012 シミュレーション訓練
「川島です……HMD装着後からシミュレーション開始となります」
彼女の聞き取りやすい凛とした声を合図に最後の準備を進める。
「了解した……暫くは公園の散策だな! アリス、頼む」
<了解、頭部HMD・装着開始!>
ゆっくりと閉じられた前面装甲……その裏側に固定されていた『ヘッド・マウント・ディスプレイ』が磁力で支えられるようにして眼前に下りてくる。
次の瞬間、ピピッという音が響いて俺の顔に触れない位置で固定される。
首筋のバイオ・アクチュエーターと機体……その両方と反発し合って中空に浮き上がり、どちらからの衝撃も緩和する事が出来る状態となったのだ。
そんな中、俺は小さな驚きを覚える。
「む……? クッションの素材が違うようだが……」
<ん? HMDの? 確か……超低反発の新素材に変えたはずよ>
「なるほど……地味に良い変更点だな……」
衝撃を消し切れなかった際に当たる事となるクッション材が変更されていたのだ。小さな素晴らしい改善点を喜ぶ俺の眼前でモニターが起動していく。
そして様々な情報が順に流れるように映し出されていく。
内容はシミュレーター使用に関する注意・警告等について……そしてアリスに対しての注意事項へと変わっていく。そこからは何故か、フォントが可愛らしいモノへと変わる。俺に正しく伝える為、自分で文章まで考えたという事なのだろう。
ともあれ、その内容を読み進めていく。
「ふむ、射撃だけでなく、噴射管理まで任せられるのか……機体全体の制御も少しなら出来ると……以前のAIとは容量が比べ物にならないという事か……」
<『産総研』にあるスパコンなら貴方と同等の動きが出来るのよ! でも、これに搭載されているモノだと……まあ、貴方の本気の三割といった所ね!>
「それでも十分すぎる程に素晴らしいな!」
『ふふーん』という実に嬉しそうな声が響く中、遂にシミュレーションが開始されたようだ。ローディングと表示された背景の後ろに現実と変わらぬ程にリアルな風景が見えてくる。同時にいつも通りの情報も画面の至る所に表示されていく。
そして……
「風速二十メートル、横殴りの大雨、地面は泥濘になってるな……よし、頸部・肩部・腰部の可動を確認、各関節の可動状況を確認……! ドローンの放出を頼む」
<了解、全てのノズルの可動、噴射共に確認……同時にメインノズル、腰部ノズル一から四まで噴射十パーで開始するわっ!>
「何と……!? まだ脳波による指示は出していないのに……」
<ね? 凄いでしょ! ちゃんと貴方の戦闘経験も勉強したんだからね! この動きは百回やったら百回やるでしょ? だから、先にやってあげたの!>
俺の機体起動の際の『ルーチンワーク』まで彼女はしっかりと学んでいたようだ。心底嬉しそうなアリスの声が響く。
「本当に凄いな……それしか言葉が浮かばんよ」
<えへへ……もっと褒めても……>
俺の思わぬ誉め言葉に御機嫌となったのか、鼻の下が伸びたような声が返る。だが、それの何が気に喰わなかったのか、割り込んできた西田博士の怒号が響く。
「アリスっ! 『えへへ』だと!? 何だ、その甘えた喋りは! 僕の脅しが台無しに……って言うか、お前! この間のテストパイロットが気に喰わ……」
突然、プツンと通信が途切れる。オペレーターをしてくれている川島か、はたまたアリスか……分からんが、どちらかが回線を強制的に切断してしまったようだ。
「まあ……良いか……」
気を取り直した俺は機体制御のテストへと戻る事とする。二人で何度も基本的な動きを繰り返し、制御の分担も変えて何度も何度も試していく――
「さて、脳波による指示でも声に出しての指示でも同様に伝わるんだったな……」
<基本は脳波の指示が優先だけど……まあ、何かあったのなら聞いてあげるわ>
先ほどから続く、この試作型AIの面白い言動に少し笑みが零れてしまう。
先ほどモニターに流されていた『注意事項という名の彼女の自己紹介』、それと共にあった西田博士からの簡単な連絡事項を思い出してしまったのだ。
それは初代と言うべきAI『エルザ』、彼女から派生して育てられたというAI『アリス』は様々な『夢物語』を多く取り込んだという情報……その結果なのかは分からんが非常に好奇心旺盛となり、おまけで非常に生意気で強気、人に対してもやけに挑戦的になった……という情報である。
『どうして、こんな性格になったのやら』と思わず笑ってしまったのだ。
<何……何で笑ってるの? 脳波の信号だと感情は伝わらないんだからね! 伝えたい事があるなら、ちゃんと口で言いなさいよね!>
「了解……君とは良い付き合いが出来そうだと考えただけなんだ。以上だ」
当然、この答えを受けた彼女の表情は見えない。だが、ここまで続く無言の間から彼女の強い困惑がよく伝わってくるようで少し楽しさを覚えてしまう。
<よ、良く分からなったけど……スタート地点へ向かうわよっ!>
人工知能……機械と言うべき存在の反応とは到底思えないような反応を示したアリス……そんな彼女の言葉を受けた川島から無線が入る。
「思ったよりも仲良くなれたみたいね!」
<何よ! 盗み聞きなんて趣味が悪いじゃない!>
「はいはい、聞かない訳にはいかないでしょ? この話はおしまい! では橘一等陸尉、野球場跡に向かってください。到着と同時に『インセクタム』をランダムに配置します。終了条件は敵殲滅、自機の行動不能です。連絡は以上です!」
プリプリと起こり続けるアリスを宥めながら野球場跡へと向かう――
ほとんどが崩れた金網を抜けて四方にグランドのある球場跡地のド真ん中へと向かっていく。その間に『AA-PE』の装備の確認も済ませていく。
「お馴染みの肩部・アクティブカノンに両腕部の高周波電熱振動ブレード……腰部は小型誘導ミサイル……手持ちは新装備か……ACと同様のレールガンか……」
<これは本体に接続してないと電力が足りなくなっちゃうタイプだけど、最新式はバッテリー搭載式になるらしいわ……まあ、バッテリー式と言っても一、二発が限界で基本は繫ぎっぱなしの代物だけどね……確か一年以内には出来るみたいよ?>
「ふむ……」
コッソリと伝えられた驚きの情報だったが、お座なりな返事となってしまう。
<どうしたの喜ぶと思ったのに……何かあったの?>
こちらの様子に異変を感じ取ったのか……アリスが小声で問い掛けてくる。
「いや、何か嫌な予感がしたんだ」
<え……勘って奴? 何? 全然わかんないんだけど……>
ただの勘という判別が付かぬ言葉に戸惑うアリス……そんな人と変わらぬ反応を見せた彼女に出来る限り分かり易い様にと答えを返す。
「勘と言うよりも……経験の蓄積による咄嗟の思い付きと言うべきだろうな……」
納得したのか、『へー』という声が聞こえてくる。
さて……何はともあれ、嫌な予感がしたのは事実――
思い当たる要因を虱潰しにしていく俺の脳……フル回転を始めた、その脳内にパッと一人の人物が思い浮かぶ。直近に存在した『要因となり得る存在』……そう、先ほど回線をブツ切りにされてしまった西田博士の存在を思い出す。
仕返しに君への助言を後にすると言った彼なら、ここで何かしらの嫌がらせをしてくる可能性が高いのではという事を思いついたのという事だ。
早速、可能性の一つとしてアリスに伝えていく。
<なるほど、そう言われてみると仕返しがあるかもってのも分かるわ>
「十体と言っていた敵が全員『シックル』だとか、そういった地味な嫌がらせはあるかもしれない……まあ、目に余るものは川島女史が止めてくれるだろうが……」
<シミュレーターに勘って何を言ってるのかと思ったけど、あり得るわね>
大いに納得したアリスの『うんうん』と頷く声が聞こえてくる。だが次の瞬間、架空の『AA-PE』の警報が突如としてピーピーと鳴り響く。
我々のレーダー内に幾つもの赤い点滅が侵入してきたのだ。
『インセクタム』である――