131 新たな疑惑
改めて言う。我々は道中の障害を排除し、全速を持って北上する――
全ての情報の伝達が終わり、そう宣言した前澤に俺は頷いて見せる。
「ようやく、分かりやすい言葉が聞けました」
もう覚悟は決まっているという俺の答えに前澤が書類を持って応える――
◇
「隊長……頑張ってください!」
「自分たちは回復に専念します!」
さて、そう言った田沼と大崎を見送り、俺はトボトボと部屋へ戻る――
だが、やはり少しばかり愚痴が零れてしまう。
「今の時代に書類の山か……まあ、データで渡されても、やる事は全く変わらんのだが……それでも見た目の問題かな……心へのダメージがデカいような……」
<一応、不正アクセス対策だって……それにしても本当に凄い量ね>
後に読む俺が理解しやすいようにと絶賛、要約を進めてくれているアリスも流石にげんなりしてしまったようだ。俺が一枚一枚と捲っていき、カメラで確認するだけという単純作業ではあるのだが……如何せん、余りにも枚数が多いのである。
<わ、字が細かくなった……さっき、言った予定時間を超えるわ>
アリスのボソリと口にした言葉に答えを返さず、俺は僅かに足を遅くする。
◇
さて、ようやく自室に戻る事が出来た俺の眼前、小型のモニターにアリスが一生懸命に纏めてくれた簡潔になったはずの情報がたっぷりと表示されていく。
「目が……滑る」
<もう少しだけ、あるから待っててね>
「そうか……もう少し、あるのか……」
長期休暇とはなんだろうか、思わず頭を抱えたくなった俺……残念な事に、ここでようやく眼前の情報が、ただの目次の羅列であった事に気付く。
「待ってくれ……これ目次なのか……目次だけで……これなのか?」
茫然としそうになった俺に更に嬉しくない情報が告げられる。なんと、数えたくもない程に並んだ目次の中にも相当量の文章がある事が告げられたのだ。
まだ始まってもいないのに心が折られた俺にアリスが少し不満げに口を開く。
<なに、その顔! 当然でしょ? もう、これでも頑張って纏めたんだよ!>
「そ、そうか、そうだったな……ありがとう……」
<えへへ……でも……ホント、多いね……今日は全部、これに当てないとね!>
「一日……? 今はまだ朝の八時なのだが……」
<うん、十五時間くらい? あ、頑張れば日を跨ぐ前には終わると思うわ!>
そう明るく元気に言ってきたアリス……そんな普段より、更にニコニコと笑顔が溢れる彼女から小隊長は全員、これを読んでる最中だよとも告げられる。
そんな彼女の何故か、いつもよりも嬉しそうな笑顔に俺も小さく笑みを返す。
「はぁ、仕方がない……と言う事か……まあ、一人じゃなくて良かったよ」
<そうでしょ? 金田さんなんて今頃、一人寂しく、たまに奇声を上げたり、部屋の中をグルグル回ったり、ブツブツと独り言を口にしながら読んでるんだよ!>
この少し辛辣なアリスの言葉に俺は先日の件を思い出してしまう。『妹に顔向けできる立場じゃない』、吐き出すように口にされた彼の言葉も同時に思い出す。
「金田か……」
<どしたの? 可哀そうになった?>
「いや、それはないが、俺の迂闊な……って、まあ、この話は後でな?」
<うん、後でね! おやつの時間くらいにする?>
「ま、まあ、それも含めて追々な……」
<はーい!>
さて、未だ嬉しそうなアリスの朗らかな返答を合図に本題へと戻る――
まずはと俺は百を超えそうな目次を順にしっかりと読んでいく。
やはりというか、一瞬だけ面倒だなという想いがぶり返したものの、思った以上に興味深いタイトルの並びに気付き、俺はむしろ目を輝かせていく事となる。
「ほう、これらは本当に全員に情報開示が許可されたのか……本当に?」
<まだ士官までだけど、今日付で開示されたみたいね>
アリスの作ってくれた目次、それを早々に見終えた俺は思わず唸ってしまう。
そう、ここには知らされる事のなかったインセクタムの生態……改良型ではない、完全新規の最新型の『AA-PE』、これに搭載できる新たな兵器……完全に秘匿されていたという情報が幾つも記載されていたのだ。正直な所、今日になって、これらが開示許可されたというのが未だに信じられない俺はまた唸ってしまう。
「これほどに情報を規制していたとなると、間違いなく穿った目で……」
そんな俺の少し訝しんだ表情にアリスが眉間に皺を寄せて答えてくる。
<マザーが勝手に情報統制してたんだと思う……上層部の何人かが、先日の件で行方知れずになったみたいだし……その人たちを使って何かしてたんだと思う>
「行方不明?」
<うん、公式にはまだ存在しているように扱っているけど……最近は全然、その姿を見てないなって噂になっている人たちが、チラホラと居るんだよね。まあ、こっちの件の方は政府の周辺が情報統制してるみたいで噂半分みたいだけど……>
兎にも角にも分からない事だらけ、怪しい連中は山のようというアリス……何にせよ、マザーが洗脳装置とやらを悪用していた可能性だけは高いようだ。だが一体、どれほどの人間に影響を与えたのかと考えた所で俺の頭に疑問が思い浮かぶ。
「なあ、この洗脳装置とやら……どうやって最初の一人に取り付けたんだ? そんな怪しい出所も分からないような機器を手術で取り付けろなんて絶対に警戒されるだろう? これを取り付ける人は医師な訳だし……内緒なんて無理だろ?」
この当然の疑問の言葉に少し間を置いたアリスが答える。
<たぶん最初の一人……本当に一人だけかは分んないけど……そいつはマザーに対する信者というべきレベルの協力者なんじゃないかな? それが誰かは分かんないけど……まあ、絶対に悪人よ! こんな事に手を貸したんだから間違いないわ!>
「まあ、信者かどうかは分からんが、前提が協力者っていう事ならば、そいつが悪人とは限らんだろう? 家族を人質に無理やりに全力で協力させられたという可能性だってある訳だし……それは兎も角、医師、医師か……ん? 何か……」
そう軽く返答した俺だが、ここで何か違和感を覚える。
何か、思い出しそうで思い出せない感覚である。まあ、意外に抜けている事のある俺には、よくある事……なのだが、今回ばかりは何か妙に強く引っ掛かったようで深く考え込んでしまう。しかし、それらしい事柄は全く思い出せないようだ。
「医師……何か、最近……吉川先生……じゃないな……」
そんな僅かに悩み込んだ俺の表情に気付いたのか、アリスが声を掛けてくる。
<ん、お医者さん? それがどしたの?>
そして残念な事に……このアリスの一言で完全に分からなくなってしまったようだ。チラリと時計へと目をやった俺はそれについて考える事をすっぱりと諦める。
「いや……まあ、良い。気になるが……それで……それを連隊長たちは?」
<一文だけだけど、そういう事が書いてあったから既に想定してるはずよ?>
そうかと口にした俺は一つだけ溜息を吐き出して改めて先へと読み進める。
色々とあるが、急がないと明日の休みすら怪しいと考えてしまったのだ――
だが、そんな時に限って、また興味をそそられる字面を目にしてしまう。
「む、『新種』……やはり、あの蜘蛛どもは地球生物型とされたのか……刺々しさが足りないとは思っていたんだが……やはり、そうだったか……だが、地球生物型というが、どうやって産まれたんだ? だいぶ、その……サイズが違うだろ?」
興味津々といった俺の言葉に何故か、アリスからすぐには返事が戻らない。いつもであれば、嬉々として説明を始める所なのだが……しかし、どうしたのだろうかとスマートフォンに目を向けた所で溜息と共に諦めたような彼女の答えが返る。
<これも……たぶん、マザー……全部が全部ってのは分んないけど、大半はマザーの仕業だと思う。いくら地球上の生物に似てるっていっても、あんなデカいの同士の交配は流石に無理……たぶん、遺伝子を組み込んで成長させたんだと思う>
どうやって実験して生み出してるかは分からないけどと呟いたアリス……そんな先ほどまでの元気は何処へやらとドンドンと小さくなるアリスに声を掛ける。
「本来は……こんな事を言ってはいけないんだろうが、マザーは良くも悪くも機械的に我々の最善を考えてしまったんだと思う。逆に言うと正しい情報……これは駄目だという事を正しく伝えれば、それに見合った案を考えてくれるはずなんだ」
彼女だけが悪い訳じゃない。むしろ、彼女を扱った人類の側に大きな落ち度があったと思う。だが、そう続けた俺の言葉にアリスが少しばかり疑問を覚えた様だ。
モニターの中、小首を傾げたアリスが眉をひそめながら小さく口を開く。
<でも、マザー……勝手に連絡を絶っちゃった訳だし……それじゃあ、誰も新しい指示を伝えられないし……ってか、指示の来ない場所に勝手に……? ん? よく考えたら指示も聞こえない所に勝手に行くって私、命令が無いと出来ないわ!>
大きく目を見開いたままのアリスがモニターの中をウロウロとする。
<そんな事する訳ないって思ってたから……考えもしなかったわ>
AIは基本的にAI条項の一つの『命令者の指示に従う』という事があるというアリス……その設定された命令者、アリスたちはかなり特殊で命令者の筆頭が機体の搭乗者、それ以降は組織の上層部、総理大臣から順に命令者となっているらしい。
その新たな事実に俺は驚く。
「俺の言う事がそんなに優先されるのか……だ、大丈夫なのか?」
<搭乗者の件は機体の中でって特殊な話、外だと他の命令者と同等程度……まあ、私の中では誠二の比重が高いけどね……ま、ま、まあ、何よりも法に反するような命令……あくどい事なんかは、ほとんど拒否できるようになってるから平気よ!>
思ったよりも曖昧な基準に聞こえるが……今はと俺は続きを促す。
そんな俺の言葉に従い、アリスが更に説明を続ける。だが、それによると件のアクセス用・AIである『マザー』は閣議決定に『絶対に従う』となっているという事だ。そう、普通であれば、誰か一人の命令を聞くという事は無いという事だ。
「絶対というのは……どれくらい絶対なんだ?」
<勝手に移動なんて百パーセント! 絶対に出来ないわ!>
「そうなると、それを迂回できる何かがあった……と言う事……か……?」
<絶対、そうよ!>
断言したアリスの言葉を聞き終えた俺は早速と頭を悩ます。
「ならば、最も単純に……『政府が内密に閣議決定をした』という可能性は?」
だが、この言葉にはあっさりと答えが返る。
<開示されている情報には無いわ。何より、大森大臣がいるし……>
「そうか……そもそも、それを大森大臣が良しとする訳がないか……では、他に迂回して命令できるような何かはないのか? それこそ、陛下の勅命とか……」
しかし、次の瞬間、その言葉を聞いたアリスの表情が変わる。
<それは流石にないけど……もしかしたら……ど、どうなんだろう……その……もしかしたらだけど……マザーの開発段階から既に仕込みがあったら……>
明らかに不穏な表情となったアリス……そんな彼女に俺は問い掛ける。
「仕込みがあったら? アリス……続きは何だ?」
<それは……その……>
それが出来るのは誰なんだという俺の問いに完全に黙るアリス……だが、もう一度、問い掛けた同じ言葉に諦めたように目を逸らし、ポツリと口を開く。
<マザーの開発に強く関わったプログラマーで……産総研の……トップ……>
アリスがそう口にした瞬間、スマホに通常とは違う、明らかに注意を引く着信音が鳴り響く。二人揃って同時にビクッとしてしまったが、すぐに正気を戻す。
<ノ、ノアとリサよ! き、緊急だって……モニターに映して良い?>
そう言ったアリスの無理に明るく装った声を受け、俺は頷いて許可を出す。
だが、すぐに映し出されたのは二人の明らかな切迫した表情――
「用件は……?」
正直、聞きたくないという想いがあるが、聞かない訳にはいかないと仕方なく俺は言葉を吐き出す。その言葉から少しだけ間を置いてノアが口を開く。
<マザーの暴走……この件に西田博士が強く関わっている可能性があります>
そう言ったノア……冷静さを保っているようだが、指の一つがそわそわと僅かに動いたようだ。落ち着かない時の癖として登録されているのだろうか、そんな少しばかり現実逃避な考えに被さるように今度はリサのイライラとした声が響く。
<初期から現在までマザー開発に携わり、腕利きのプログラマーでもある西田博士は自身だけアクセス可能な違法な入り口を作っていた可能性があります……いえ、現在の状況からすると間違いなく……つまり、一連の元凶の可能性が高いです>
ほぼ断言するような彼女の怒りの混じった言葉に俺は頭を抱える――




