101 異常の中の正常
ここ最近、俺は考えねばならない事でいつも一杯となっている。そして……その流れはまだまだ止まる事が無いようだ。今、この瞬間もまた……
眼前の敵数、まだ見えぬ罠、独断専行してしまった味方――
だがやはり、今は戦闘中であり、そんな事を考えている暇はない。いつものようにそう考えた俺はアリスによって提示された幾つかのルートへと目をやる。
緑、黄、赤で示された三つの進路……目視で確認した敵から最も離れた位置を進み、定期的に障害物が存在する緑のルート、傍らを挑発する様に進む明らかに危険な赤のルート、その合間となる障害物が存在しない黄色のルートを見比べる。
次の瞬間、俺は当然のように最も危険となる赤のルートを選択する。
すぐにアリスのやれやれと言った溜息が響き渡る――
だが、この最も危険なルートが最も大量の敵を引き付けられるという事実、俺がそれを当然のように選ぶ事を彼女は当然のように気付いていたようだ。
挑発的に何度も吹かされるメインノズルの噴射炎がそれを物語る。そして……
「行くぞ!」
<任せて!>
互いの覚悟の再確認を行った我々……その次の瞬間、俺は身体を傾けて素早く大地を蹴る。同時に機体の右側面のノズルから更に強まった噴射炎が迸る。
僅かに角度を変えたメインノズルからの強烈な噴射も合わさり、我々の機体の進路がやや東より、正面左へと変わっていく。
「よし、前方のエリアの集団から突出した奴に仕掛ける」
<了解、目視により、優先度を再設定、トラッキング開始>
だが、ここにきてアリスから念を押すような声が掛かる――
<ねえ、本当にそっちで良いの?>
やはり、最近まで敵の勢力圏であった場所に進路を取るという事に少しばかりの不安があるようだ。だが、この短い端的な彼女の言葉に俺はすぐに答えを返す。
「現在の状況下では防壁の向こうが自軍勢力下と言えない。それに防壁は守りに使えるが高速軌道の障害になる。特に上り下りの最中は隙だらけだからな……」
緊張の緩和、何より彼女との会話を楽しむ為にと思った以上に丁寧に答えを返したのだが、そのアリスからの更なる答えを待つ暇は残念ながら無かったようだ。
そう、加速し始めた我々の機体の速度が想像以上に凄かったのだ――
噴射と蹴り足による急加速、水の石切のように低空を飛び、推進力が減る頃に着地、クールダウンしたノズルを再噴射、同時に地面を蹴る。その繰り返しで前へと進んでいくのだが、以前よりも更にタイミングが合うようになっていたのだ。
先程の答えの代わりと言うべき、とても嬉しそうなアリスの声が響く。
<電力は余裕あるけど、推進剤は有限、無駄に使いたくない……そんなケチな節約走法なのに、この速さっ! 最高のパフォーマンスねっ!>
何度となく繰り返した訓練の成果、実戦での集中力の高まり、これまで以上、更に力を引き出せた事に彼女同様、俺も思わず嬉しくなってしまう。
だがやはり、それを言葉にしている暇も余裕もないようだ。この思った以上の加速の所為で既に敵インセクタムの寸前へと辿り着いてしまったのだ。
少しばかり慌ててしまった俺は最短の指示だけを口から出す。
「ブレード! 牽制射撃は無しだ!」
<了解っ!>
そんな彼女の少しも慌てる事のない力強い返事を合図に機体右腕部のアタッチメントの長方形のボックスから刃が飛び出すかのような勢いで伸びていく。
その勢いを受け、手を模した機体のマニピュレーターが僅かに揺れる。
次の瞬間、そのマニュピレーターの先から一メートル程の長さとなった高周波電熱振動ブレードが高速振動を始める。同時に刃が一気に高熱に覆われていく。
キィィィンという甲高い振動音が装甲越しに聞こえてくる――
この振動音の高まりに合わせるように自身のテンションも高まっていく。
そんな中、最初の標的とした一体のシックル、ようやく我々を迎撃すべくと巨大な鎌を振り上げた敵の脇を目掛けて機体が滑り込むように飛び込んでいく。アリスによって予備の各ノズルまで後方へと向けて更なる加速がなされた結果である。
そんな少しばかり挑発的な加速に合わせて俺も次の行動に移る。
機体を僅かにしゃがみ込ませ、すぐ次の瞬間に伸び上がる。その動きに応じた機体が僅かに上空に浮き上がると同時に右腕を僅かに右斜め前方へと動かす。
鎌を振り下ろす事すら出来なかったシックルの腕の付け根に触れた高周波電熱振動ブレードから火花が飛び散り、そのまま刃は脇を抜けて首をも切り落とす。
<離脱っ♪>
この彼女の声と同時に既に噴射準備されていた右側ノズルが一斉に火を噴く。俺はこの噴射の勢いに反動を加えて機体を瞬時に一回転させる。そして、そのついでとばかりにシックルの足の一つを僅かばかりに切り落としていく。
<んなっ!? また、そんなアクロバティックなっ!?>
さて、目論見通り、こちらへと振り向こうとしたシックルは明らかにバランスを崩したようだ。転ぶようにして、全く見当違いの方へと鎌を振り下ろす。
その様子を後部カメラで確認した俺は大いに満足する。
「アリス、素晴らしいノズルワークだ。実に助かるよ」
この俺の声掛けにふふんと満足そうな声が返ってくる。
<満足して頂けたなら幸いよ♪>
「少し慌てていたようだが、大丈夫か?」
<よ、余裕よ!>
実際、彼女は俺の咄嗟の曲芸じみた動きを予測し、各部のノズルを事前に準備、そして実際の動きに合わせて正確に動かしてくれたのだ。おかげで自機のバランスを一切崩すことなく回転し、想定以上に素早く安全に離脱に成功したのである。
そして……この離脱の速さの恩恵はすぐに現れる事となる――
<β3、β4、ロックオン!>
早速とばかりにアリスの嬉しそうな発射という声が響く。
くるりと後方へと向けられた腰部のアタッチメントに取り付けられたボックスから二発の短距離小型誘導ミサイルが同時に発射される。そのミサイルはこちらへと視線を向けていなかった少し離れた二体のシックルへとふらふらと飛んでいく。
<敵の進路前方への着弾を確認っ! よし、こっちを見たわっ!>
巻き起こった爆発の中、基地へと進路を取っていた二体のシックル、その周囲に散開していた奴らの視線も明らかにこちらへと向いたことを俺も確認する。
「大成功だ!」
当初の作戦通り、数十体近くを引き付ける事に成功したという事だ。だが、この気味の悪い視線の集まり見たことで嫌な記憶を思い出してしまったようだ。
背筋が一気に冷え切った俺は慌ててアリスへと確認を促す――
「アリス、奴らの視線はどうか!?」
この言葉を受けたアリスが少し考えてからすぐに答えを返してくる。
<問題ないわ! 前の時とは違う。間違いなく、こっちを見ている!>
そう、俺が思い出したのは『荒川・入間川』防衛戦……あの時、田沼機を目掛けてインセクタムが群がってきた異様な光景をここにきて思い出してしまったのだ。
<再確認、全ての個体が大体、こちらへと追尾してきているわ>
確かに……あの時のような異常な光景は今の所、何処にも現れていないようだ。それを自身の目で改めて確認した俺はホッと胸を撫で下ろす。
「こっちを見ようが、あっちを見ようが、気味の悪さに変わりはないが……」
更に緊張感が高まる事となったが、我々は改めて作戦へと意識を戻す――