002 荒れ狂う風雨の中
小さな自己満足を得た俺は『エルザ』に向けて改めて指示を送る。
「よし、オートバランサーを解除してくれ」
<了解です>
機械的で実に冷たい音声が響くと同時に自機のオートバランサーが解除される。
同時に伝わってきた『身体が前へ後ろへと交互に引っ張られるような感覚』……それを制御する為、自身の手足の延長となる『機械の手足』を大袈裟に振る。
……と言っても中で実際に俺の手足を振り回している訳では無い。脳からの指示は実際の俺の手足ではなく、『AA-PE』の腕部・脚部へと向かっているのだ。
ともあれ、この俺の架空の動きと『AA-PE』の実際の動きが合わさる。それを細かく制御する為、各部のノズルから調整用の軽い噴射が行われる。
まあ、俺と機体との接続は非常に上手く行っているという事だ――
「よし、腕部・可動確認、そのまま脚部の可動状況を確認する」
今度は俺の膝を持ち上げる動作に合わせて『AA-PE』の金属の太い脚が持ち上がり下ろされていく。瞬時にアスファルトを踏みしめるズムズムという音が響く。
五トンを超える重量を持つ『AA-PE』の力強い足踏みにも関わらず、足元の古いアスファルトには傷一つ出来なかったようだ。
最新型のショックアブソーバーは以前の油圧式のモノでは到底考えれらないような素晴らしい反応を見せてくれたという事だ。
脚部との接地面を守るゴム製のシューズの方も良い働きをしている。
既に自機の上方へと呼び戻されたドローンの補助カメラからの足元の映像……それをサブモニターの一つで確認した俺は満足げに次の指示を出す。
「よし、全て問題無しだ。『エルザ』、両肩の『テイザー・ショックウェーブ』と背部の『アクティブカノン』の使用を許可する」
<了解、テイザー・ショックウェーブとアクティブカノン二門を起動します>
様々なオプション装備を可能にするアタッチメントを各部に持つ『AA-PE』……
その両肩のサイド部分に取り付けられた『縦二メートル、横一メートルの都市迷彩が施されたシールド』……その上部に張り付けられるように付属していたテイザー・ショックウェーブからピーという甲高い起動音が鳴り響く。
これは射程に入った敵に対して電極針を打ち込み、繋がったワイヤーから電撃を送り込み、電撃を受けた相手は痺れさせて一時的に行動不能とするという半自動の兵器である。もちろん、このワイヤーは電撃を流し込むと同時に切断される。
さて……そうこうする内に背部に備えられた『アクティブカノン』の方も正常に起動したようだ。ノズルだらけの背部ランドセルの上部に二カ所あるアタッチメント、そこに取り付けられた球型の台座の辺りから小さな起動音が聞こえてくる。
同時に下を向いていた砲身の先が円を描くようにして前方へと向けられる。
こちらは所謂、レールガンと呼ばれるモノ……『AA-PE』を戦闘向けにする切っ掛けとなったジェネレーターの副産物となる代物なんだそうだ。
まあ……当然だが、一兵卒である俺に詳しい仕組みは分からない。だが、これが『AA-PE』の最強の装備の一つだという事だけは俺でも分かっている。
アタッチメントに接続された球型の台座の可動範囲内にしか撃てない事やプラズマ化したレールを頻繁に交換しなければならない等の欠点もあるが、こいつはそれらの欠点が全く問題にならない程の『射程と初速と威力』を誇るという事だ。
まあ、その内の射程に関しては生かす機会が無いのだが……
<砲門の起動確認、このまま戦闘態勢を維持します>
又もや響いた機械音声と共にアクティブカノンの砲塔が元の位置へと戻されていく。そして超短距離レーダーと赤外線レーダーに改めて緑のランプが点る。
信じられない程に風雨が強まり、嵐によって磁場が更に乱れる中……ようやく、有視界戦闘への備えを終えたという事になる――
機体の頭部メインカメラと連動した『ヘッド・マウント・ディスプレイ』……その内部モニターに映る周囲の景色と右上のレーダーを交互に確認していく。
だが、『視界』も『レーダー』も想像以上に機能していないようだ。
ナイトヴィジョンを通した緑と黒の世界……その先にあるはずの崩れた工場跡地すら今は見えていない。当然、左右に展開するはずの僚機の姿も見えない。
レーダー上の味方の反応すら時折、消えてしまうような状況である。
「滝のような雨……いや、滝は横向きには落ちないか……ともあれ、対岸も見えない程とはな……実に困ったものだ」
川越街道と呼ばれる国道の端に陣取る我々の背後には高校の跡地が大きく広がっており、その奥が取り返した朝霞駐屯地となっている。
そして先ほどに言った通り、前方には酷く崩れた工場の跡地が見えてくるはずなのだが……やはり、今は全く見ることが出来ないようだ。
この孤立したかの様な状態に少しばかり不安感が高まる。
だが、突如として響いたホバリングの音によって全て掻き消される――
慌てて上空へと視線を向けた俺の動きに合わせて機体の首が滑らかに可動する。その先に見えたのは飛行機の様な姿をしたヘリコプターようなモノであった。
「『HB』……? まだ撤収してなかったのか……」
『JV-28 ハミングバード』……あのオスプレイに代表されるティルトローター機の最新型であり、ヘリコプター以上の垂直離着陸、安定したホバリング能力、高い航続性や速度能力をも合わせて有する非常に素晴らしい機体である。
こいつは嵐が続くようになった大空の最後の航空支援機……僅かに風が弱まる事がある超低空での目視による偵察・支援砲撃を主軸の任務としている。
まあ、その超低空もすぐに天候悪化し、飛行が不能になってしまうのだが……
「すまない、我々は……に撤退する」
『AA-PE』に負けずとも劣らぬ程にノズルが取り付けられた『HB』が無理やりにノズルを吹かして無理やりに飛んでいるようだ。
そんな絶望的と言える程にフラフラとしている彼らに素早く賛辞の言葉を送る。
「支援を感謝する! 撤退を急いでくれ!」
その俺の心からの感謝の言葉を受けるや否や、ハミングバードが後方の朝霞駐屯地の方へと消えていく。そして俺たちの元には次々と地形データが送られてくる。
彼らが周囲の偵察と併せて行っていた『最新の地形データ』である。
昨日の戦いで新しく造られた建物と機体の残骸、道路の窪み、そして敵である『インセクタム』たちの死骸の位置が次から次へと送られてきたのだ。
「凄いです……彼ら……分と遠……で飛……くれた……すね!」
入れ替わるように今度は無線から明るく朗らかな女性の声が聞こえてくる。
この声の主の名前は『田沼 恵子』……俺と同様、この『AA-PE』の完成から今まで搭乗者を務めているベテランパイロット……彼女は礼儀正しく、勤勉で努力家でもあり、その美しい見た目も相まって部隊の人気者でもある女性だ。
何でも今年で三十八歳となる『何某 翼』とかいう女優に似ているらしい。
(まだ二十五歳の彼女に対して、それが誉め言葉になるのか分からんが……まあ、女優であれば美人なのだろう……となると、やはり偵察部隊にも下心か……)
あれほどの危険を冒すのも致し方ないという事だ。
ともあれ、感謝感激といった調子で喋る彼女に一つの提案をする。今後の部隊全体のチームワークに繋がるのではと考えた妙案が突如として浮かんだのである。
「先ほど聞いたのだが、彼らも三日後に休暇だそうだ! 皆で酒でも飲みに行っては? そこで感謝の言葉の一つでも伝えてみてはどうだろうか?」
「……? 休暇? どうい……とですか? 彼らって……」
「君は……皆に好かれているからな! それに君は酒が好きなんだろ?」
だが、俺の言葉は被さる様にした田沼の大きな声に押し潰されてしまう。
「はぁ……皆って? ……さん……は入ってい……ですかね? って言うか、誘ってる……私と一度も飲み……行ってもくれませんよね?」
「な、なんだ? 良く分からんが、俺は下戸だと言っただろ……?」
無線の状況が悪く、ハッキリとは聞こえてこない。だが、間違いなく何かしでかしてしまったらしい。彼女の声があからさまに冷たいモノへと変わっていく。
「ふーん、ま……いですけど……少し……いは……を考えては如何ですか?」
「隊長、そんなベタな……!? ま……本当に気付……なかったん……か?」
「大崎まで? 何をだ? すまん……良く聞こえないんだ!」
人気の高い彼女に感謝の言葉を貰えば喜ぶに違いない。そう、考えて軽く口にした事なのだが……何やら二人の地雷となるようなモノを踏んでしまったらしい。
(やはり、慣れぬ事はするべきじゃ無かったか……)
だが、次の瞬間……無線機から響いた驚愕の声に全てが掻き消されてしまう――