026 密室、歩兵戦
「正面に『AA-PE』が待機しています! そちらへ向かってください!」
裏口の管理室……そこで二挺の大型アサルトライフルと幾つかの弾倉を手に入れた我々は逃げてきた医師や看護師たちを大崎の元へと誘導していく。
彼らは運良く下層階で休憩や事務処理をしていた人々であったようだ。
「大崎っ! そちらに医師と看護師の計七名が向かう。一人も見逃すなよ!」
「……っ!? 了解ですっ! 本部からの救援が来るまで自分の元で待機させます! ホバー、本部へ状況報告……隔離施設の準備を願うと伝えてくれ!」
『一人も見逃すな』……その少しばかり異様な言葉に一瞬だけ思考を巡らせたような大崎であったが、すぐにしっかりとした返事を戻す。そして事前にリサから助言でも受けていたのではと思える程に的確で素晴らしい回答を見せてくれたのだ。
「よし……大崎、外は頼んだぞ!」
そんな大崎を頼もしく思いつつ、俺は手に入れた銃の機構を確認していく。そしてガチャリと音を立てて弾倉を戻した音を合図に階段を急ぎ駆け上がっていく。
◇
「救援だっ! こちらを撃つなよっ!」
辛うじて二人が並んで通れる程度の狭い階段から続く狭い踊り場……そこを守る様に滅多矢鱈に室内へと射撃を続ける二人の警備兵の注意を引きつつ合流する。
さて、何処かで断線でもしたのだろうか――
何時の間にか、室内は非常灯に切り替わっていたようだ。
先ほどの管理室では普通であったのだが、今の我々の眼前は真っ赤になっており、その中を真っ白なマズルフラッシュが何度も激しい瞬きを見せている。
「撃ちながらで良い! 状況は?」
この病院のメインの受付と言うべき中央のフロア……その沢山の長椅子が所狭しと並ぶ空間へとひたすら乱射を続ける二人……やや錯乱気味の興奮状態と思えた二人の警備兵だったが、辛うじて受け答えが出来る精神状況は保っていたようだ。
こちらへ視線も向けずではあるが、叫ぶように答えを返してくる。
「敵はっ! 既に……飛び始めましたっ! 見た目はまるっきり蜂です!」
「小さいけど凶暴でっ! 最初は芋虫みたいな形態だったんです! でも、すぐに壁に張り付いて……背中が裂けて! そしたら姿が変わって飛ぶようになって……そうだ! これでも皮膚は柔らかいみたいです! 弾は辛うじて通ります!」
「上は更に酷い状況みたいで……もう連絡は取れません!」
余りに興奮が過ぎて大いに息が上がってしまった二人が重なる様に喋り、交互に撃ち続ける。そんな二人の後ろからホールを覗き込み、俺は敵の姿を探す。
だが、それらしき影はパッと見では見つけられないようだ。
「ここの敵の数はっ?」
「「二匹ですっ!」」
完全に重なった二人の声を受けた俺は改めて敵の姿を探す。
「ん? あれか……?」
真っ赤な輝きに所々の暗闇の中、更に真っ白な輝きがチラチラと横から視界に入る中、運の良い事に床に落ちていた敵らしき姿を早々に見つけ出せたようだ。
やや遠い為、ハッキリとは見えない。だが、カラスほどの大きさをした明らかに刺々しいデザインのアシナガバチ……そんな異様な姿が目に入ってきたのだ。
その姿は先日に見たアンノウンに確かに酷似している――
だが、大きさは先日のモノよりも随分と小さいようだ。朗報という程でも無い。だが、あの時ほどに巨大に育つには今しばらくの時間が必要という事なのだろうか……それとも人間の体から生まれると成長率が変わるのだろうか……
ともあれ、ばら撒いた弾丸が運良く直撃したようでピクリとも動かないようだ。
「二人ともストップだ! 一旦、射撃を止めろ!」
耳元の煩かった銃撃音が命令と共にピタリと止むと同時、俺は耳を澄まして周囲の様子を探る。大雑把に敵の位置、味方の位置を見つけ出したいのだ。
そして……この数秒の行動は功を奏したようだ。
上のフロアから聞こえる断続的な激しい銃撃音が二人分、銃の扱いに長けた者の正確な三点バースト射撃と下手糞な断続的な射撃の二種類に分かれている事、それと我々の近場に羽音や足音のようなモノが一切無い事を認識する事が出来たのだ。
「どうやら……もう一匹も殺っているようだな……」
少なくとも、この階の脅威は既に無い可能性が高いという事だ。
「全員、密集隊形のまま周囲を警戒っ! アリス、病院のフロア情報をくれ!」
警戒を維持しつつ、俺はヘッドセットへと向けて声を掛ける。この言葉を正しく理解したアリスによって瞬時に必要な情報が送られてくる。
そして……この新しい長方形の七階建ての建造物のルートが外に備えられた非常階段、我々のいる裏口へと続く職員用階段、中央の患者用のメインの階段、それに併設された既に停止した二機のエレベーターで構成されている事を確認する。
「アリス、外階段の状況確認は任せるぞ! 誰一人、逃がすなよ!」
<了解っ!>
俺の考えを既に知るアリスが短くハッキリと答えを返してくる。だが、このやり取りを横で聞いていた二人の警備兵には僅かな動揺が起こってしまったようだ。
明らかに挙動不審、落ち着かない様子を見せ始める。
「ぜ、全員……逃がさないんですか?」
「本部に行って貰った方が安全なんじゃ……」
そんなパニック気味の二人へ俺は出来る限り短く分かり易く答えを返す。
「ここの警備を任されているならワスプの生態は聞いてるな? ならば、分かるだろ? 俺は『君ら全員に本当に卵を植え付けられていない』との確信を持てないんだ。麻酔のようなモノで意識を失くすそうだが、その効果の程も分からんしな」
この言葉を受けて二人の若い警備兵も渋々ながらに小さく頷いてくる。半分ほどしか理解できなかったが、何となくヤバいと言うくらいの認識は出来たようだ。
俺は落ち着きを少しだけ取り戻す事が出来た二人に指示を伝える。
「我々は中央から……君たちはここから上へ進め。合図を送る度に一つ上に移動だ。声と無線、合図はどちらになるか分からん。どちらも絶対に聞き逃すなよ?」
彼らの無線のチャンネルが我々のモノに合わされ、弾倉の状況が確認されていく。この二人の再装填の音を合図に俺は高梨へと前進のハンドサインを送る。
◇
このフロアを制圧すべく進みだした我々……俺は眼前となったワスプの死骸を端へと勢いよく蹴り飛ばす。生死の確認の為、そして距離を取る為である。だが、この死骸は正しく死骸であったようだ。壁にぶつかっても微動だにしなかったのだ。
それを確認した俺は小さく溜息を吐き出す。
こちらの様子を窺う高梨へと合図を送り、我々は次の一匹の姿を探す――
僅かに左右に散開し、それぞれが担当するエリアを造り、何も見逃さぬようにと目を凝らしながら前へと進む。そして……もう一匹の死骸もすぐに見つけ出す。
一旦、動きを止めた俺は銃口を向けたまま慎重に様子を窺う。だが、こちらも完全に動きを止めてしまっているようだ。何より、こいつの頭部は見当たらない。
早々に弾丸が首にでも当たって吹き飛んでしまったのだろうか……
ともあれ、鋭い手足を抱え込む様に丸まっている。そんなワスプを又もやサッカーボールのような扱いで向こうへと蹴飛ばした俺は更に奥へと向かう事とする。
「まさか……本当にインセクタム相手に歩兵戦をする事となるとはな……」
緊張が高まり、小さく溜息を吐き出した俺は誰にも聞こえないように小さく愚痴を零す。そして対インセクタム用の取り回しの悪い大型アサルトライフル……その銃口の下に取り付けらたフラッシュライトでソファーの列を順に照らしていく。
先ほどの二人が激しく撃ちまくった所為か、そこら中の床や壁に幾つもの深い弾痕が見える。だが、窓には傷一つ無い。そこそこに厚みは有りそうだが、とても防弾性があるとは思えないので本当に運良く当たらなかっただけなのだろう。
そんな事を考えながら俺は中央の階段、高梨は正面玄関前へと辿り着く。
そこで……俺は聞き覚えたばかりの凛とした声に気付く事となる――
「もっと必死……えて! 反動が消し切……ないっ!」
激しい銃撃音と併せて聞こえてきたのは『川島 梓』の声である。
何はともあれ、彼女の細腕では銃の反動を上手く抑える事が出来ずに大いに苦戦しているようだ。悲しい事に余裕が全く無い事だけが確かに伝わってくる。
俺は残りのフロアの索敵を高梨に任せる事にする。
◇
「橘一等陸尉だ! 合流する!」
階段を駆け上がると同時、すぐに『三人の姿』を見つけた俺は滑り込むようにして合流する。そして点滅を繰り返す真っ赤な非常灯の中に見えた一体、あちらこちらへと不規則に飛び回る一匹のワスプへと狙いを定めて手早く射撃を開始する。
同時に驚き慌てる人々へと更なる声掛けをする。
「全員、弾数を確認しろっ! 余裕があるなら状況を説明っ!」
出来る限り、短く端的に指示を与えて運が良ければ何かしらの答えを貰おうとする俺……だが、そんな想いとは裏腹な想定以上に的確な答えが返ってくる。
「川島ですっ! 階下に二体のワスプが逃走、ここにはまだ三体のワスプがいます。ここで手術を待っていた五名の患者は亡くなった可能性が高いです……退避の遅れた二名の看護師の生死は不明、こちらの呼びかけに応答はありません!」
その三体のワスプの一体、甲高い羽音を響かせて飛び回る一体のワスプに大量の弾丸を浴びせ、サッサと仕留めた俺の耳に弾倉の交換音が聞こえてくる。
同時にそれを終えた彼女から更なる情報が伝えられる。
「四階は待合室と手術室です。今、現在の状況は分かりませんが、残りの警備兵が制圧に向かっているはずです。それと……術後の患者は最上階に回されています」
実に嬉しくない情報である。最も生かしたい術後の患者が全て助けに行きづらい最上階に居ると言うのだ。しかも、嫌な情報はそれだけで無いようだ。
「ここにもワスプが居たのに警備兵が一人しか残されなかったという事は……」
「はい、上は想像以上に酷い事になっているそうです……無線の応援要請から漏れ聞こえただけですが……既に相当数のワスプが発生しているそうです」
何はともあれ、既に人も時間も何も一切の余裕が無いという事である――