いつも通りに一兵卒の俺に詳しくは分からない。だが、目視では認識できなくとも、感覚では何かを読み取れる結果という事なのだろうとは思っている。
ともあれ、そんな現実と見紛う仮想現実の世界へと足を踏み出す――
「ホバーより各機へ! 我々の現在……朝霞駐屯地・公務員……跡地の外れ、風速は17……トル! 風の……は上から直下、雨の勢いもそれの伴ってか、かなり強い……です! 視界は不良、目視では一……トル先も見えません!」
よりランダムに雨風が起こされているのだろうか……現実と何ら変わらない自然な大雨、酷く煩い暴風雨の中、高梨が負けじと叫ぶように情報を伝えてくる。すぐに俺はその言葉と自機の観測情報に相違がないかを照らし合わせる。そして……
「ここ……先は泥濘だ! 緊急の移動の際は足ではなく、ブースターを優先……使用しろよっ! よし……全員、現在の距離・陣形を維持……ら俺に続けっ! それと何度も……言うが、三島機は自動姿勢制御装置を切り忘れ……よ!」
「三島機、了……すっ!」
「良い……だ!」
強い意志を感じる三島の返答……それに満足した俺は前進を開始する。
左右から打ち付けるかのような風雨の中、意外と形を残す建造物の跡を回避する様に抜けていく。そして我々の敗北の地……朝霞駐屯地へと侵入していく。
さて、兎にも角にも視界は圧倒的に悪い様だ――
「ホバー、敵性反……どうか?」
<各種レーダー、通常ソナー共に反……りません!>
アリスによって補正された画像、酷い雨が少し消されて少しだけ明るくなるように調整された景色と併せて右上に見えるレーダーも順に確認していく。『電気、熱、音、動き』、目視、どの反応も一切合切、確かに無い事を確認していく。
そして……
「移動停止っ! ホバー! アンダーグ……ンド・ソナーを展開で……か?」
更に強まったように感じる外の風雨に負けぬよう声を張る俺……正しく反応した高梨が復唱するようにして今度は全員へと丁寧に命令が伝えられていく。
「全員、……停止っ! 移動停止っ! 足元はやや緩い……が、使用に問……ありません! 三波……陸曹、アンダーグラウンド・ソナーの展……備っ!」
「りょ、了解です! アンダー……ウンド・ソナー展開します!」
今度はか細い三波三等陸曹の声が辛うじて無線から聞こえてくる。もう少しだけ大きく声を出して欲しいとも思うが、今はまだ注意をせずに様子を見る。
声は小さくとも他の対応は全て上等だからという事もあるが、何よりも今、強く注意してしまうと更に委縮してしまう可能性が高いからでもある。
ただの依怙贔屓ではない、気弱な彼女は三島とは違うという事だ。
さて、そんな繊細な彼女の展開手順を遠目から片手間に見守る――
「プロペラユニット、ドライブモー……の移行確認……接地完了! 固定……可動します……固定を確認……アンダーグ……ンド・ソナーを展開します!」
彼女の言葉に合わせるようにして横向きだったタイヤが縦向きになり地面へと接地する。同時にゴツい前輪と複数の後輪の間、シャーシの下に隠されていたアンダーグラウンド・ソナーと兼用された固定装置が車体の外へとグンと伸びていく。
慣れた事もあり、随分と手際が良くなったようだ。
このアリスによって補正された画像、豪雨の中でも認識しやすいように強調されたホバーが変形していく様を確認した俺は改めて周囲へと目を向ける。
車であればワイパーを動かしても意味がない程の雨、通常のトラックのような背の高い車なら引っ繰り返りそうな程の風、そのどちらも変わらずのようだ。
訓練なのだから仕方がない……だが、少しだけ鬱陶しくなる――
「アンダーグラウンドソナーの展開、完了しました!」
そんな事を考え、一つだけ溜息を吐き出した俺の耳に高梨の声が響く。想定以上の驚くべき速さでアンダーグランドソナーを展開し終えたのだ。何度も繰り返し、シミュレーション訓練を行った事で彼らの練度も大いに上がっていたという事だ。
大いに満足した俺は小さく何度も頷きながら高梨へと声を掛ける。
「よろしい、周囲の状況はどうか?」
「周囲に敵性……はありません……ですが、足元に『空洞』があるようです」
さて、高梨にとっては何気ない、何の変哲もない情報のやり取り……だったのだが、俺の背中には僅かに冷たいモノが走ってしまう。これは何時ものような嫌な予感ではない。これは……ただ酷く嫌な思い出が一つ蘇ってしまっただけである。
だが、この心の乱れを感じ取ったアリスは瞬時に次の行動へと移ったようだ。
<ノアとリサに確認したわ! 田沼さんも脳波に強い乱れ、大崎さんは……反応なし!? 誠二だって脳波が乱れたのに! 大崎さんって……もしかして大物?>
驚きの声を上げるアリス……そんな彼女に『それは既に記憶にないだけだと思う』と返事をする。そう、大崎は基本的には成長した三島なのである。
兎も角、この彼女からの的確で素早い報告、少しばかりの冗談も含まれた分かりやすい報告のおかげで俺は早々に平常心を戻すことが出来たようだ。
その事に軽く感謝の言葉を告げた俺はすぐに田沼との個別回線を開いていく。
「田沼くん……脳波が……たと聞いたが……大丈夫か?」
意味深にならないようにと発した最低限の言葉……だが、この言葉に答えが返ってこない。無線が切れたのかと思った俺はもう一度だけ念を押す様に声を掛ける。
「田沼くん……無線……うか?」
だがやはり、一向に返事がない。
少し慌てた俺が『架空の無線』ではなく、『シミュレーターの直接回線』を開こうとした次の瞬間、ようやくとばかりに田沼から答えが返ってくる。
「すみません……少しボーっとし……まいました」
一時的とはいえ、意識が混濁する程に頭痛が酷かったのだろうか……そう考えた俺は彼女にもう切り上げるかと提案する。だが、彼女から更に言葉が返される。
「隊長……脳波が乱れ、頭痛が起こ……のは事実です。ですが、特に……はありません。多分、当時の覚えて……記憶が蘇ったのではない……思います」
やけにハッキリとキッパリとした答えである。そして……
<橘……、ノアです。こちら……彼女の状態を確認しましたが、最後となる今回のシミュレーション訓練に大……問題は……と判断いたします>
こちらも又、やけにハッキリとキッパリとした調子で伝えてきたようだ。まあ、ノアの方は元々の言動がこれなので特に問題は感じないのだが……
しかし、僅かに違和感を覚える。
だが、ノアと共に居る事が増えた所為で田沼の方が彼に似てきたという事なのかもしれないと考えた俺はそれなら良いと答えを返していく。
◇
さて、色々とあったが、六度目のシミュレーション訓練は終わりを迎える。だが今回、残念な事に我々は肝心の『新種の敵影』を見つける事が出来なかった……と言うか、新種どころか、ただの一体も見つける事が出来なかったのである。
ただのシミュレーションの結果ではあるのだが、マザーの想定したシチュエーションだけに俺の心の内に違う意味での不安が少しばかり生まれてしまう――
そう、当たり前だが、実際の作戦中に『一匹の敵とも遭遇しない』なんて事になってしまうと『AA-PE』とアリスの良い所など絶対に見せられないのである。
今更、思い付いた一つの想定に俺の背筋が一瞬で冷えていく。
次の瞬間、早速とばかり、アリスによって外との通信ごと無線が切られる――
<こういう可能性もある……って事よね? ねえねえ、不安になった?>
なんだが少し嬉しそうな感じのアリスに答える。
「はぁ……その通りだ。大いに不安になったよ」
むしろ……この想定こそ、最も高い可能性の一つである。
この周辺域で我々は短期間で二度もインセクタムを全滅寸前に追い込んでおり、現実として今、敵が居ない。上層部はそろそろ敵が前線へと戻ると考えているようだし、俺もそう思うのだが、作戦開始時に敵が戻ってくるという保証は無いのだ。
だが、これに頭を悩ますのは俺の仕事ではないと頭を切り替える――
「実際にやってみなければ分からない事を今、悩んでも仕方がない……それよりも現場で敵を引き付ける方法を今、考えておく方がよっぽど良いな……」
<そうだ! 後で博士のところに行ってみる? 何か助言くれるかもっ!>
「悪くないな……だが、彼も今は忙しいのでは?」
<寝る時間を減らして貰うわ!>
このアリスの嬉しそうな宣言を合図に通信と無線が戻されていく――