028 最後の生存者
遂に最前線の部隊との合流を果たす――
隊列を組み、ジリジリと進む警備兵から今の状況をすぐに確認する。
「既に皮膚の硬化が始まっているのか……! 非常に弾が通り難くなっています! 正直なところっ! すぐに成体レベルになるのではと思いますっ!」
この病院の警備主任である男が激しい銃撃音に負けじと声を上げる。だが、その力強い声の方とは裏腹にその男の表情の方は全く優れないようだ。
理由の一つ目は彼の言葉通りの『ワスプの硬化』――
頑強な皮膚、外骨格を持つインセクタム……例に漏れず、この短時間で既に眼前のワスプたちが目に見える程に硬くなってきているとの事なのだ。
空気に触れる事で硬くなっていくのか……
その速い硬化の仕組みは全く分からんが、これだけの速さであるのならば彼の予測通り、すぐに成体と同レベルになってしまう事は間違い無いという事だ。
そして理由のもう一つは俺の想像していた通り、彼らの残弾の状況――
奴らの恐ろしい程の硬化の所為で一匹を倒すのにも弾数が増えていく一方……事実、俺の眼前の一匹はそれなりに致命的に見えた命中弾すら左右に逸らしていく。
この絶望的と言える情報を受けた俺はすぐにアリスへと問い掛ける――
「アリス、ここの現時点での『生き残りの数』を想定してくれ……」
ギリギリまで内部の状況を見ていた川島からの情報……警備主任から伝えられたワスプの硬化の情報……それらを踏まえた答えがアリスからすぐに返される。
まあ、渋々とした感じは隠せないようだが……
<もう……術前の患者の生き残りは無いと思う。武器は各階に一丁ずつしか設置されていなかったみたいだから……そもそも硬化が強まった以上……多分、医師や看護師も全滅……手術が終わった人たち……その……多分、誠二の部隊の人も……>
田沼の事、俺や大崎との親密な関係を情報の上では知っていたので言い辛かったのだろう……そんなアリスの申し訳なさそうな言葉が響く。
だが、言い終えると同時に彼女が何かに気付いたかのように大きく声を上げる。
しかし――
<せ、誠二……本部から命令が来た……この病院を爆撃するって……>
尻すぼみとなっていくアリス……そんな彼女の悲痛な声を掻き消すように眼前の名も知らぬ警備主任の無線と俺の無線がほぼ同時に鳴り響く。
そこから聞こえてきた同様の情報に思わず、名も知らぬ警備主任と互いに顔を見合わせてしまう。その次の瞬間、同時に互いの階級章を見比べてしまう。
「一等陸尉……じ、自分では決断できません……ど、どうしますか?」
すぐに一等陸曹であった警備主任から声を掛けられる。
さて、出したくない答えだが、答えを出さないでいる訳にはいかないだろう――
「やはり、どうにもならん……総員、残弾を撃ち切る前に撤退開始だ……! 階層ごとに防火扉で封をしていく! ラインを形成したまま少しずつ下がるぞ!」
この言葉を受け、必死に上を目指していたであろう他の警備兵に僅かな動揺が走る。だが、そんな彼らでもすぐに『生への欲求』の方が上回ってしまう。
全員がサッと周囲を一瞥するなり、交互に射撃をしながらジリジリと退いていく。皆が硬化したワスプに対してジリ貧である事に気付いていたという事だ。
この様子を見届けた俺はオープン回線で周囲にも聞こえるように無線を送る。
「全員、病院への爆撃に備えて救助者を下げるんだっ! だが、病院との距離を空けすぎるな! そろそろワスプが出てくるかもしれん! 全力で警戒しろっ!」
だが、この俺の指示を受けた一人であるアリスが珍しく渋る。
<やっぱり……他に手段はない……よね? せめて田沼さんだけでも……>
沢山の仲間、大事な人々を見捨てるのは辛い事……
彼女の学んできた情報にも当然のように……いや、むしろ彼女に関して言えば、それらの多くの感情的な情報が含まれていたのであろうと思う。
ヘッドセットから明らかにテンションが落ちたアリスの声が聞こえてくる。
どのような経緯で情報を取捨選択してきたのかは分からないが、人よりも心優しく育ったアリス……そんな彼女を好ましく思うも非常な現実を伝えていく。
「彼女が居た部屋は最上階の特別室だった……とてもじゃないが……何よりも今の状況で彼らに無理をしろとは言えん……君になら分かるだろ? 諦めるしか……」
<……>
この件に関して返事をしたくない……そう言わんばかりにアリスが沈黙する。だが今、彼女が黙っていたのはただの不満からでは無かったようだ。
<誠二っ! 一つ上のフロアでマズルフラッシュを確認っ!>
この突然の信じられない情報に俺はただ息を飲む――
混乱の中、逃げる事が出来なかった人々がここまで息を潜め、救助を待っていたのか……そして今、運悪く戦闘が起こってしまったという事なのだろうか……
あり得ない事ではないが、少しばかり疑問が浮かんでしまう。
そう、ここに俺が辿り着く前から随分と長く銃声が聞こえていたはずなのだ。普通であれば、その階下の銃声に合わせて反撃を試みるモノなのだ。
突然の救助者は今更になって階下の状況に気付いたとでも言うのだろうか――
だが、訝しむ俺の耳にも鈍い銃撃音が確かに聞こえてくる。
その音の大きさと射撃間隔からして武器はアサルトライフル……我々が持つ『25式7.62mm小銃』で間違いない。だが、その音は精々のところ一人か二人分、それだけではやはり心許なく、ここまで反撃する覚悟が付かなかったという事だろう。
(各階に一丁しかない銃……少なくとも一人は上層階から降りてきているな……)
ともあれ、そんな彼らの救助作戦を……と俺は頭を切り替える――
だが、上手く意識を切り替えたものの、撤退を進めようとした矢先であり、すぐに爆撃がくるかもしれないといった状況だけに俺は別の不安も覚えてしまう。
そう、ここより上は患者だった者の数が圧倒的に増すのだ。つまり、ワスプの数も圧倒的に増えるのである。このまま無策で挑めば全滅必至という訳だ。
だが、焦れば焦る程に俺の頭の中は混乱していく。チラつく非常灯の真っ赤な輝きと幾つもの真っ白なマズルフラッシュ、その気味の悪い点滅の繰り返しがこの俺の混乱に拍車を掛けているのかもしれない……と軽い現実逃避が起こってしまう。
だが次の瞬間、俺はアリスの大きな声によって現実へと引き戻される。
<誠二っ! 今、また試したんだけど……やっぱり、こいつら通常のインセクタムよりも強く光に反応するわ! 全員で外から照らせば、もしかして……!>
どうやら、彼女は下の階層での戦いを覚えており、俺が思い悩んでいる間に何度も試しをしていたようだ。確信を持ったのか、彼女の力強い言葉が響き渡る。
そして……ここに来て俺もようやくの覚悟を決める。
「よし……全員、後退中止っ! この位置でラインを維持しろっ! ホバーは本部へ緊急連絡、五分だけ時間をくれと伝えてくれっ! アリスは想定も踏まえた現場の状況を俺に伝えろ! 高梨は残弾を確認後、そのまま俺に付いて来い!」
少しバラついた全員の了解の合図を確認すると同時にスマホに情報が流れ込む。
アリスが見たマズルフラッシュの位置と窓越しに索敵させたドローンからの情報、こちらは想像以上の好天のおかげもあって奥の奥まで確認できたようだ。
だが……
「見える範囲だけでワスプが二十三体……か……」
警備兵たちに救助作戦の概要を説明をしようとしていた俺だが、この情報には思わず溜息を吐き出してしまう。この敵の数の多さは死者の多さでもあるのだ。これを意識してしまった事もあり、流石の俺もガックリと気落ちしてしまったのだ。
だが、落ち込んでいる暇はないぞとばかりに今度はホバーから連絡が入る。
「本部から入電っ! 『五分待つ。ただし、状況次第』だそうです!」
俺を信じて『待つ』と言ってくれた……という事だ。
この無線に合わせるかのように一機の『JV-28』が飛来する。そして我々のいるフロアの中を確認する為とばかりに窓の外でホバリングを始める。正にハミングバードという名前の由来となったハチドリに負けじといった姿である。
バラバラと空気を震わす様なローター機特有の爆音を響かせながら突如として現れたハミングバード……生身の人から比べれば圧倒的な巨大さに心強さを覚える。
だが、同時に俺は僅かに不快感も覚えてしまったようだ。
こいつが病院を爆撃する任を受けてきたのである。俺が脱出しようが、しまいが関係なくである。そう考えてしまい、何となくの不愉快さを感じてしまったのだ。
だが、顔を顰めてやろうかと考えた俺に突如として声が掛けられる。
「橘一等陸尉! 朝霞駐屯地以来です!」
この聞き覚えのある声に一気に俺の記憶が呼び覚まされる。
「朝霞っ!? 君はあの時のパイロット!? 生き延びていたのか!?」
驚く俺の眼前でハミングバードの各部ハッチが開いていく。
そこからレールが伸び、腹部・両サイドからミニレールガン・オートターレットが……後方・乗降口からは大型のアクティブカノンが姿を現す。
「積もる話はありますが、今は一つだけっ! アリスさんから聞きました! 爆撃はギリギリまで待ちます! 以上、救出作戦の成功を祈っております!」
眼前で展開された見慣れぬ武装……これは本来のハミングバードの主武装である。どうやら、これで出てきた奴は叩き落してやるという宣言のようだ。
俺はまだ姿も名も知らぬ彼へと応える。
「了解だ! 話を楽しみにしている!」
この言葉を合図に改めて覚悟を決めた俺と高梨は上階へと歩を進める――