025 川島からのSOS
防衛網の隙間を縫って現れた三体、その討伐をすぐさまに終える――
だが、僅かに動かした俺の視線の先、『ヘッド・マウント・ディスプレイ』の右上に映り込んだアクティブカノンの先端が真っ赤になってしまったようだ。ほんの少ししか降っていない小雨を受けて薄っすらと煙を発しているのが見て取れる。
その様子に少し眉を顰めた俺の耳にアリスの誇らしげな声が聞こえてくる。
<シックル二体、アント一体の撃破完了よっ!>
だが、この誇らしげで嬉しそうな彼女を前に俺は少しばかり愚痴る事となる。
「ふむ、撃破は良いが……少し問題だ……今まで考えた事もなかったが大雨が無いと速射は三発までか……見てみろ。これ以上に連発すると砲身が歪みかねないぞ」
<ホントだ……思ったよりも真っ赤っかね……うーん、試してみたものの、これじゃあ速射は考えものね……それと次回から雨の量の方も考慮するわ>
「助かる」
すぐさま反省し、次回への糧とすると宣言した有能なアリス……何処か抜けている所もありそうだが、彼女の言葉に大いに満足した俺は眼前へと集中を戻す。
「さて、敵はどうか?」
<完全に沈黙してるわ! 全部、頭を吹き飛ばしてやったしね!>
アリスによる背部のアクティブカノンの精密射撃、気付かれる事なく遠距離から仕留めた三体の吹き飛んで散らばってしまった残骸を遠目から改めて慎重に窺う。
完全に問題のない事を確認した俺、今度は改めて周囲の状況を確認していく。
「敵は完全に停止した! ホバー、周囲はどうか?」
「周囲一帯に敵の反応はありません! 地下も同様です! 近隣の部隊、定点観測所からの情報も確認しましたので間違いないかと思います」
「素晴らしい……全機、元の位置に戻るぞ!」
目視による周囲の確認も終え、俺は機体の向きをゆっくりと変えていく。だが、この何事も無く事を終えた状況にアリスは僅かに不満を覚えてしまったようだ。
<何……? 終わり……?>
「うむ、終わりだ。相手が三体だけだった事も好天だった事も有利に働いたな! 何時もこうなら……よし、文書もオッケーだ。この映像を本部に送ってくれ!」
<え、これを送るんだよね? やだっ! だって、さっきの凄い地味だったよ!? もっと素早く動きながらの精密射撃みたいのを見せたかったのにぃ!>
明らかに顔を顰めたであろうアリスの声が響く。だが……
「見せたかったと言ってもなぁ……あそこで無理やり左右に素早く動いてみろ……丸っきり馬鹿丸出しといった姿になるんじゃないか? それを送りたいか?」
相手から目視も出来ないような距離……そこで意味もなく一機で左右に無駄に動き、滑るように一回転してから決めポースを取って撃ち込む姿を想像してしまう。
当然、この無意味な想像はアリスに共有される。
<それは……ポーズは格好良いけど……確かに嫌ね……うん、さっきの送るわ>
どうにかアリスも納得したようだ。
そんな我々の耳に今度は光が丘病院・敷地外へと移動したホバーから連絡が入る。メインのアンダーグラウンドソナーを打ち込み、索敵も終えたとの事だ。
「隊長、我々の近隣に敵性反応は一切ありませんでした。併せて本部と周囲の遊撃部隊への注意喚起を終えた事も報告します。ただ、既に数カ所、警戒網の内側で交戦が始まったようです。まだ、特に大きな被害は報告されていませんが……」
「そうか……敵の数は中々に多いという事か……」
まあ、兎にも角にも我々の近辺の安全だけは一旦は確保されたという事だ。
だが、周囲からの交戦報告だけは更に続いていく――
「これで……全ての防衛部隊が交戦状態に入った事になります」
本部から送られてきた情報を次々と読み上げる高梨の声も僅かに上擦っていく。
「完全に包囲されたとも取れるか……引き続き、警戒を厳にするぞ」
雨風が無い所為だろうか……遂に戦闘音が装甲越しに直接に聞こえてくる。これを受けた俺は小さく小さく溜息を吐き出してゆっくりと呼吸を整えていく。
だが、アリスは『この何時もと違う溜息の仕方』に何か気付いたようだ。
<何か……少し昂ってる? 残念そう?>
不満や不安の発露による溜息との僅かな違いを読み取ったのだろうか……そんなアリスに驚きつつも俺は静かに言葉を返していく。
「まあ、包囲されていると言ったが正直なところ今回はかなり余裕があると思っている……ならば、色々なモノを試す場に出来るのではと考えてしまってな」
飛んでも無い場所からの奇襲を受けた前回と違い、今回は準備が万端なのだ。
良い機体に良い相棒……それを得て気持ちが大いに高まっているのだけに発散する場がない事に柄にもなく少々の不満を覚えてしまったという事だ。
<ふふ、不謹慎な事を言っちゃうけど……大群を相手にしてみたいわよね?>
俺の考えている事を全て読み取った上での挑発的な言葉……その実に答え難い、純粋な彼女の問い掛けへの正しい答えを俺は必死に探す。
だが、考え込む俺の耳に又もやとばかりに高梨の声が響く。
「橘隊長、朗報です! 成増の金田隊、大泉の佐々木隊……共にインセクタムを撃退したとの事です! ただ、新型の『ワスプ』は姿を見せなかったそうです」
明るい声色と共に詳細が載せられた電子メールが次々と届く。
<ふーん、何処も優勢みたいね……残念だけど出番は無しかしら?>
彼女の言葉通り、どの部隊も随分と優勢……
各隊に一機ずつ配備された改良型も活躍しているようだ。だが、その中でも特に目を引くのは『JV-28 ハミングバード』の戦績であるようだ。
「ふーむ、流石だな……」
彼の有名なオスプレイのDNAを少しばかり継ぐ『JV-28 ハミングバード』……こいつは輸送機ではなく、どちらかと言うと攻撃機として作られているのだ。
固定翼には大型の四基のミサイルが搭載され、腹部中央のサイドハッチに隠されるように設置されたミニレールガン・オートターレットも二基ある。それだけでない、後方の乗降口にも一基の大型のアクティブカノンが備え付けらているのだ。
その全てが自動で正確に狙いをつける事ができ、その全てがインセクタムを数撃で消し飛ばせる程の高い攻撃能力を誇るのである。
まあ、飛ぶ空さえあれば当然の結果という事だ――
<ふーん……中々ね……>
だが、アリスはこの素晴らしい結果に何処か不満があるようだ。続く真っ当な言葉は無し、『ふーん』という擬音だけを繰り返し言い続ける。
「……何か言いたいことが有りそうだな?」
<あるわ! 古今東西、純粋な航空支援が有効っていう事は知っているわ……知ってるの! だけど、私を載せた『AA-PE』だって負けてないのっ!>
先ほどの不満が未だに尾を引いているようだ。
叫ぶように不満の言葉を吐き出した子供のようなアリス……だが、駄々をこねる彼女の口は新たに聞こえてきた情報によって無理やりに塞がれる事となる。
ここに居る誰のモノでもない声が突如として無線を震わしたのだ。
歩兵・行軍用の超短距離無線を受けた事がモニターに示される――
「緊急事態! 寄生していたワスプが孵化っ! まだ小型で柔ら……きゃあ!?」
聞き覚えのある凛とした声で最低限の情報が素早く伝えられる。だが、続いて明らかにパニックに陥りかけたような悲痛な叫び声が飛び込んでくる。
これにアリスが素早く反応を示す。
<梓だわっ!>
だが、このアリスの言葉に川島からの返答はない。代わりとばかりに何人かの大きな悲鳴とバババッという連続した銃声が入り混じって無線から響き渡る。
「間に合わなかったかっ!?」
瞬時に状況を理解した俺はすぐに対応を開始する。
「大崎機と三島機は向きを病院へ変えて待機っ! 俺は病院内に向かう! アリスは機体で待機っ! 高梨一等陸曹は本部へ連絡後、武器を持って俺と来いっ!」
川島女史の言葉通り、寄生していた奴らが一斉に孵化したと判断した俺は準備を急ぐ。人手不足の極みにより、ここにも警備兵がほとんど居ないのだ。
ここでようやく理解がいったのか、大崎の悲痛な声が響く。
「隊長っ! ここには田沼さんがっ!」
「分かっているっ! 任せろっ! 緊急で機体を解放っ! アリス、リサっ! アクティブカノンの出力を最低にして待機だ! 理由は分かるな?」
イザとなったら窓越しに人の隙間を縫ってでも撃たせる為である。直進性の強いアクティブカノンなら被害は最小に出来ると踏んだのだ。まあ、最悪、これによる犠牲は出るかもしれないが既に形振りを構っていられないという事でもある。
そして……これをすぐに正しく理解したであろう二人のしっかりとした了解の返事を合図に俺の浮き上がるような感覚が消え去っていく。本来のチェックを幾つも抜いて俺の身体を包んでいた電磁ハーネスが緊急で解除されたのだ。
すぐさまバーを掴み、同時に開放されたハッチから身を乗り出し飛び降りる。
<そこの裏口の管理室に『25式7.62mm小銃』があるわ!>
これは歩兵が持って走り回る事が出来るサイズ、且つインセクタムに辛うじてダメージを与える事が出来るのではと採用された最新のアサルトライフルである。
だが当然、最も小さなアント相手でもほぼ足止めしか期待できない銃である。
それでも護身用か、引付用、自殺用にしかならない俺の持ち出したハンドガンよりはマシという事だ。調べて教えてくれたアリスへ感謝の言葉を告げる。
「アリス、ありがとう!」
<まだ出会って半日なんだから……無理は絶対にしないでね!>
その気遣う言葉に既に走り出していた俺は手を上げる事で答えを返す――