133 黒幕
このノアの断言するような言葉はすぐに上層部へと共有される。
当然、その上層部に『西島 康介』政務官は……含まれる――
そして……答え合わせのように非常事態を告げるサイレンが鳴り響く。そんな耳を劈く音の中、状況を素早く把握したリサが叫ぶように報告してくる。
<エアロックの隔壁が手動で緊急開放! 『AA-PE』一機、ホバー一台が奪取されました! 目撃証言から隔壁を開放した人物が西島政務官である可能性大っ!>
<え、え、まさか……そ、そんな……西島さん……嘘……なんで……!?>
ようやく、遅れて状況を把握したアリスが目を丸くして絶句する中、俺も二転三転する信じられない状況に大いに驚き、思わず反射的に立ち上がってしまう。
だが、その勢いは何処へやら……ただ茫然と立ち尽くす事となる。
「康介……まさか……そんな……」
視界が僅かに揺れ動いたように錯覚した俺は反射的に頭を手で支える。だが、少しだけ思い当たる節が浮かんだ為か、絶句しながらも徐々に冷静さを戻す。
ゆっくりと椅子へと戻った俺はその思い当たる事をハッキリと口にする。
「そうか……最初の一人の医師に心当たりがあったぞ……バラバラの死体で発見された『武田 真也』だ。確か、康介が懇談会の時に教えてくれた情報だ」
<な、なに? 今、それ? そんなこと話している場合じゃ……>
大きな溜息を吐き、深く椅子に座り込んだ俺に向け、アリスが困惑しながら声を掛けてくる。そんな彼女に答えを返さず、すぐに俺はノアへ問い掛ける。
「ノアくん、こいつの情報を詳しく教えてくれ」
この問い掛けで全て理解したノアが素早く必要な答えを返してくれたようだ。
<『武田 真也』……確か、田沼さんを診た外科医ですね。腕は良かったようですが、色々と黒い噂が……噂は医師としてでなく、個人的なモノのようですが……それに奥方と娘にも悪い噂があったようですね……弱者の保護団体を隠れ蓑に……>
「脅せそうな奴か?」
<家族揃って、かなり欲求が強いようですね……簡単にできるかと……>
「そうか……」
どうやら逃走したと思われる西島康介が主犯である可能性は高いようだ――
「何にせよ、その家族の黒い噂とやらを使って脅迫……こうなると最初の洗脳装置の取り付けは……康介と……その医師で出来そうだな……確信は無いがな……それよりもノアくん、田沼くんも取り付けをされた訳だが、これからの影響は?」
<再手術の際に吉川医師と共に安全は確認済みです。問題ありません>
「そうか、二人のお墨付きなら安心か……しかし、どうしたものかな……」
<彼が犯人と確定した所で……我々は何もできませんからね>
思わず、二人揃って溜息を吐き出してしまう。そんな中、『悠長に今、話してる場合じゃないでしょ』と叫んでいたアリスの言葉に俺はようやく答える。
「アリス……バイクの機動力なら追えるが、追いついても何もできないし、燃料の限界がある。同じホバーなら最後まで追えるが当然、返り討ちにされる。次の作戦に備えて大半の機体がオーバーホール中、その他は警戒行動に出払っていた上で、ここの僅か一機の『AA-PE』を奪ったんだ。つまり、我々は……追えない」
でも、周囲の部隊だってと言ったアリス、そんな彼女に首を振る。
そう、周囲に展開している部隊は確かにいる。だが、現状のギリギリな機体数の所為で互いの距離は信じられない程に広くなっているのだ。そして……まず間違いなく、その隙間を把握している彼はそこを簡単に抜けていく事になるのだ。
やはり、彼を追う術も止める術もない――
俺はもう一度、大きく溜息を吐き出す。
「今朝一番で最後の機体が持ってかれた……そのタイミングを狙ったか……」
<どのタイミングでも逃げれたとは思います。それを考えると我々に気付かれる瞬間までは何かをしたかったのでは……そのような可能性が高いと思われます>
「……となると、この部屋にも盗聴器か……後で調べて貰おう」
<それが良いと思います>
そんな完全に諦めた俺とノアにアリスが又もやと声を掛けてくる。
<そ、そうだ! 西島さんって機体の適性なかったよね?>
だが、この言葉はここまで我々を見守っていたリサにやんわりと否定される。
<アリス、少し冷静になりなさい……彼に適性がなくても、エルザがいる。移動くらいなら問題ない。それくらい、いつもの貴女なら分かるでしょ?」
<で、でも……>
俺の幼馴染である康介を擁護したいという事なのだろう……そんな何とか必死にといったアリスにもう良いと感謝の言葉を投げ掛けた俺は改めて溜息を吐く。
「はぁ、俺は……いや、誰一人……気付きもしなかったな……」
ノアがマザーから情報を奪取したと発覚してから入念に……それとも、それ以前からだろうか……何にせよ、一瞬の隙を突いた最高の逃走劇となったようだ。
やはり、俺の幼馴染は信じられない程に優秀であったという事だろうか……そんな随分と場違いな、少し誇らしげな想いが溢れてきてしまう。そして同時にここまで自分を一切頼ってくれなかった事に俺はほんの少しだけ寂しさを覚えてしまう。
「あの時、単独行動までさせ、秘密裏にレーザー通信まで使い、密会までして俺に医師の話をしたのは……気付いてくれるなら止めて欲しかったという事だったのだろうか……そして俺は……頼りにならないと判断されたのかな……」
ようやく、感情が戻ってきたのか、俺は強い寂しさから思わず小さく項垂れてしまう。そんな俺にアリスが申し訳なさそうに通信を受けた事を報告してくる。
<誠二……連隊長から……>
「了解だ……繋いでくれ」
すぐに狭い室内にスピーカーを通した前澤連隊長の声が響き渡る。
「大いに凹んでるだろうが……至急、そこの全員で連隊長室へ来い」
少し震えたかのような彼の言葉に従い、俺は連隊長室へと急ぐ――
◇
さて、混乱気味であったアリスだが、ここにきて正気を戻したようだ。走るでもなくだが、早足で連隊長室へと向かう俺に対してアリスが声を掛けてくる。
<ね、ねえ、誠二……ど、どうするの? え、これって西田は巻き込まれて……西島さんが真犯人って事……? あ、それとも西田も一緒で……どうなの!?>
私たちは一体、どうすればいいのよと……いつもの調子で複雑な気持ちと困惑をしっかりと伝えてきた彼女の言葉に俺は短く冷静にハッキリと答えを返す。
「どうするかは分からんが、何かしら連隊長へ進言する。立場があり、その上で進言のチャンスまで手に入れたんだからな……目一杯に活用させてもらう!」
その適当な言葉にアリスが悲鳴のような声を出す。
<それは良いけど……進言!? 何を!? 何の為に!?>
「博士も康介も何らかの問題を起こした。それは間違いない……まあ、その上で二人の罪を少しでも軽くしたいって事だ。その為の進言をする……つもりだ」
<下手すると二人とも重犯罪者なのに!? 出来るのっ!?>
「出来るか、出来ないかじゃない……彼らは……友人……なんだ……」
<そ、それは……分かるけど……って言うか、何も考えてないでしょ!>
「今から考える! どうせ、連隊長たちも混乱中だ! 大丈夫だ!」
そう言った俺は扉へのノックと声掛けだけで連隊長室へと入り込む。
そして――
明らかにゲッソリとした表情の前澤連隊長と神田陸上幕僚長、そして信じられない程に茫然自失となった大森防衛大臣……そんな三人の誰かからの言葉を待つ。
<うわぁ、最悪の雰囲気……ってか、何を聞かれるのかしら?>
「アリス、静かに……」
そんな中、最初に気を取り直したのは連隊長であったようだ。俺の存在に今、気付いたと言わんばかりの表情で、こちらへと視線を向けた彼が静かに口を開く。
「つい、本当につい先ほど、彼から今作戦の全てが上がってきた……送られてきた時間を考えると事が発覚したにも関わらず、構わず俺に対して送ってきたようだ」
どう思うと言わんばかりの前澤連隊長……その苦渋の表情と困惑した言葉を受けた俺だったが、一切の淀みなく、冷静にハッキリと答えを返す。
「ただの勘ですが、彼の主目的は『日本に巣食う腹黒い連中の掃除』だと思われます。そして……やはり、ただの勘ですが、先日の会議の態度・言動も全て本音から……つまり、この作戦は正しく成功まで持っていけるモノであると考えます」
余りにハッキリと俺が断言した事で前澤と神田……オマケでモニターの中のノア・リサ・アリスまでもが目を剝く。だが、そんな二人と三人、そして黙ったまま、チラリとこちらへと視線をやった大森大臣に対して俺は更に言葉を続ける。
「仮に……いえ、このタイミングで機体を奪って逃走したのですから、彼がマザーの暴走の件に関わったのは確定です。その上で彼のやった事……やり方は日本では悪です。そこは間違いありません。その罰は絶対に、絶対に受けて貰います」
またハッキリとそう言った俺は今度は言い淀みつつも、更に言葉を続ける。
「ですが、彼をよく知る幼馴染として……大切な友人として……そして今まで共に戦い抜いた同僚として……未だ彼は十分に信じられると思っております。そう、彼の敵は『日本に巣食う腹黒い連中』であり、決して我々ではないという事です」
ただ、どんなに言い繕っても彼の行った事は最悪の最悪……
そして……この最悪の行動の結果、群馬エリア等が壊滅したかもしれない。それらを考えると、もはや極刑は免れないだろうと思っているという事も付け足す。
「何にせよ、この作戦に問題は無い……これが自分の意見です」
自分でも何を言ってるのか分からない部分はあるが必死に言葉を吐き出した。そんな俺の言葉を聞き終えた上長三人が、どうしたものかと顔を見合わせる。
そして次の瞬間、仕方なしと代表する様にまた前澤が口を開く。
「この後に及んで……まだ信じると言うのか……ううむ、いや、確かに彼の実績を考えると……だが……だが、奴は何故、逃げた? 西田博士の件を考えると彼は責任を博士に押し付けようとすら……それでもまだ奴を信じると言うのか?」
そう言った彼の言葉に俺もすぐに想定していた答えを返す。
「博士を嵌めた件は事実……その上で今、何か伝えられていませんか? 博士の名誉を守るような……アイツなら間違いなく、その作戦概要に書き加えるかと……」
そう言った俺の言葉に三人が顔を見合わせる。そして……
「確かに上がってきた作戦概要の報告書に……西田博士が開発時に仕込んだバックドアを悪用したのも、彼のパソコンに情報を意図的に残したのも自分だと……何に利用したのかも話せる事は全て……ここに書かれている……ようだな……」
先ほど以上に驚いたのか、三人が同時に目を丸くし、ヒソヒソと『事前に話したのか』、『いや、絶対にしていない』と小さく言い合い始めたようだ。まあ、これは自信満々にそう言ってのけた俺だって驚いてしまったのだから仕方ない。
だが当然、そんな事はおくびにも出さず、俺は更に進言を続ける。
「やはり、そうでしたか……彼の性格を考えれば……そうだとは……なるべく無傷で排除して全てが終わった後に身柄と名誉を回復しようと考えたのでしょう」
この俺の話を受けてまた三人がボソボソと話し合いを始める。そんな中、ノアからアリスへと俺に見せて問題ないとされた情報が次々と渡されてきたようだ。
「なんだ……?」
<今ある情報だって……>
そう言ったアリスの言葉でスマホへと目を落とした俺の前で映像から文書の一覧へと切り替わる。それにサッと目を通した俺は小さく溜息を吐き出す。
「やはり、博士が……それに……こちらもやはりか……」
どうやら、西田博士がマザーの開発段階にバックドアを仕込んだのは事実のようだ。そして……それを康介が悪用したのもまた残念ながら事実であるようだ。
実際に何があったのかは分からない。だが、兎にも角にも彼は余りに短絡的な行動をしてしまったようだ。しかし、そんな短絡的な行動を優秀な彼が取らざるを得なかったという事から、それ相応の事情があったのだろうとも考えてしまう。
「はぁ、こんな事をしても一時的なだけ……それが分からない男ではない……にも関わらず、こんな短絡的な……心が折れかかってしまったのだろうか……」
さて、康介が何故、折れたのか、何があってそうなったのかもは分からない。だが、まだ彼がマザーを使って粛清を続けたいと考えているという事は分かる。そう、姿を消したという事は……その意思だけはまだ確実にあるという事なのだ。
そして……そうであるならば……俺が彼を止めなければならないだろう――
「せめて、話だけでも……」
そんな事を考えた所で俺のスマホのモニターに今度はメッセージが表示される。
「西島政務官の立案した作戦を実行するよう進言……します?」
周囲に聞こえぬよう小さくボソリと読み上げた所でメッセージの送信者であるノアの視線に気づく。そんな彼の頼もしい表情を確認した俺は頷く事で応える。
次の瞬間、ノアが発言の許可を願いますと立ち上がる。
そして……すぐに許可を与えられたノアがそのまま言葉を続ける――
<現状に大いに困惑されていると思います。ですが、今作戦は何としても実行すべきと進言いたします。理由は簡単です。事情はどうあれ、有利な戦線の構築は自衛隊にとっての責務……この機を逃す理由が一切ないからであります>
時間は余り残されていない。考えるまでもなく、インセクタムの個体数はすぐに戻ると断言する様に口にしたノアが皆の返答を待たずに更に言葉を続ける。
<圧倒的に有利な戦線を構築するチャンスは間違いなく、今しかありません>
その上で……と前置きしたモニターの中のノアが何らかの表示と入れ替わる。それに素早く目を通した前澤連隊長がすぐに唸るようにして口を開く。
「主目的が『日本に巣食う腹黒い連中の掃除』と仮定するのであれば……確かに奴の行き先はマザーの元へ向かう事……我々の北上を阻止する事ではないな……だが、マザーの目的を考えると……いや、これにマザーの横槍は無いか……?」
遅れて目を通した俺も小さく唸る中、ノアが更に畳み掛けるように口を開く。
<予想されるマザーの居場所は例の座標の可能性が高い。それも踏まえると『戦線の押し上げ・政務官の逮捕・マザーの奪還』……この重要な三つの要件の全てが北へと向かう事と合致します……よって、今作戦は実行すべきと具申します>
後はこの作戦を信じるかどうかだけという言葉受けた三人がすぐさま考え込む。
だが、そんな三人がものの数秒で同時に視線を上げる――
そして……
「儂は康介を……あいつの性根を信じておる! あいつは正義感が強く、汚い政治家を出来れば消し去りたいだろうと考えていたのは……承知しておる。そんな本当に正義感の強い康介はここで罠を張って我々を嵌めるような事はせんっ!」
感情的に信じるに決まっていると叫んだ大森防衛大臣の発言に続き、書類に目を落としていた神田陸上幕僚長が納得したように顔を上げて徐に口を開く。
「私は彼をそれほど知りません……ですが、ここまでの多大な実績を考えると大臣と似た結論に至ります。無論、全てが終わった後に起こした事への罪は償ってもらうが……ともあれ、この作戦は信用して問題ないだろう……そう考えます」
そして……そんな二人の言葉を聞き終えた前澤も静かに口を開く。
「では、自分から一言……仮に彼からの立案が無かったとしても……私はこれと似た作戦を少し遅れて二人に上げたでしょう。まあ、腹を……括りましょう」
絶対に時間が掛かるはずの話し合いであったが、思った以上に速く結論に達してしまったようだ。そんな少し驚いて目を見開いていた俺に声が掛かる。
「さて、呼んだのに、もう帰れと言うのも何だが……橘、貴様は今から休暇を楽しめ! 後の事は我々に任せろ。二人の処遇もな……まあ、悪いようにはせん」
「当然、この内容は機密に当たる……我々も『この三人まで』で留める。だが、田沼二等陸尉と大崎三等陸尉だったか……彼らと最低限の話をする事は許可する」
「すぐに戦いが始まる……橘一等陸尉、覚悟はしておけ」
前澤連隊長、神田陸上幕僚長、大森防衛大臣が続けて声を掛けてくる。
さて、ノアとリサは残れという追加の言葉にアリスが少し憤慨したものの、休暇はいいのかという更に追加の言葉でアッという間に説得されてしまったようだ。
……と言う事でアリスと二人仲良く、この部屋を後とする――




