128 淡い恋心
さて、緊急の作戦会議はまだ続いているようだ。
だが、俺はここらで退席する事とする――
当然、現場の一員、それなりの関係者としては作戦会議に同席したかった。
だが、つい今し方……『宍戸 昭』三等陸尉が戦死したばかりの時に自分の小隊の皆と離れたままというのは余り宜しくないのではと考えたのだ。
この意見は当然、問題なく許可された。
そして俺は皆の元へと急ぐ――
だが、その前に俺は医務室へと向かう。怪我を見た吉川から先に待っていろと厳命されてしまったのだ。この怪我は決して軽くは無かったという事のようだ。
そんな僅かに痛みは走る拳を握って開いてはと歩いていた俺に声が掛かる。
「橘さん……じゃなかった。橘一等陸尉! お待ちしていました……って大丈夫ですか、顔……酷い顔色ですよ……聞いてはいたけど……疲労ですか?」
まだ少し遠い医務室から顔を覗かせて元気に声を掛けてきたのは……衛生科部隊に所属する看護官である『浪川 さつき』三等陸尉であったようだ。
既に吉川医師から連絡があり、今か今かと待っていたという浪川……そんな彼女に少しばかりズル剥けてしまった拳の傷を見せながら改めて答える。
「いや、ただの怪我だ。それよりも久しぶりだな……あの時の懇談会以来か……」
「懇談……?」
少し懐かしむように、そう言った俺……そのしんみりとした言葉に明らかに疑問符を浮かべていた浪川がハッと思い出したかのようにして慌てて口を開く。
「こ、懇談会……ですね……」
何やら、言い淀んだ彼女の言葉に軽く疑問を覚えたが、今はと俺は怪我の治療を促す。拳の剥けた傷口の消毒くらいなら彼女で問題ないだろうと考えたのだ。
◇
さて、幾つか、サイドワゴンのようなモノを倒し掛けた浪川だが、無事に治療用具を確保できたようだ。そんな彼女が椅子に座った俺の元へとやってくる。
そして……
「宍戸三等陸尉の件も……聞きました……合コンの時にいた方ですよね?」
この明らかに意気消沈した彼女の言葉に俺は静かに答える。
「そうだ……我々を守る為に……命を懸けてくれた」
素早く傷を洗い、何やら吹きかけ、今度は手の傷にピタリと吸いつくラップのようなモノを巻きつけながら……もっと話せば良かったという浪川が小さく呟く。
その言葉に俺は答えを出せずにただ黙り込む。
そんな静まり返った医務室にようやくと吉川が入ってくる――
「さ、雑談はそこまで……治療を始めようかね」
「傷ならもう……」
「橘くん……良いから座りなさい」
廊下から話を少しばかり聞いていたのか、こちらも見ずに俺の向かいの椅子に座った吉川……そんな彼が後ろを向いたまま、また静かに優しく口を開く。
「まず浪川くん、厳しい事を言うけど……君は性格上、深く抱え込まない方が良い。死者を想うのは大事だが、縁がそこまでだった人間は割り切った方が良いよ」
何か、書類に書き込み始めた吉川の突然の言葉に浪川が首を傾げる。
「縁……ですか……確かに……ほとんど話せなかったですけど……」
「こんな時代だ……何でも抱え込むと……心がアッという間に疲れてしまうよ」
普通の真っ当な時代だったら、そんなに問題なかったんだけどねと続けた吉川……確かに浪川くんのような性格の者はその優しさから無制限に他者を懐に抱え込んでしまう癖がある。それを上司として年上として心配したという事のようだ。
そんな苦言を呈した吉川がクルリと椅子を回し、今度は俺へと向き直る。
そして――
「君は本来はキチンと割り切れる人間なんだろうが……やはり、戦場が長すぎる所為だろうかね……流石に思った以上、随分と抱え込んでしまったみたいだね」
この優しい言葉と、裏腹な真剣な眼差しに俺は思わず言葉を言い淀む。
「そ、そんな事は……」
「君がどう思っているかは知らないが、今の君は思った以上に酷い顔をしてるよ」
そう彼に言われた瞬間、反射的に近くにあった鏡へと目をやる。そして……そこに写った自分らしき酷い顔、土色になった自身の顔を茫然と眺めてしまう。
自分の今の状態を明確に認識してしまった所為なのだろうか、次の瞬間、身体がズシリと重くなったように錯覚してしまう。そして正しく椅子に座っているにも関わらず、身体がユラユラと自分の意思とは裏腹に左右にふらついてしまう。
同時に今までの戦友たちの懐かしい顔が走馬灯のように思い出されていく――
そんな俺の様子をずっと観察していた吉川が溜息交じりに声を掛けてくる。
「早速、薬……それに目一杯の休憩だ……と言いたいところだけど、まず少しくらいは話した方がよさそうだね……ま、話したい事があれば……だけど?」
そう言った彼の視線に誘われるように俺はポツリポツリと話し始める――
そう、戦場で思った以上に彼と縁があったという話、あの時の懇談会で偶然に再開した話……そして先ほどの戦場での自分の致命的なミスの話と続けていく。
決して長くない……長くなるはずのない彼との僅かな思い出話を聞き終えた吉川医師が少し顔を歪める。そして又もやとばかりに小さく溜息を吐き出す。
「ふむ、そうか……そんな事が……しかし、命の責任……か……正直、気にしない方が良いと言いたいが、小隊長は部下や同僚との距離が……近いからね……」
「難しい事は分かりません……ですが、俺は……せめて彼に感謝の言葉を伝えたかった……ただ、それだけだったんですが……その……中々、難しいですね」
「そうだね……やはり、時代が……ね……」
言葉を失くした吉川の前で俺も同様に言葉を失くしてしまう。だがやはり、涙は出ないようだ……しかし、心の奥底に感じていた痛みは更に増していく。
だが、この積み重なり、増えていく痛みは抱え続けていくしかないのだ――
改めて悲壮というべき覚悟を決めた俺は吉川へと向き直る。
「さて、話を聞いてもらえて楽になりました……その……時間は掛かりますが、いつも通り忘れます。そして……そんな忘れていった彼らの分まで頑張ります」
だが、そう言って部屋を出ようとした俺に突如として声が掛けられる。
<誠二……感謝の言葉……伝えにいこうよ……私、そうした方が良いと思うの! もう少し後になっちゃうけど……絶対に伝えに行った方が良いと思うの!>
「アリス……?」
いつの間にか、起動していた机の上のスマートフォン……そのモニターに映し出されたアリスがボロボロと泣きながら更に必死になって言葉を続ける。
<忘れるなんて……よくないよ! 後で良いの! 絶対に伝えに行こ? 私も……宍戸さんにありがとうって言いに行きたいの……だって、今……大好きな誠二といれるの……あの時、宍戸さんが頑張ってくれたおかげなんだもん! ね?>
きっと、待っててくれるよというアリスの非科学的な言葉がやけに心に響く。
<忘れるなんて嫌だよ……後で……皆と……桃華が一緒でも良いから……>
少し、ぼやけていた視界に泣きじゃくるアリスの姿がハッキリと見えてくる。
「アリス……」
後で……か……長く戦場に居過ぎた所為だろうか……いつのまにか、こんな当たり前の簡単な答えが出せなくなっていたようだ。そう余り難しく考えず、彼女の言う通りに感謝の想い、心に残る想いを伝えたければ伝えに行けば良かったのだ。
「俺は必死に忘れようとばかり……忘れられる訳などないのにな……」
何だが、少しだけ心が軽くなったような気がしてくる――
小さくホッと溜息をついた俺は静かに口を開く。
「そうだな……落ち着いたら……二人で……今までの戦友にも会いに行こう」
君にも紹介するといった所で突如、吉川から横槍が入る。
「さて、予定だと……僕の素晴らしい助言で橘くんの精神が回復……感謝した君から後日、贈呈品の予定だったんだけど……まあ、少しは楽になったようだね」
明らかな冗談を口にした吉川が優しい笑顔を見せてくる。
「しかし、君……周りの事を気に掛けるのは良いけど……もう少し、自分の事も見てあげるんだよ? あんな青ざめた顔をするようじゃ、流石にいかんよ?」
「そ、そんな顔をしていましたか?」
「血の巡りが恐ろしい程に悪いのは簡単に見て取れたね」
どうやら、会議中から俺の事を心配してくれていたらしい。そんな吉川が痛み止めをポイッと投げつけてくる。手の傷の方はもう、これで十分だという事らしい。
「精神の薬はイザという時には大切だけど……頼らなくて済むなら、それが一番だからね! うんうん、実に良かった。さあ、浪川くん、患者のお帰りだ」
◇
さて、外へと案内された俺は浪川にも感謝を伝える。だが、そんな俺の言葉に浪川は答えを返せずにいるようだ。そんな俯いたままの彼女に改めて声を掛ける。
「どうか……したのか?」
この俺の疑問の言葉に浪川がポツリと何か呟く。
パートナーか……ちょっと……勝てそうにないなぁ――
良く聞こえず、何と言ったと聞こうとした俺だが、その浪川によって思った以上の力で廊下へと押し出されてしまう。そして勢いよく扉が閉められてしまう。
そして目の前の扉の向こうから雑な気遣いの言葉が聞こえてくる。
「お、お大事にっ!」
「あり……がとう……?」
大いに困惑した俺だが、治療も終えた訳だしとトボトボ歩き始める――
そんな俺に対し、落ち着きを取り戻したのか、アリスが静かに口を開く。
<私ね……浪川さんの事ね……嫌いだったの……>
驚き、思わず足を止めてしまった俺に向け、アリスが更に言葉を続ける。
<私、初めて会った時から誠二の事、好きだったの……そんな大事な誠二の事、浪川さん……本当に好きみたいだったから……一回も話せなかったの……>
そう言ったアリスが咄嗟に答えを返せなかった俺へと不器用な笑顔を見せる。
<こ、これからは浪川さんとも話せるなって事……そ、それだけ!>
モニターの中、そっぽを向いた真っ赤なアリス……そんな彼女の気持ちに少し答える。いくら俺が鈍感であっても、これには気付かずにいられる訳が無いのだ。
「さっきの事といい……本当にありがとう……アリス……心から……君が俺のパートナーで良かったと思う……本当に君と出会えて……良かったよ」
……と笑顔で言った俺だが、モニターのアリスのやけに渋い顔に疑問を覚える。
「その……どうした……?」
この短い言葉にアリスが小さくボソリと何か口にする。
<敵は……後三人ね……>
やや聞こえた声色からは明らかに宜しくない気配だけが伝わってくる。
深入りは良くなさそうだと悟った俺は……先を急ぐ――




