003 異形、インセクタム
悲鳴に近い、そんな叫ぶような報告が俺の無線を大きく震わす。
「あ、アンダーグラウンド・ソナーに……か、感あり!」
電磁波対策のされた強指向性の通信による途切れの無い音声……俺の機体の後方五十メートルに位置していた『R15式ホバー・トラック』からの緊急連絡である。
『R15式ホバー・トラック』
『AA-PE』と同様の高出力のジェネレーターを積む事により、熱エネルギーによるホバー移動が可能となった車両……こいつは現在の不整地だらけとなった前線での高い機動力を誇るだけでなく、通信・探知能力にも優れているのだ。
そんな彼らからの緊急連絡……何も無いという訳が無いのだが――
<A1地点から『インセクタム』の報告はありません>
すぐさま、この情報を適切に処理した……と思われる『エルザ』の機械的で冷静な声が響く。だが、同時にホバーからの続報も次々と届いてくる。
「今まで聞いた事の無い音です……! 水? 音は小さい。それに……まだ遠い……何処だ? ポコポコと液体の様な……粘性が高いのか……?」
「ホバー、音の質は後回しだ。まずは正確な場所を割り出せっ!」
「りょ、了解です!」
さて、A1地点とは我々の眼前にある朝霞の森と呼ばれる公園の端に配備された監視地点のことである。当たり前の事ではあるが、我々が取り返した朝霞駐屯地は周囲を囲う様に配備された幾つもの監視施設によって守られているという事だ。
そして……これらのAからHの監視地点は急ごしらえとは言え、それぞれが固定式で大型の高性能レーダーと幾つもの大型の重火器によって守られている。
先ほどから強烈な嵐が戻り、電波障害が強まっている現状とは言え、簡単に見逃す事も警報も出さずに簡単に落ちてしまう事も『あり得ない』という事だ。
だが……それでも一抹の不安は残る。
「高性能レーダーは対地対空をカバーしている……ならば……ホバーは何処から音を拾った……? カバーされていない場所……まさか……下から……下水道? いや、通れそうな空洞の存在する場所は事前にきちんと把握されていた」
監視網が抜かれているとも部下がミスるとも思えない。しかし、遥か昔に造られたような地下道が絶対に無いとは言い切れない。俺の心の内に生まれた小さな疑心暗鬼が答えを探し始める。だが、少しばかり遅きに失したようだ。
更に悲痛となった報告が又もや無線を大きく震わす事となる。
「……っ!? 移動音確認! ち、地中ですっ! 『インセクタム』です!」
状況を察した俺は『心構え』を素早く戦闘態勢へと切り替える――
「ホバーは固定を解除、移動準備! 急げっ! 本部への連絡も頼むぞ」
「りょ、了解です!」
取り急ぎで指示を出した俺だが、落ち着きを取り戻す為にまずはと小さく溜息を吐き出す。正直なところ少しばかり混乱しているのだ。
「こんな事になるとはな……見逃した地下道でもあったのだろうか……? それとも奴らに何か特殊能力でもあったのだろうか……くそっ、雨音が煩いな」
思わず愚痴として吐き出したが、当然のように答えは出て来ない。
そう、インセクタムとの遭遇は三年前、『AA-PE』での真っ当な交戦に至っては僅かに二年前である。つまり、分からない事の方が圧倒的に多いという事だ。
「聞いていたな? 田沼機、大崎機っ! ホバーを中心に密集隊形を取るぞ」
「田沼機、向かっています!」
「ふぁ、大崎機っ、了解!」
両機からの返答を受けた俺も素早く『AA-PE』を反転させる。
すぐに肩から上胸部が回り、それを下胸部と上腰部が追い掛けていく。続いて下腰部と共に脚部が追随していく。磁力コーティングが施された各部が気持ち悪い程に滑らかに駆動し、遠目で見れば人と変わらぬほどに自然に反転を済ませていく。
「ホバー、奴らの進行方向から出先を想定しろ! 急げよ?」
だが、声を掛けながら一歩、二歩と足を進め始めた俺の耳に……返事の代わりとばかりの盛大な悲痛な叫びが聞こえてくる。
「こ、こいつら……な、なんだ? 溶かしてるっ? 隊長、ヤバい! もう、こいつら……足元だ……! う、うわっーーーー!」
俺の眼前に僅かに見えていた『R15式ホバー・トラック』……その特徴的な大型アクティブカノンが据え付けられた前部が勢いよく中空へと持ち上がる。
いや、後部が高校跡地のグラウンドの中へと落ち込んでしまったのだ。
無線から響いていた複数の悲痛な叫びが甲高い金属の咀嚼音の様なモノにドンドンと塗り替えられていく。そして遂に……ブツリと途切れてしまう。
状況が状況だけに彼らに僅かな希望も無いだろう――
「二人とも進路変更だ! 俺の元へ……」
震えそうになる声を必死に抑えて一応の指示を発した俺は次の行動を考える。だが、通信・索敵の要であるホバーが落ちた以上、やれる事は少ないようだ。
「『エルザ』、発光信号を頼む。『橘 誠二、敵と交戦』……だ」
<了解です>
機械的な返答と共に背部のランドセルから信号弾が打ち上げられる。
強烈な雨と風が吹き荒ぶ中、針のように尖ったデザインの弾頭がグングンと上昇していき、一定高度に到達すると同時にパパパッと発光を繰り返す。そして役目と共に推進力を失った弾頭が風に巻き込まれ、何処かへと飛ばされていく。
(頼む……誰か気付いてくれ)
祈りを終えた次の瞬間、俺のHMDのレーダー上に異常が示される。警報と共に自機の前方の空間に幾つもの赤い点滅が発生したのである。『電気信号で動き、熱源を持つ何か』、『味方という登録の無い何か』が突如として現われたという事だ。
吹き荒ぶ風雨の中、俺の『緑と黒に彩られたナイトビジョンカメラ』の先で蠢くようにして次々と異形たちが姿を現していく。
奴らが『インセクタム』である――
「田沼機、大崎機っ! 『インセクタム』を確認、最低でも『アント』十体、『シックル』三体、『アシッド』一体、そして巨大な『アンノウン』が一体だっ! エルザっ! 『アンノウン』以外へのアクティブカノンの発射を許可する」
<了解です>
大破したホバーから伝えられた最後の情報……敵の数と種類という重要な情報を共有していく。同時に『俺の脳波による指示』を『自らの機体』へと伝えていく。
(ドローンを含む、自機の全てのライトの発光を開始、同時にメインノズル噴射、腰部・右サイド一番二番ノズル噴射、脚部・右サイド一番二番ノズル噴射っ、ホバー移動用・脚部スカート内部一番から八番までの全てのノズルを噴射っ!)
俺の動きに合わせて屈みこんだ『AA-PE』が右脚部で大地を強く蹴る。その動きに合わせるように細く絞られた右側の全てのノズルから盛大に噴射炎が溢れ出す。
次の瞬間、五トンを超える『AA-PE』が左方向へと滑るように動き出す。
そう、この機体は『人の脳波』と『人の動き出しに起こる電気信号』を素早く感知し、人が行動を起こすよりも僅かに早く機体を動かし始める事が出来るのだ。
僅かに浮き上がった状態、まるでスケートでもしているかのように滑らかに移動をする俺の『AA-PE』……今度は背部ランドセルで動きが起こる。
AIの自己判断によってアクティブカノンが起動し、下向きに綺麗に収まっていた二つの砲塔が円を描くようにして滑らかに前方へと向けられていったのだ。
同時に聞き慣れた機械音声が響く。
<アクティブカノン発射します>
次の瞬間、僅かに白んだモニターの中で二体の異形……『大型犬よりも巨大な体躯、刺々しい姿を持った蟻』……『アント』の頭部が同時に消し飛ぶ。