039 試作型AI『ノア』
この会議までの間、我々は本来の敵であるインセクタムらから目を逸らし、身内である人同士で互いに対立しているという余り宜しくない状況があった。
出世争い、主導権の取り合い、個人的な嫌悪……
内に秘めた想い、曝け出した欲求……色々とあったが、それでも根底にある想い、一人でも多くの国民を救いたいという想いだけは皆同じであったようだ。
そう、一方はミサイルの飽和攻撃による敵殲滅を選んだ。生死の分からぬ一部の国民が犠牲になってしまうという大きな問題点はあるが、自衛隊員の犠牲を大幅に減らし、現時点で目に映る人々、今を生きる国民を確実に救いたいと考えた。
そして一方は強化された『AA-PE』を中心とした部隊での地道な都市奪還を目指した。犠牲は出るが、生死不明の避難所の人々、ここからでは認識できないだけなのかもしれない……そんな国民たちも又、平等に救うべきではないかと考えた。
どちらも国民を救うという目的に向けての最善は尽くしていたのだ――
さて、何かと揉めに揉めた会議であったが、今後の目標が正しく決まる事となった。表向きの目標は三日以内に目撃したという新種の捕獲をする事である。
だが、我々には別の目標がある。
我々の真の目標……それは新型の『AA-PE』の圧倒的な戦闘能力を見せつけ、これを持って世論を一気にこちらへと引き寄せる事……大量の犠牲者なんて出す必要はない、『AA-PE』で失地を取り返せばよいだけだと知らしめる事が目標となる。
だが、嘘を付いてまでして我々が得た猶予は僅かに三日間――
しかも、その内の一日は残念な事に準備する為の期間となる。
何度も出撃を繰り返した機体の修繕が必要であったのだ。だが当然、その時間をただ無駄にする訳ではない。その間に我々は想定訓練を行う事となったのだ。
もちろん、内容は架空のインセクタムの捕獲訓練である。
さて、事情が事情だけに優先的にシミュレーター使用を許可された我が小隊は既に全員が着替えを終えて俺の到着を今か今かと待っているという状況なのだ。
だが、そんな中にも関わらず、俺は突如として立ち止まる事となる。
「済まんが……もう一度、言ってくれるか?」
<だーかーら……マザーの一部を流用して良いって!>
シミュレータールームの寸前、急造の光が丘公園基地の中ではひときわ珍しい未来的な雰囲気をした自動扉の目の前で完全に足を止めた俺は又もや聞き返す。
「マザーの一部と言うと……スパコンを更に繋げて良いという事か?」
<うん! マザーはアクセス用のAIだって言ってたでしょ? 今、それを動かす為にスパコンが三台だけ来てるの……それを私たちで使って良いって!>
シミュレーターの再現度を上げられる提案、本来であれば実に嬉しい提案……なのだが、このアリスからの突然の情報に俺は少しばかり頭を悩ます事となる。
「マザーの一部……一部か……」
別に使って良いと言っているのだから単純に使えば良いのだが……
だが、許可をくれた相手が今、俺の中で最も不信を持つマザーであり、その提供されるというスパコンも彼女が存在していると言うべき場所なのだ。
まあ、よく考えずとも今の我々に何か悪さをするとは到底思えないのだが……
シミュレーションルームを守る頑強な空間、そこへと続く頑強な廊下……いつもと違い、雨風の音が一切聞こえてこない静まり返った空間に更なる静寂が広がる。
そんな中、俺の考えを既に打ち明けているアリスが俺の様子を窺ってくる。
<やっぱり、気になる?>
「気なるし、不安だ……だが、彼女の処理能力を司るスパコンを一時的にはと言え、三台も借りる事が出来れば、よりリアルなシミュレーションを行えるのは事実だ……まあ、何よりも俺に拒否する権限など無いからな……考えるだけ無駄だか」
背に腹は代えられないし……何かされても、されなくても今の自分では何もできない。そう考えた俺は半ば自分に言い聞かせるようにして答えを返す。
「我々は自分にできる事を……目の前の事をしっかりとやっていこう!」
<そうね……うん、それが一番だわ……うんっ!>
この元気な返事を聞いた俺は今度こそ自動扉のセンサー前へと足を進める――
「……っ! 橘隊長、概要は全員に伝えてあります。何時でもどうぞ!」
シュンという軽快な音を立て左右に別れるように開いた自動扉……その先で随分と他人行儀となってしまった田沼がこちらを見ると同時に声を掛けてくる。
「ありがとう……早速、最終確認に移らせて貰おう」
何時もと変わりなく、冷静に返事をしたつもりの俺だったのだが、その心の内には何故だか、少しだけ寂しいという想いが沸き上がってしまったようだ。
返事をすると共に胸の辺りにチクリとした痛みが走ってしまう。
彼女の中から忘れられてしまった記憶というのは決して良い思い出だけでは無い。むしろ、辛い思い出の方が遥かに多いくらいなのだが……
そんな事をチラリと考えた俺、いつものように表情には出さなかったつもりなのだが……何やら怪訝な表情となった田沼がオドオドと声を掛けてくる。
「あの……橘隊長……私……何かしてしまいましたか?」
僅か半年とはいえ、その間の記憶をすっぽりと失くしてしまった田沼……最近の彼女は『今、彼女が実際に口にした通り』、常に何かしたか、しなかったかを気にするようになってしまったのだ。失った記憶の期間……そこで起こった事は俺と大崎でしっかりと伝えてあるのだが、やはり実感は伴わずで不安なのだろう。
「いや、何の問題も無い」
言ってあげたい事はあるが、それを上手く言葉に出来ない。そうであれば、その不安な想いを無駄に増幅させる事も無いだろうと簡潔に答えを返す。
返したつもりなのだが……周囲に明らかに宜しくない空気が広がる。
ここの部屋にいる全員から『え? それだけですか?』、『続きは無いんですか?』という心の声が聞こえてくるような実に嫌な空気である。
次の瞬間、俺はその宜しくない空気を避けるように件の田沼からフイッと視線を逸らす。しかし……その俺の視線の先でやはり大崎が天を仰いでいたようだ。
つまり、俺がまた何かしてしまった……いや、しなかったという事だ――
だがまあ、そうは言っても本当に時間が無いし、この件は後に回そう。
アリスと関わる様になって圧倒的にマシになったのだが、それでも基本的には余りコミュニケーション能力が高いとは言えない俺……そんな俺が何時も通りにそう考えた次の瞬間、その俺の耳に最近になって聞き馴染んできた声が聞こえてくる。
その声の主は田沼の機体に搭載される事となった試作型AI『ノア』であった。
<恵子さん……隊長は貴女と過ごした直近の半年間で培われた関係とのギャップの調整に時間が掛かっているのです。時間が経てば改善するモノと思われます>
元々、写っていたリサとモニターの一つに移動したアリス、彼女らと共に映し出されていたノアが流れるように俺のモヤモヤを言語化していってくれたようだ。
「何と言うか……本当に助かったよ……言いたかった事はそれだ」
<こんな事で隊長が誤解されてしまうのは私としても本意ではありませんから……ですが、その……次はご自分の言葉で伝えられた方が良いかと……! 言葉は上手く伝わらなくとも気持ちは伝わると思いますから……>
言い辛そうにしたノアが少し困り顔を見せてくる。
「そうだな……ノアくん、ありがとう……君が居てくれて本当に良かった……!」
心から湧き上がった感謝の想い、それを精一杯に載せた言葉……
だが、この俺の感謝の言葉を受け、小さく微笑んだノアが更に何か答えを発するよりも速く、黙って見ていたアリスが何故か鼻息荒く難癖を付けてくる。
<わ、私だって言おうとしたの! それ……!>
自分が言って自分が褒められたかった……という事だろうか――
明らかに言おうと思っていなかった者の常套句である。いや、宜しくない空気を察して場を和まそうとしてくれたという可能性もあるにはあるが……
<アリス……貴女……そんな馬鹿らしい嘘が通ると……まさか本気で……!?>
<へ? あっ! じょ、冗談よ! 嘘よ! 分かってよ!>
やはり、ただ感情が先走ってしまっただけのようだ。
すぐさま突っ込みを入れたリサの言葉の所為で正気に戻ったのか、アリスが目をも丸くして必死に弁明に努める。俺はその様子を微笑ましく見つめる。だが……
「ふふ、冗談も嘘も紙一重だな」
だが次の瞬間、俺はこの自分の吐き出した言葉で『今のアリスの言葉が冗談になり、嘘にもなる』モノだったと気付く事となる。そう、言い換えると『アリスですら他人を傷つけなければ嘘をある程度は許容できる』という事に気付いたのだ。
そう……あの時のマザーの嘘も人を傷つけないと認識した上で――
自分の心の中に巣食っていた妙な蟠りが少しだけ小さくなっていく。
「冗談か……そうか……そうだな……ふふ、アリス……君も冗談の質は今一のようだ。どうだ? 訓練が終わったら俺と一緒に冗談の練習をしようじゃないか!」
他人を傷つけないモノであれば小さな嘘は冗談の内ともなる。それと言葉は拙くとも伝えなければ意味がない。俺が今日、学んだ事を纏めて考えた心の奥底からの言葉……であったのだが、この言葉は皆には余り好評では無かったようだ。
<え……どうだって……そんな事したくないけど……>
アリスの冷たい答えが響く。そして……
<すみません……話の前後関係が全く分からないので擁護できません。その……隊長の会話能力の向上の為の練習であれば……後にお手伝いさせて頂きますが……>
俺の視線を受けたノアの申し訳なさそうな声とリサの心からの笑い声が響く――