013 博士の悪戯
俺はHDMモニターの右上に表示された簡易マップへと目を向ける。
良くある自機が中心で固定され、方位が回っていくタイプのレーダーマップ……その表示の南側の果てに幾つかの赤い点滅が不自然に現われては消えていく。
「む、磁場の乱れが思ったよりも強いな」
<ん~何か居るのは間違いないけど、今のところは敵の数は不明……出現場所は私たちの後方の体育館跡地……これって一昔前の情報ね。今は駐車場になっている所だわ! 距離は三百、目視はとてもじゃないけど出来ない……って!?>
次々と軽快に情報を伝えてきていたアリス……だが、突如として彼女の驚愕の声が響く事となる。同時に警戒を促すアラームが狭い機内に鳴り響く。
聞こえてきたのは気付きを促す様な小さな二回連続のピー音……すぐにモニターの左上に位置する時刻、その下側に表示された気象情報の表示が真っ赤に染まる。
次の瞬間、機体が僅かにぐらりと揺れる。
「これは……風……なのか?」
<ち、地上での風速三十っ! 何これ!? 下手したら引っ繰り返るわよ!?>
「……っ!? ドローンは回収だ!」
<了解っ!>
さて、アリスの悲鳴と共に伝えられた情報……それは架空の世界の事ではあるのだが、外で風速三十メートルという暴風が起こっているという情報であった。
これは隕石落下後を生きる我々にとって驚くべき情報であったのだ。
これは現実であれば現状になってからの地上最強の風速となるのだ――
そう、五年前……地球上を壊滅的な状況へと追い込んだ巨大隕石『オメガ』……モンゴルのウランバートル市に落下した隕石は止まない暴風雨を造り出した。
これにより世界中の人々は地球規模の気候変動に曝される事となる。
だが、幸いな事に地上の風速は安定した――
晴れる事がほとんど無い分厚い雲の上、成層圏の辺りは抜ける事も出来ない、時速千キロを超えるような強烈なジェット気流が起こるようになったが、その代わりに地上の台風の類のような強烈な暴風は一切無くなってしまったのだ。
地上スレスレであれば風雨は強く荒い程度となってしまったのだ。
詰まるところ……我々は今、『AA-PE』が受けた事の無いような最大の暴風を受けてしまったのだ。こんなにもアリスが驚くのも致し方ない状況という事である。
だが、俺の方はと言えば『もう一つの事実』によって大いに驚く事となる――
(機体が……ほとんど揺れていない……のか?)
そう、暴風を受けた瞬間の衝撃……一瞬の強い揺れは確かに感じた。だが、その瞬間から今の今まで全くもって揺れを感じないのだ。これは風速を示す数字がHDM上に表示されていなければ風が吹いている事を嘘と判断しかねない程である。
俺は手を握り、自身の感覚を確認する。電気信号を送り、揺れや痛み等の刺激や感覚をほどほどにフィードバックさせる装置が壊れてはいない事を確認したのだ。
そして俺はようやく僅かな揺れや小さな噴射音に気付く。
どうやら、これは機体のサポートAIであるアリスが自動姿勢制御装置の代わりとばかりに細やかにノズルを動かし、丁寧に噴射調整をしている音であるようだ。
思わず、感嘆の溜息が漏れてしまう――
ともあれ、噴射管理まで任せられるというのは伊達じゃないようだ。
今までのAI『エルザ』による姿勢制御は大雑把に機体を真っ直ぐに立たせておく為だけの噴射だったが、先ほどから繰り返される『アリス』による噴射調整は俺という個人の動きに合わせた細やかな丁寧な噴射の繰り返しであるようなのだ。
これなら邪魔にならない――
それどころか、今までに出来なかった様々な機動が可能になるのでは……それこそ、漫画やアニメにあったような変態的な機動が可能なのでと考えてしまう。
そんな一気にテンションの上がった俺の耳にアリスの声が飛び込んでくる。
<視界が一気に悪くなったわ……まだ昼間だから見えるけど赤外線モードも併用するからね! って言うか……これ絶対、西田の嫌がらせよね?>
余計な情報も多分に含んだアリスの言葉に余裕を感じた俺は一つ確認する。
「それよりもアリス……調整が負担になってはいないか?」
<全然っ! CPUの使用率は低いままよっ!>
「そうか……」
この元気な力強い答えを信じて俺は次の行動へと移る。
「よし、試しだ。先ほど捉えた敵を目視で確認しに向かうぞ。これだけ風が強ければ『アシッド』の強酸も大して飛ばない。ジャンプして一気に接近するぞ!」
<……っ!? 任せて良いの? 信じてくれるの? 本当に行くわよ?>
「信ずるに値する能力は見せて貰った……細かい制御は任せる! 行くぞっ!」
戸惑いを見せたアリスに答えを返すと同時に膝を曲げて力を溜め込む。次の瞬間、その脚を一気に伸ばして何も考えずに大きく斜め前へと向けてジャンプする。
目標は三百メートル先、インセクタム出現地点である――
俺の動きに合わせた機体・脚部の反発力に幾つかのブースターからの全力の噴射が加わり、重量級の機体が信じられないような速度で飛んでいく事となる。
高さ十メートル……逆巻く風も多くなり、本来なら全く安定しない軌道だが、ほとんど揺れる事も無く、驚くほどスムーズに『AA-PE』が飛び抜けていく。
「これまた驚いたな……想定した軌道の通りだな」
<さ、流石に……ちょっとキツいけど……いけるわ!>
兎にも角にも使用するノズルの選定、それらの角度と噴射量の管理……それら全てをアリスに任せられるという恩恵は本当に想像以上のようだ。
パイロットの精神的な疲労の軽減だけでも恩恵は相当に大きいという事だ。
「思考の大半を状況の把握に回せるのは本当に有難いな……」
下方向への強い推力を発生させられるランドセルのメインノズル、後方への強い推進力となるランドセルの一番から四番のノズルが全開で噴射される中、その他の各ノズルからも細やかな噴射が行われているのが装甲越しに伝わってくる。
それだけで無い。
各部に配置された小型三軸姿勢制御モジュールによるジャイロ効果も彼女の制御下にあるようだ。こちらも甲高い音が細やかに変化しているのが伝わってくる。
だが、その素晴らしさに感嘆した次の瞬間……
<ん? あ、ズルい! 誠二、下! 前方下の建物に『アシッド』三体!>
「なんだ? 俺からは見えん……」
俺の言葉の言い終わりを待たずにレーダーから突如として警報が鳴り響く。
<こんな近くで熱源も探知できないなんて……絶対に今、配置されたんだわ!>
上空の我々の足元の先……テニス場の跡地と思われる場所に残る建造物を弾き飛ばしてアシッドが突然に姿を現したとの事だ。普段は使う事のない足元用のサブカメラから情報を得たのだろうか……兎に角、俺からはまだその姿は見えない。
ともあれ、これほどの近距離ではまず間違いなく強酸噴射の射程内という事になる。発見が遅れ、細かい姿勢制御は自分頼みとなってしまう以前の機体……そして自己判断の利かない以前のAIであったならば詰んでいた状況だったという事だ。
だが、今は違う――
「アリス、アクティブカノンは温存……射撃管制装置を解除!」
叫ぶと同時に右手を振り上げ、左手を振り下ろす。同時に両足も動かし、強い反動を起こして正面を向いていた機体を強制的に下向きへと変える為だ。
次の瞬間、俺の思い描いたイメージを受けたアリスが瞬時に各部のノズルを吹かす。機体の急反転の負荷で各部の姿勢制御モジュールが大きく唸りを上げる。
生み出された強烈な反動がアッという間にゼロとなる。
<な、なんて事するの? 体操の選手じゃないんだからっ!?>
人工知能とは思えない間の抜けた声が響く中、俺は自身の手で新型のレールガンの狙いを素早く定めて瞬時にトリガーを引いていく。
単発式のレールガンのバシュンという独特な甲高い発射音が次々と響く。
<すご……射撃管制なしで三発ともにアシッドの尾に命中……>
「近距離の精密射撃は得意……と言うのもあるが……君のおかげだな」
そう、それ以上にアリスの機体の調整が速かったのだ。あれほどの急制動を掛けた後にも関わらず、瞬時に機体を止まっているが如くに安定させてくれたのだ。
それに新型というレールガン自体も良かった。
間を置かずに連射したにも関わらず、手持ちの射撃武器と連動するモニターのロックオンサイトにブレ一つ見せない程の反動しか無かったのである。
おかげで苦も無く連射で狙い打つ事が出来たという訳だ――
そんな中、ノズルの噴射による無理のない反転により、正面へと向きを変えた『AA-PE』が下降軌道をへと入る。すぐに今度は着地体勢へと入っていく。
「着地点は少し前になるが都合は良い……おかげで着地を狙われる可能性はゼロだ。だがまあ、すぐに敵が押し寄せるぞ。そろそろ数は確認できるか?」
<完全に熱源を捉えたわ……解析開始……ってシックルが五体のみっ!? これって絶対に嫌がらせよっ! ああもうっ! 後で倍返しで嫌がらせしてやる!>
「着地点……こちらはマップ情報通りだ。舗装された道が続いている!」
アスファルトで舗装された遊歩道を目掛けて機体が下りていく。同時に相手もこちらの姿を捉えたのか、レーダー上の赤い点滅が一気に近付いてくる。
「空間は広い! 右手へ回り込んで奴らを一直線にする……頼むぞ」
<了解! 左・盾部、腰部、脚部、全てのサイドノズルを全開噴射っ!>
『AA-PE』を通し、着地と同時に膝を曲げ、しゃがみ込む。すぐさま、右に体重を掛けながら今度は左脚に力を籠めて全力で延ばしていく。この俺が機体に与えた小さな加速を今度はアリスがタイミングよく更に大きく加速させていく。
<コールサイン付加……続いてβ2にロックオン開始……続いてマップ上にエリアロック……脚部・小型誘導ミサイル一番、二番! 発射するわっ!>
この早口のアリスの報告が聞こえた瞬間、両脚部に付属したボックスの前面が開く。そして三つある発射口の最も上から円柱型の小型ミサイルが射出されていく。
先端に赤外線センサーが搭載された短距離誘導型の小型ミサイルである。
<着弾までニ、一、着弾!>
五体並んだ敵の並びの真ん中に位置するβ3……その眼前に着弾したミサイルが大きな爆発を起こし、瞬時に爆炎と噴煙を巻き上げていく。
そう、このミサイルの役割は足止めと目晦ましなのだ。
<β2からβ5の行動停止っ! 分断成功よっ!>
彼女の喜びの声に合わせて今度は想定通りに飛び出してきたβ1、爆発の衝撃を背に受けて大きくバランスを崩したβ2へと一気に距離を詰めていく事とする。
<左・サイドノズル脚部以外、全て停止! 右盾部全開、その他は八十っ!>
加速の影響で右へと大きく傾いていた『AA-PE』、その右の盾部に少し隠れるように設置された可変型の大型ノズルが瞬時に全開される。
大きなGを受けながら機体が真っ直ぐな体勢へと戻っていく――