027 ワスプの習性
遠くに聞こえる銃撃音と明らかに近い甲高い羽音を聞き比べる――
さて、より多くの人々を助けるには当然のように時間が無い。だがやはり、それでも……この耳障りな羽音の主をここに放っておく訳にはいかない。
既に傷を負ってしまった女性警備兵一人で相手をするのは厳しいし、そこに川島女史と看護師が加わっても先ほどの一緒で意味はない。三人を先に逃がして放っておけば下手をすると背後を突かれる。つまり今、我々でやるしかないという事だ。
何より、アリスの大切な人を危険なままにする訳にはいかないだろう――
そう考えた俺の背後に索敵を終えた高梨が現れる。
「高梨、合流しました! ハァハァ、階下に……敵影はありませんでした! それと別動の警備兵たちに今、合図も送りました! 本部に現状も報告済みです!」
少し息が上がり興奮気味となった高梨……この『もう一人の若者』よりも真っ当に有能な男を制する様にハンドサインで静かにしろと合図を送る。すぐに黙った事を確認した俺は今すぐ褒めたい気持ちを抑えて残り二体のワスプの居場所を探る。
暗闇の中、目を閉じて耳を澄ます。そんな俺の耳に先ほどから変わらず遠くから聞こえる激しい銃撃音と共にワスプの甲高い羽音が聞こえてくる。
だが、その二体の姿はここからでは目視できない。少なくとも一体はホールから繋がる廊下の奥を飛び回っているようではあるのだが……
はて、こいつらは人を積極的に襲う習性は無いという事なのだろうか――
少し訝しんだ俺の視界にようやくとばかりに一匹のワスプの姿が入り込む。今し方に眼前の廊下の奥を五月蠅く飛び回っていた個体のようだ。
チラチラと入り込む窓からの明かりを頼りにそいつの様子を窺う。
だがやはり、天井に壁にと体当たりを繰り返すばかり……やはり、こちらへと積極的に進路を取っているという訳では無いという事しか分からない。
しかし、ここにきて奴は人の存在を認識してしまったようだ。一際大きくなった羽音に合わせて歯を打ち鳴らすようなカチカチという威嚇音が聞こえてくる。
こちらへとワスプが襲い掛かる――
「前方へ牽制射撃っ! 撃て撃てっ! 近付けさせるなっ!」
この俺の命令を受けた事で高梨たちのアサルトライフルが一斉に火を噴く。
彼らの激しい連射が続く中、俺は片膝を突いて手持ちのアサルトライフルをしっかりと抱え込む。飛び回り、弾かれるワスプへとしっかりと狙いを定めていく。
次の瞬間、天井の片隅でワスプがバランスを取る為に強くホバリングする――
角度よく入った俺の弾丸がワスプの頭部を正確に貫く。貫通の勢いの余り千切れ飛んだ頭部が天井へとぶつかり、そのまま廊下へと吸い込まれていく。
まだ羽が動いている胴体が地面をグルグルと回り続ける。
だが、間違いなく仕留めたようだ――
俺はスクッと立ち上がり、すぐに新たな指示を出す。
「射撃停止だっ! 全員、高梨から順に残弾の確認! それと君は三人を守りながらここで待機、現状をまたホバーに伝えろ! 俺は残りの一匹をやりに行く!」
「了解です!」
彼の簡潔な返事とマガジンを抜く音を背に俺は静かに前進を開始する。
さて、この病院は行き止まりとなる特殊な構造となっている。廊下を突きあたって右手の奥へと向かう途中の部屋の何処かに間違いなくワスプがいるという事だ。
そう考えた俺は自分の足音を最小限まで下げながら慎重に前へと進む。
だが、そこまで慎重になって耳を澄ます必要は無かったようだ。俺が廊下を進みだして数歩もせずに異様で強烈な羽音が聞こえてきたのだ。
高周波を発する音波兵器か何かかとと思うような甲高い音――
「さっきの奴もそうだが……羽ばたく回数が異常に多いのか? そうでなきゃ、この狂った空は飛べないか……室内だと逆に過剰、それで不安定なのか?」
得た情報を愚痴る様に口にしていく。無理矢理に口を動かし、状況を丁寧に確認していく事で心と身体の落ち着きを戻しながら俺は更に前へと進んでいく。
そんな中、目標の羽音は廊下の突き当り、左手奥の角部屋からだと確信する。
「動きが制御できてない……? 何にせよ、こちらからも狙い辛いかな……」
俺は接近戦を意識してアサルトライフルを腰撃ち出来るような持ち方へと変えていく。頑強なインセクタムとは言え、相手は非常に軽量である。イザとなったら大型の銃器で打ち付け、体勢を崩した所で射撃に及んだ方が良いと判断したのだ。
半開きとなったスライドドアの内から更に大きくなった羽音を確認する――
「音からすると……外と面した壁の辺り……やや、こちらに近いか……?」
小さく唾を飲みこんだ俺の耳にゴッゴンッという不思議な音も聞こえてくる。先ほど奴と同様に狭い室内を飛び回り、天井や壁に当たっている音なのだろう。
強度や大きさ、凶悪さは別として見た目は限りなく既存の虫に近いインセクタム、その挙動もまた限りなく虫に近い面があると言われている。
こいつも本能的に出口を探し回るような習性でもあるのだろうか……
だが、俺がそう考えた次の瞬間、突如として中のワスプが暴れ出す。壁や天井に繰り返し当たるという挙動を変えて窓へと体当たりを始めたのだ。
明らかに質の違う音、窓枠ごと震わすようなビリビリとした音が聞こえてくる。
「なんだ……一体、何がっ!?」
慌てて室内を覗き込もうと考えた俺……その視線の先、スライドドアの隙間から一筋の光が漏れ出す。だが、すぐに弱まり、消える。そしてまた強く漏れ出す。
どうやら、原因は外から照らされた光であったようだ――
光量からして『AA-PE』の高性能ライトではないようだ。あれは周囲を昼間に変えるほどの光量があるのだ。つまり、これはオプション装備であるドローン搭載の小型ライト……アリスたちが情報収集の為に周囲へと飛ばしてくれたのだろう。
だが兎も角、そこから発する輝きは虫に近い習性を持つ連中に随分な刺激を与えてしまったようだ。室内のワスプはもはや狂ったように窓に体当たりを繰り返す。
(今までのインセクタムにこれ程までに狂ったように光に寄せられる習性は無かったと聞くが、この新しい奴は我々の知る虫に近い習性があるのか……?)
また考え込みそうになった俺は軽く頭を振って意識を現実へと戻す。そして大きく息を吸い込み、吐き出す。疲弊した脳へと新鮮な酸素を送り込む。
無理矢理に一息ついた俺は正しく思考を再開する――
さて……この建造物は角部屋でも一面しか窓が無い。
つまり、窓に体当たりしている敵の位置は扉を抜けた正面……言い換えると最も射撃しやすい場所にワスプが移動したと言える訳だ。
だが、更に言い換えると射撃ミスが起これば簡単に窓が破壊され、ワスプを外に逃がしてしまうような危険な位置とも言えるだろう。
そう、実に悩ましい状況……だが、やはり考える時間も待つ時間も無いようだ。
<誠二っ! 上階の警備主任と本部とのやり取りを傍受したわ! 上階に相当数のワスプが発生して……もう、ほとんど生き残りがいないって言ってるわ!>
ヘッドセットからアリスの少し昂った声が聞こえてくる。
兎にも角にも、もはや覚悟を決めるしか選択肢は無いという事だ――
腰撃ちから基本と言うべきストックへと頬付けした構えへと戻す。そして半開きとなっているスライドドアに足を掛け、ゆっくりと静かに扉を開いていく。
俺はすぐに目標の姿を探す。
ドローンは上の階層を飛んでいるようだ。下から上、上から下へと舐めるようにライトが動かされており、その度に天井にいる敵の影が床に揺らめくように映る。
だが、同時に飛び回る目標物の姿も捉える事ができたようだ。
さて……ここは手術待ちの患者の部屋だったのだろうか――
室内に臨時で用意されたと思われる簡易的な細いパイプで構成された八台のベッドが並び、その内の五つは盛大に引っ繰り返っている様子が見える。
その為、ここからは患者の姿を確認できない。だが……
「アリス、窓の破壊に備えろっ!」
<窓っ……!? 了解っ!>
再度、ひび割れした窓へと体当たりしようとするワスプ……勢いをつける為なのか、天井近くをホバリングしながら僅かに沈み込み、その動きを止める。
そこに狙いを付けた俺のライフルが瞬時に火を噴く――
だが、この初弾は僅かに逸れる。
弾はワスプの後頭部を掠めたが、天井に盛大な大穴を開けてしまったのだ。更に運悪く、ワスプが出窓となっているカウンターの上へと吹き飛ばされてしまう。
次の弾は確実に窓へと当たるコースとなったという事だ。
防弾ガラスではないだろう……だが、躊躇している場合でもない――
素早く銃口を下ろした俺はジジジっと悶えるように動くワスプへと狙いを付ける。当たりが良そうな部位を探り、そこへ当たる事を信じてすぐに引き金を絞る。
次の瞬間、ワスプの頭部を正確に貫いた弾丸が後ろの出窓を貫通していく。同時に窓の下半分ほどが一瞬でひび割れ状態になってしてしまう。
だが……どうにか耐えてくれたようだ。
「これは……もう……まあ、一度の体当たりくらいは耐えるだろ……」
呆れたように小さく溜息を吐き出した俺は改めて周囲を探る。当然、生存者を見つける為である。だが、これだけの騒ぎで周囲には気配一つしなかったのだ。
そうなると……答えは一つしかないだろう。
何かを守る様に立てられたベッドの裏手……そこに在ったのは腹を破られた五つの男の死骸と首を嚙み千切られた二つの女の死骸だけであった。
そして哀しい事に五つの男の死骸には少しだけ見覚えがあった。
大きく溜息を吐き出した俺はアリスへと連絡を送る。このインセクタムが光へと強く寄る習性がある事を伝えてドローンの件も含めて注意を促したのだ。
すぐに周囲のドローンが離れた事を確認した俺は踵を返す。
◇
「正直なところ……もう、上層階に生き残りは……」
俺から奥の部屋の状況を聞いた川島の顔が青ざめる。治療済みの傷からの出血の所為ではない。状況を正確に理解しているからこそ……である。
「ええ……残念ですが、そう思います。その件に関しては既に本部に報告は入れました。すぐに別の新しい指示が来ると思います。貴女はアリスの元へ……」
更に顔が青ざめた川島女史と生き残りの二人の女性を俺と高梨とで見送る。
「その……大丈夫でしょうか?」
「身体の中か……? まあ、意識があるので大丈夫だと思うんだが……」
生み付けると同時に鎮静作用のある液体を注入するのではと言われていたワスプ……その生態が正しいならば彼女たちの体内に卵は無いと思うという事だ。
だがやはり、確信を持てない以上……彼女たちもアリスや大崎の元で待機してもらうしかない。そして我々は彼女たちに何も無い事を祈るしかないのだ。
不安そうに見送る高梨に声を掛け、上層階へと急ぐ―――
さて、銃撃音を追って更に一つ上の階へと辿り着いたのだが、随分と状況が変わってしまったようだ。我々の眼前の四階フロアには人っ子一人いなかったのだ。
「誰も居ませんね……思ったよりも速く押し込んでいるという事ですかね?」
「奴らは生まれたばかりは柔らかいという情報を信じれば押し込む速度は早い方が良い……リーダーが誰かは知らんが、実に良い判断という事だ。だが……」
本当に無理やりに前進しているのだろう……天井に床、壁面に残された不正確な多数の弾痕……だが、そうなると彼らの残弾という不安も過ってきたのだ。
「……我々も急ごう」
別行動する警備兵二人へと無線で合図を送り、我々も上へと急ぐ――