132 歪んだ正義
少しの寂しさと小さな困惑が見て取れるノアの表情、明らかに怒りが上回っているリサの表情……それぞれが自分に相談が無かった事に強い憤りがあるようだ。
だが、今は『まずは俺にと伝えにきた事』についてが重要だろう――
そう考えた俺は小さく溜息を吐き出すと共にすぐに二人へと続きを促す。
「それで……?」
真剣な俺の眼差しを受けるや否や、早速とばかりにノアが口を開く。
<おそらく、博士はバックドアの類を事前に、秘密裏に仕込んでいた可能性があります。当然、自由に閲覧……いえ、それ以上の事も出来るようにする為です>
持ち出されずに残された数台のスーパーコンピューター、それと繋がっていた様々な機器、それらをずっと探っていたという二人……その中に僅かだが、幾つか妙な痕跡があったと言葉を続けたノアが少しだけ躊躇してから更に言葉を続ける。
<それらを調べる内に……不可解なデータを発見しました>
苦渋に満ちた表情のまま顔を落とし、そう口にしたノア……その横で苦虫を嚙み潰したような表情となったリサ……そんな彼らの姿が映っていたモニターの中、入れ替わるように今度は何者かの名前と何らかの出来事らしき情報の一覧が現れる。
「これは……あまり良い内容ではないな……悪事の一覧……という事か……?」
パッと見た限り、権力を悪用した中々にあくどいレベルの不法行為のオンパレードといった所……最初の数列に目を通した俺はすぐにノアへと問い掛ける。
「まあ、その……よくある事のようだが?」
そう言った俺の言葉を受け、ノアが次の付随する一覧を表示させてくる。この新た情報を上から順にと急いで目を通した俺はすぐに絶句する事となる。
「全員……この一、二年で死んでいる……だと……?」
この俺の小さく唸るような呟き……それを聞き取ったノアがすぐに反応する。
<はい、そして……その死因の方も相当に異常です>
そう言ったノアが、それぞれの詳細な死因を並列するように表示させてくる。そして……その内容の方は素人の俺から見ても明らかに異常であったようだ。
上から順にズレることなく並ぶ『心筋梗塞』という字面に俺は言葉を失う。
<男女問わず、老いも若きも一、二年で全て心筋梗塞は……流石に異常です>
明らかな不審死の増加……なのだが、これが西田博士の件とどう繋がるのかが分からない。そんな俺の怪訝な表情に答えるようにノアが更に言葉を続ける。
<この異常な情報が西田博士のラップトップから見つかりました。何らかのミスをしたのか、そうでないのか、完全に消し去る事が出来なかったようです>
隠す意図か、残す意図か……どちらにせよ、今回の件と関係が無い筈はないと考えたノアとリサは持ち出されずに済んだ機器を徹底的に調べ上げたそうだ。
<我々の搭載されたスパコンまで持ち出されなくて良かったです>
本当に……と意味深にポツリと呟いたノアが更に更にと言葉を続ける。
<調査の結果、全員の死にもう一つの共通項を見つけました。全員が……厚生労働省の管轄する定期健康診断の後、ほぼ同一のタイミングで死亡しています>
「確か、数年前に義務付けられた奴だな……」
この厚生労働省管轄の定期健康診断はマザーが深く関わるモノ……そう、彼女が患者の様々なデータを集積し、医師立ち合いの元、問診を行っていたのだ。
<この健康診断の後、全員が感染予防として何らかの注射をされています……これにより、意図的に心筋梗塞を起こされた可能性が……いえ、状況的には……>
「これだけで……断言できるか?」
そんな俺の言葉を受け、ノアが苦悶の表情となる。そして……
<当然、この情報だけでは断言できません。断言するに至った理由は別……先ほどのラップトップの中に……『とある条項』に関わる命令を確認しました>
「……とある……条項?」
<はい>
そのハッキリとした短い返答に続き、眼前のモニターに大量の文章が画面いっぱいと表示される。そして、すぐに幾つかの文書が太く見やすく強調される。
<まず、細則は省きますが、マザーの受けた最も優先すべき条項は人類に反逆しない事、人類の発展に寄与する事、その際に日本国民を優先する事、そして状況次第で自己を保護する事となります……ですが、それらの最優先条項の中に秘密裏に『倫理に反する者の優先処分』という新たな条項が付け加えられていたようです>
先ほどの命令とは……その新たな条項へのアクセスだったとノアが断言する。
<誰が、いつ、どこで新たな条項を書き加えたのか……その条項が現在も反映されているのか……どれもこれも分かりません……ですが、その西田博士の所有するラップトップから何度も命令が実行された……残念ながら、これだけは確定です>
「西田博士……が……細則に処分は死とあるが……?」
<はい……博士のラップトップから命令が出されたのは間違いありません>
既に詳しい内容、断言するに至った理由などは上層部と情報共有されていると続けたノア……モニターの端に小さく映し出された彼が残念そうに目を伏せる。
あまりに驚愕の情報に皆が口を噤む――
だが、俺の方は防御反応とでも言うのか、逆に冷静になってしまったようだ。
「この情報は全て上に?」
そう短く問い質した俺の言葉にノアが少し驚きつつも答えてくる。
<は、はい、既に連隊長、幕僚長、防衛大臣、共に報告を済ませております>
「……なのに、俺に報告を?」
<はい、報告の際に繰り返し、関係者以外への情報漏洩を止められました。つまり、最高機密です……ですが、相当な関係者である隊長ならば問題ないかと……>
前澤連隊長の言葉の行間を読んだ結果だと言い張るノア……やはり、彼もアリスの兄妹という事だろうかと考えてしまったが、すぐに冷静さを戻して答える。
「それはまた何とも……だがまあ……良い」
さて、兎に角、これまでノアから聞いた事が全て……いや、半分でも事実であれば、博士の方は随分と宜しくない行為をしてしまったという事になりそうだ。
この新しく書き加えられた可能性があるという条項、『倫理に反する者の優先処分』という名称を俺は改めてぼんやりと何度も繰り返して口にしてしまう。
「はぁ、倫理、倫理、倫理……か……とても彼に似合う言葉とは思えんが……」
やはり、彼なりの正義感で勝手をしてしまったという事なのだろうか……辛うじて読み出せたとう関連の細則の一部を見る限りは確かにそう取れる。
だが、どうあっても法治国家の我が国としては私刑は非常に宜しくない行為と言わざるを得ない。彼のやった事は紛れもなく悪……という事となる。
そう考えた俺はまずはと一つの答えを出す。
「処分された連中は裏金やら何やらと噂された腹黒い者だけ……だが、それでも本当に事実であれば、事に対する罰は当然、受けて貰わねばならないな……」
だが、この思わず口に出てしまった言葉に絶句したままだったアリスが過剰に反応してしまったようだ。モニターのスピーカーがキンキンと音を立てる。
<そ、そんな……! 罰だなんて……! まだ西田が犯人かだって……!>
そう言ったアリスの泣きそうな声に俺はすぐに答える。
「アリス、事実であれば……だ。そして……いつもの『ただの勘』だが、俺は事実は別にあると……当然、まだ何も纏まっていないが、一緒に考えてくれ!」
落ち着かせる意味を多分に含んだ言葉……なのだが、この答えに一応の納得をしたのか、アリスが画面の端で小さくコクコクと何度も頷いてみせる。
そんな彼女とノアとリサに対して俺は早速とばかりに問い掛ける。
「早速だが……何故、博士は姿を晦ましたと思う?」
この言葉に一つのモニターに集まった三人が顔を見合わす。
<単純に考えると逮捕……拘束されたくなかった?>
代表する様に答えたアリスの言葉に俺は更に問い掛ける。
「では、拘束されたくなかった理由はなんだろう?」
これに少し悩んだような表情を見せたアリスがまた答える。
<ええと、なんだろう……無責任に逃走……って事はないと思うけど……>
そうポツリと呟いたアリスの言葉に俺はすぐに同意を示す。
「俺もそう思う……彼が犯した罪も償わずに無責任に逃亡するとは思えない」
そう、言い換えると彼にはまだ何らかのやり残しがあるのではという事だ。
「犯人であると仮定するならマザーとの合流……犯人でないと仮定するなら真犯人の確保の為、若しくは暴走したマザーを止める為……なんて事もあるか……」
そんな俺のブツブツと呟いた言葉にまたアリスが反応する。
<犯人……やっぱ、どう考えても西田が犯人とは……思えないのよね>
そう言ったアリスの言葉に今度はリサとノアが同意を示す。
<確かにねぇ……そもそもというか、あいつが気に喰わないからといって人が殺される事が確定しているような条項を書き加える性格とも思えないのよね>
<その通りです……彼は人が良すぎる程に良い性格ですからね>
<ま、正直な所、誰かに騙されたか、嵌められたんじゃない?>
<その証拠は一切ありませんが……ふふ、否定もしきれませんね>
そんな二人のやり取りにアリスもニコニコと笑顔を見せる。
さて、やはりというか、何と言うか、西田博士は思っていた以上に三人からの強い信頼を得ていたようだ。それを確かに感じた俺も思わず笑みを零してしまう。
だが、そんな次の瞬間、俺の頭に突拍子もない考えが思い浮かぶ――
「彼は君らにも好かれるような人物……悪い奴でもないし、馬鹿でもない」
困惑したアリスたちの表情を横に俺は深く考え込む。
そう、彼は馬鹿ではない。ドジな所は大いにあるが、致命的なミスをするとは到底思えない。逆説的になるが、そんなマヌケは産総研のトップなど成りたくても成れないのだ。やはり、そんな彼が短絡的にマザーに条項を加えるとは思えない。
仮に開発に強く関わっていた彼が新たに条項を加えるというなら、コッソリとではあるが、何度も何度も試行錯誤してから……となるに違いないと思えたのだ。
「慌てて進める理由が無いのに行動に余裕がないな……それに彼の生来の性格と能力……実際にやった事……やはり何か、そうチグハグさを感じるな……」
何の確証もないが、何故か嫌な予感だけが膨れ上がっていく。そして……それはノアとリサも同様のようだ。そんな珍しく冷や汗をかいた二人に問い掛ける。
「バックドアを仕込んだのは……プログラマーで開発にも強く関わっていた西田博の可能性が高い。だが、その上で……なんだが、その……悪戯のバックドアを後から知る事が出来る『権力と能力を持つ人物』……なんていうのは……いるか?」
この小声の問い掛けに二人が顔を見合わせ、代表するようにノアが答える。
<開発の中心となった防衛省の上層部……且つ、相当なプログラミングの知識も有していると考えると……そうですね……数名程度に絞られるかと思います>
分かりやすく大きく息を飲んだ俺が更にノアへと問い掛ける。
「その中に……『倫理に反する者の優先処分』を考えそうな人物がいるな?」
<はい、会議での言動、日常会話、論文……前澤連隊長、大森大臣、橘一等陸尉からの評価などを参考にすると……『西島 康介』政務官の可能性があります>
ハッキリとしたノアの言葉が狭い部屋にやけに響き渡る――




