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デジタル・アリス

作者: 物部いつき

「ヌルゲーだわww 世界救うの余裕過ぎww」


 ネットの掲示板で、Aliceは流行りのRPGを高らかに笑い飛ばす。現に、グラフィックが良いだけの最低仕様とそこら中で笑われている作品であるし、提供終了も遠くないとの意見もある。ちなみにAliceは私、有栖川風音のコテハンだ。趣味はゲーム、深夜アニメ、ネット界隈の巡回と自室の警備だ。


「ネットの世界なら生きていけるなーw 誰か連れてってくれーw」


 特に意味もなく、青い小鳥につぶやきを書き込む。私の警備管轄である自室は、薄暗くてゲームのコントローラーや食べかけのスナック菓子、開いたまま解いていないワークなどでごちゃごちゃしている。決して散らかしているのではない。これは快適な空間づくりのための配置だ。

 ここまでご覧になればわかると思うが、私は人間的には既に終わった生活を送っている。私は現役の高校一年生だが、五月病をこじらせて以来徐々に重症化しているため、しばらくの間学校へ行っていない。私の時間は五月くらいから止まっている。電池切れだ、仕方ない。

 出来ることなら、Ctrl+Zで中学かそこら辺からやり直したい。しかし、結局Ctrl+Sで負の歴史、廃人歴だけが上書きされ続け、結果今日に至っている。どうせならいっそのこと、Deleteして消し去ってしまいたいが、それも出来ない自分が情けない。

 そんなわけで、自室に引きこもり続けて既に三か月が経過している。引きこもりやニートは黒髪でメガネをかけた若年~中年の男性と相場が決まっているが、私は黒髪ショートカットでメガネをかけていない女子高生である。そんな女子高生を男性諸氏はどう思うだろうか。……答えなくてよろしい。


「んあぁ~! 暇だなぁ……」


 録り溜めていたアニメは全て見終えてしまったし、新しく買ったゲームソフトはあらかた攻略が済んでしまった。愛用のキャスター付きチェアに背中を委ねて、腕を伸ばしながら大あくび。


「あ、そうだ」


 私は椅子から身を起こすと、パソコンで青い小鳥を開いた。先ほどの「ネットの世界なら(略)」とは別アカウントの、アニメ専門垢だ。ネット界隈用のアカウントは口喧嘩用でもあるから、フォロー・フォロワー共に限られる。しかし、ディープなネット民に比べて、アニメ視聴者層は多くて広い。私が見ているアニメの守備範囲が広いこともあり、フォロー・フォロワーはそれなりな人数がいる。まぁ時間つぶしをするにはもってこいと言える。

 ツイートを遡行して見ること数十分。夜遅い時間帯だったためか、ツイートも少なく、あっても他人の受け売りのようなツイートが大半を占めていた。もう少し刺激が欲しかったのだが、このアカウントは炎上を避ける良識ある人々に好かれているらしく、炎上必至の過激なツイートは見受けられなかった。今更ながら、ミスチョイスだと思う。

 ピコン!


「ん?」


 惰性でだらだらとツイートを眺めていると、DМの着信音が鳴った。こんな深夜に何者か……と思いつつ、メッセージボックスを確認する。

 知らないアカウントだった。メッセージには何も書いておらず、画像のURLだけが貼られている。


「なんだろう……」


 URLをクリックしてみた。すると、そこには奇妙奇天烈なアスキーアートが描かれていた。例えるなら、「何色が強く見えますか?」といった感じの心理テストのような絵柄だ。よく見ると少し揺れているようにも見える。

 目を細めて、よく見ようと顔を近づけた瞬間。

 私はパソコンの画面に落っこちた。

 八月一日、午前二時二〇分の出来事である。


「いててて……」


 尻もちをついた私は、薄暗い場所にいた。穴の中のような感じで、周りの壁は見たところすべすべした現代的な質感らしい。例えるならスマホの本体のような、滑らかだがそれなりに硬質な感じだ。一定の間隔で黒っぽい壁を青い線が一瞬横切り、ブウォン……と虫の羽音に似た音が鳴る。


「よっこいせっと……」


 尻もちから立ち上がると、とりあえずここがどこなのか、知っている人を探すことにした。

 十二時の方向へ進み続けると、ずいぶんと身なりの良い男性がいた。シルクハットにクラシックスタイルの服装。整えた口ひげにルーペ、味のあるステッキ。さしずめ初代アルセーヌ・ルパン、きちんと形容するとすれば老紳士といったところだろうか。


「あ、あの、すみません……」

 どうしよう、対人となると言葉がうまく出てこない。言い忘れていたが、私は重度の五月病であると共に、重度のコミュ障でもある。だろうなw とか思ったやつ、後でとっちめてやるからな。


「どうされましたかな?」


「あの……こ、ここがどこなのか教えてもらえませんか?」


 老紳士は口ひげをいじりながら言った。


「ググレカス」


 !? 思わず耳を疑った。ググレカス(ネットスラングで、「そんな簡単なことをいちいち聞くな、検索して調べろカス」という意味の言葉)がこの老紳士の口から出るとは。

 しかしながら、私はスマホを部屋に置いてきて、かつここにはパソコンがない。そもそも〝ググる〟ことができないからどうにも出来ない。


「あの、検索が出来ないんですけど……」


「情弱乙w」


 何なんだこいつは。大人みたいな格好して、夏休みのガキみたいな煽り方してくる。いつもなら掲示板で煽ってきても煽り返したり論破したり出来たのだが、今は対人だし、ここで怒ると「ファビョんなw」とか返って来そうだからやめておいた。

 煮えくり返るはらわたを抑えながら、私はその場を立ち去った。普段はイライラしたことはネットで発散できるが、老紳士にネットスラングで煽られて腹が立ったなんて気安く書けるわけが無いし、百四〇文字に収まる気がしない。

 しばらく歩いていくと、道が二つに分かれていた。分かれ道の先には扉があり、片方は無地でもう片方には南京錠が描かれている。


「むむ……」


 南京錠の方は鍵がかかっていそうだったから、無難に無地の扉を選んだ。

――ガチャ

 難なく扉は開いた。一歩足を踏み入れると、半ば締め出される形で勢いよく扉が閉まった。まったく、足でも挟んだらどうするんだ。

 ぶつぶつ不満をたれていると、滑り込むようにして目の前に大きなイラストが現れた。枠いっぱいに何ともいやら……ゔ、ゔん! 何とも艶めかしい女性のイラストが描かれている。二次元ならではのこの童顔といい、童顔に釣り合わないこの大きさといい、見るからにいかがわしい。よく見ると左上の隅に四角で囲まれた×がある。なるほど、広告か。

 私はその×を軽くタップした。すると、ブー! と警告音が鳴り、別の画面が現れた。それは赤字でカウントダウンをしながら、百万円を要求している。

 どうやらよくあるフィッシング詐欺の広告だったらしい。こういう類のものは無視するのが一番の得策だ。

 広告は体当たりすると簡単にすり抜けて、その先には道が続いていた。

 道なりに進んでいると、無機質な廊下に草がちらほら見られるようになった。しだいに滑らかで硬質な床は、小石が転がる土の道になっていった。歩みを進めるごとにそれらは増えていき、しまいには無機質な壁や床は完全に緑と茶色の林になってしまった。


「ここは……」


 いかにもRPGに出てきそうな林の一本道。大体こういうところは無防備に挑むとモンスターに袋叩きにされて、しかも逃げられないからセーブしておかないと街に戻るハメになる……いや違う違う。


「モンスターとか出てきたらどうしよ……」


 モンスターが出るとは思えないが、この服装でモンスターに出てこられたら一〇〇パーセント負けるのは間違いない。せめて革の鎧と棍棒くらいは欲しいものだが、そもそもこの空間はゲームの空間では無い気がする。

 歩いていくうちに、また道が二手に分かれた。左手にあるのは切り立った崖で、朽ちかけたボロボロの足場が申し訳程度に付いている。しかし入り口らしき所には鎖で文字通り封鎖され、古びた南京錠が吊り下げられている。右手には草木の類が好き勝手に生えている雑木林。封鎖どころか入り口すらない。


「うーん……」


 左の崖は入り口が封鎖されている上に、残念ながら私にはあの足場を渡る勇気はない。口撃メインの舌戦ならまだしも、体力勝負の崖上りなぞまっぴらご免だ。私の得意なことは匿名での口喧嘩であって、リポ〇タンDの宣伝ではない。よし、右に行こう。

 雑木林の中は何気に明るくて、先ほどと変わらない光景に半ば飽きのようなものを感じていた。また広告でも出るのかな、それとも雑魚モンスターかな、とか思っていたその時!


「うわわっ!」


 フードの端が何かに引っ掛かり、千切ろうと引っ張った瞬間。私の体は宙に浮き、そのまま木の枝付近まで上昇した。

「なんだ、人間か」


 何かの声がした。声のした方を向くと、そこには釣り竿を手にした白い鳥がいた。なぜ鳥が雑木林で釣りをしているんだ。奇妙というか異様というか、まず現実世界では見ることの無い光景だった。


「人間は要らん。リリースするかな」


 まだ一言も発さないうちに、その白い鳥は糸を切り、私はたちまち木の下へ落下した。ドンッと鈍い音がして、私は本日二回目の尻もちをついた。落下の体勢のおかげか、わがままなお腹のおかげか、重心が下の方に行ったらしい。

 お尻をさすりながら立ち上がると、とりあえずこの林を抜けることにした。白い鳥のもとからだいぶ去った後だが、フィッシング詐欺を仕込んだ広告に続いて、私はフィッシング・鷺に会ったらしい。


「おやおや、人の子どこへ行く?」


 また頭上から声が降ってきた。今度はツルか? それとも亀か?

 注意深く見上げると、そこにいたのは一匹の猫だった。ただし全身が文字で描かれた、アスキーアートの猫だ。


「その顔さては、これまでに、何度か釣られたみたいだね」


 逆さまのAをパクパクさせながら、アスキーアートの猫――面倒なので、アスキーにゃんこと名付けよう――はにやにや笑っている。


「ウシャシャッ。君は鍵付きマークじゃない方を、選んだから今こうなった。それが安全マークというのに」


 詩でも吟じるように朗々と、アスキーにゃんこは喋り続ける。


「ねぇ、にゃんこ」


「なんだい迷子の人の子よ」


「ここはどこなの?」


 少し前にググれと返された問いを、今度はこの猫に投げかけてみた。

 するとアスキーにゃんこは、木の上からシュルシュルと降りてきて、私の斜め前に着地した。そしてこちらを見ながら、また吟じるように答えた。


「いいかいここは情報と、ウソとジョークが入り混じる、ネットという名の魔の国さ」


「どうすれば出られる?」


 アスキーにゃんこと歩きながら、聞いてみた。


「ウシャシャ、そんなの私が知るものか。言えることはただ一つ。言うも話すも甚だ易し。言葉は毒にも薬にも、剣にも盾にもなるだろう」


 アスキーにゃんこはそれだけ言うと、口を×にして喋らなくなった。

 雑木林を抜けるあたりに差し掛かると、アスキーにゃんこはこちらに向き直って、また口を×かた逆さのAに戻して言った。


「私はここらで退散しよう。人の子次は見落とすな、鍵のかかったその印」


 アスキーにゃんこはそのまま砕けていなくなった。

 林を抜けるとのどかな草原が広がっていた。そこにポツンと、一軒の小屋が建っていた。

 近づいてみてみると、扉には青色の南京錠が描かれていた。


「安全マーク……?」

 私は固い木でできた扉を、三回ほどノックした。しばらくして、「どうぞ」と、優しい声が返ってきた。


「しし、し、失礼します……」


 相手が人だからか、またコミュ障発作が出てしまった。

 小屋に入ると、安楽椅子に腰かけたお婆さんがいた。ふくよかな体つきに温かい色合いの服を着て、ゆらゆら揺れながら編み物をしている。手や顔には長い年月を生きてきた証が刻まれ、可愛らしい丸眼鏡を掛けている。絵に描いたようなお婆さん、いや、お婆ちゃんだった。


「おやおや女の子じゃないか。こんな所に一人で……まさか、あの林を抜けてきたのかい? 疲れただろう、そこにお掛けなさいな」


 えらく心配されているらしい。私は言われるがまま、近くの椅子に腰かけた。


「それで、どうしてこんな所に」


 お茶を淹れてきたお婆ちゃんは、カップを差し出すと私に聞いた。私はこれまでのいきさつを(どもりながら)話した。


「ねぇ、お婆ちゃん」


「なんだい?」


「ここから出るには、どうすれば良いのかな?」


 猫が答えられなかった質問を、お婆ちゃんに聞いてみた。

 お婆ちゃんはカップの紅茶を一口すすった後、絵本でも読み聞かせるように言った。


「昔にもあなたみたいに、何かの拍子に迷い込んだ子がいてね。その子はここから少し行った所にあった〈門〉から出たのだけれど、今はそこに塔が建っているんだよ」


「そこに行けば、帰れるの?」


「それがそうにもいかなくてね。そこにはユニオンドクラックという魔物が住んでいて、〈門〉を塔のてっぺんに移してしまったんだ。塔はクラックの手下が守っているし、てっぺんに辿り着いてもそこにはクラックがいるしねぇ……」


 シンプルかつやや面倒な状況だった。今更になってRPG的な展開が来るとは。しかしそのクラックとやらを突破しなければ、〈門〉を通ることは出来ないらしい。そうとなれば……。


「お婆ちゃん、私行ってくるよ」


「そうかい。もし駄目だったら、すぐに戻ってきなさい」


 私は塔への行き方を教わると、お婆ちゃんに別れを告げた。


「ここか……」


 目の前には、巨大な塔がそびえ建っていた。天を貫くような巨塔、旧約聖書のバベルの塔が完成したら、このようになるのではと想像した。

 塔の入り口には塔に見合った巨大な扉。人の背丈の二~三倍はあるかと思われ、押しても引いても埃が舞いそうだった。

 ギイイイィィィ

 足で押してみると、重厚な扉は意外にも簡単に開いた。

 入った塔の中は真っ暗。純粋な暗闇とは、こういうものかもしれない。

――バタン!

 扉の閉まる音が大きく響いた。それと同時に、真っ暗な塔内はたちまち青白い人工の光で明るくなり、眩しくて目が潰れるかと思った。


「フュッフュー! フュッフュー!」


 どこかで聞いたような音が塔内に鳴り響いた。音のする方を向くと、青色の小鳥が群れになって鳴いていた。いや、鳴っていたという方が近いかもしれない。

 鳥たちは私を見つけると、私に向かって飛んできた。それは懐いて近寄って来るというようなものではなく、むしろ乱れ撃ちの銃弾に近かった。

 反射的に私は駆け出した。脱兎のごとく逃げる私に、鳥たちは襲い掛かる。どうやら私は侵入者と見られたらしい。私は唯一の逃げ場である階段へと走る。

 壁に付けられた階段に到着。息を継ぐ間もなく、大急ぎで階段を駆け上がる。肩越しに振り向くと、青い鳥たちがうるさく鳴きわめきながら、私の背中めがけて迫っている。円形の塔を螺旋状に登っているせいか、何羽かは壁にぶち当たったり、突き刺さったりしていた。

 鳥たちは少しずつ数を減らしながらも、執拗に私を狙って飛んでくる。走り続けるうちに、黒い両開きの扉が見えてきた。私は最後の二段を飛ばして、扉の前に着地。扉を開けて中に滑り込み、すぐに閉めてかんぬきを掛けた。

 扉の向こうでは、鳥たちが突き刺さる音がしていた。それを後目に、私は次の階段へと向かう。


「はぁ……はぁ……」


 荒い息を整え、周囲を見渡す。ブルーライトで煌々と明るく、床にはチェス盤のような白黒のチェックが描かれている。次は何が出てくるんだろう。


「止まれ」


 声の主は、塔の衛士と見られた。首から下は鉄の鎧を着こんだ男で、顔を匿名のアイコンで隠している。


「不審者、そこで止まれ」


 悪いがそれは出来ない相談だ。私は衛士を無視して、階段へ走った。


「不審者逃走、至急捕らえよ。不審者逃走、至急捕らえよ。生死は問わぬ。至急捕らえよ、生死は問わぬ」


 生死は問わぬ!? 私はお尋ね者の海賊か何かか! 無防備、いや無装備の私が攻撃なんてされたら……。


「不審者消えろ!」


 衛士の一人が、大きな声で叫んだ。すると、「消えろ」の言葉がナイフとなって、壁に柄まで深く刺さった。


「……!」


 それに続いて次々と、駆け付けた衛士たちが刺々しい言葉を叫んだ。


「消えろ!」 「殺すぞ!」


「不審者氏ね!」 「晒すぞ!」


 言葉は鋭利な刃物と変わり、私にめがけて飛んでくる。放物線を描いて飛んでくるもの、直線で素早く飛んでくるもの、回転をかけてカーブするものなどなどあったが、何とかかわしながら階段を段飛ばしで上っていく。

 壁に刺さったナイフは根本まで深く刺さっている。こんなのまともに食らったら痛いどころでは済まないだろう。

 ただ、不思議と恐怖は感じられなかった。今感じるのは、、ワクワクにも似た高揚感と興奮。聖剣や魔法のローブはおろか、革の鎧すら着けていない私が、塔を登り魔物に挑もうとしている。この世界に来る前に止まっていた私の時間は、再び音を立てて動き出した。言うなれば、私は今、生きている。


「氏ね!」 「晒せ!」 「吊るし上げろ!」


「不審者を殺せ!」 「消えてしまえ!」


 私と衛士たちの間には、塔四半周ほどの距離が空いていた。衛士たちは口々に叫んでナイフを飛ばしながら、私を追いかける。私はそのナイフを避けながら、塔の最上階へ向かう。

 私が逃げ、衛士が追う。衛士がナイフを飛ばし、私がそれをよける。また私が逃げ、それを衛士が追う。思わず有名な猫とネズミの追いかけっこが頭に浮かんだ。

 次第に衛士と私の距離は離れていき、言葉も尽きたのかナイフも少なくなってきた。四分の一周、半周と突き放し、とうとう衛士たちから逃げ切った。もう衛士の姿もナイフも見えない。

 興奮冷めやらぬまま走り続けていているうちに、階段の果てに辿り着いた。そこには巨大な扉がドンと構えてあった。今まで通ってきた扉とは比較にならない、巨大で、荘厳で、かつ威圧感のある扉だ。


「ここか……」


 扉を押し開け、最上階に入る。そこはよどんだ、禍々しく重苦しい空気が空間を支配する、ラスボスの部屋に相応しい部屋だった。


「何しに来たガキ」


 いきなり攻撃的なワードが飛んできた。私は言葉の主と対峙する。どうやら、こいつがユニオンドクラックなる魔物らしい。

 黒い影のような体は0と1の帯で包まれ、所々が露出してそこから黒い煙が上がっている。体にはいいねの親指マークやハートマーク、再生・停止ボタンやリツイートのマークなどが付いており、頭はパソコンのディスプレイ。画面には灰色の匿名アイコンが表示されている。


「家に帰りたい! 〈門〉を通らせろ!」


「リアルに戻っても廃人だろ。意味が無いな」


 クラックは嘲笑するように言う。


「通りたければ…………俺を倒してみろおお!」


 クラックは急に雄たけびを上げ、大声で言った。


「消えろ!」


 衛士たちと同じように、言葉が鋭い刃物となって、空気を切り裂くように飛んできた。


「氏ね! 消えろ! 殺すぞおぉぉぉ!」


 アカウント停止間違いない刺々しい言葉がナイフとなり、次々に飛んでくる。それはさながら、どこぞのメイド長のよう。


「……っ!」


 ナイフの一つが、足をかすった。生暖かい血が伝っていくのを感じる。

――ウシャシャッ

 一瞬、アスキーにゃんこの声が聞こえた気がした。同時に、アスキーにゃんこの言葉が脳裏によみがえった。

――言えることはただ一つ。言うも話すも甚だ易し。言葉は毒にも薬にも、剣にも盾にもなるだろう。

 そうか、それなら……


「役所!」


 口から出た「役所」の言葉が、固い盾に変化した。飛んできたナイフを、盾が弾き返す。そっちが鋭い利器なら、こっちは!


「責任! 命! 一方的な愛!」


 重い言葉が鉄塊に変化し、クラックに降りかかる。一つは頭のディスプレイに直撃し、残りの二つは肩に当たった。すると、クラックの胸にあるハートマークが点滅し、クラックがよろめいた。ディスプレイも砂嵐になって、匿名アイコンが乱れている。


「ぅが……アァ、Ctrl+Z!」


 突然叫んだかと思うと、ハートが点滅から安定した緑に変化した。


「回復、した……」

 その後も、クラックがナイフを飛ばしては盾でそれを防ぎ、私が鉄塊と飛ばして反撃する。そしてCtrl+Zで全回復する。そんな攻防が四ターンほど繰り返された。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 全回復スキルを持ち合わせていない私は、これでかなり体力を消耗した。そんな裏技あるなんて聞いてないぞ。Ctrl+Zで戻れるなら私だって……ん? 裏技? 裏技って他にもなんかあったような。

 そうだ、あれだ!

 クラックのハートが点滅し、ディスプレイが荒ぶった。クラックがまた回復の言葉を叫ぼうとしたその瞬間。


「Ctrl+S!」


 私はクラックが回復する寸前、その状態を〈上書き〉した。クラックは回復の裏技を叫ぶも、ハートの点滅は一向に緑へ変わらない。


「これで終わり! Delete!」


 〈削除〉を叫んだ刹那。クラックは大爆発を起こし、爆風が空間に渦巻いた。私は爆風で飛ばされ、ステンドグラスの窓にぶち当たる。

 窓は木っ端微塵に粉砕され、

 私は外へ吹き飛ばされた。

 


「うわああああ……って、あれ?」


 見渡すと、見慣れた、しかしやけに懐かしい、ごちゃごちゃしてて雑多な部屋にいた。


「帰って……これた?」


 突然の帰還に、状況が飲み込めていなかった。お婆ちゃんが言っていた〈門〉は? 一体何が起こって、そしてどうやって帰ってきた私。


「そうだ、時間!」


 八月一日、午前二時二〇分。迷い込んだ時から、一分も経っていないらしい。余計に事が分からなくなった。夢だったのか、いや眠っていたなら時間が経っているはず。なんだか糖分が欲しくなってきた……そういえば冷蔵庫にジュースがあったような。


「よっこいせ――ッ!」 


 右足にずきりと痛みが走った。ふと見ると、その部分のズボンが破けて、そこから切り傷が覗いていた。


「この傷……」


 思い当たる節があった。つい先ほど、かなり信じられないような世界での体験だけれど。

 パソコンの電気はつけっぱなしだった。あのDMが届いたメッセージボックスを確認したが、あのメッセージは残っていなかった。


「んむぅ……」


 私があの世界へ行った証拠はこの世界のどこにもない。足の傷ですら、それを証明するには不十分だろう。

 ただ、私の中には、帰ってきた今でも鮮明に刻まれている。老紳士に煽られ、鷺に釣られ、アスキーにゃんこやお婆ちゃんと出会い、青い鳥や衛士から逃げ、そしてクラックと物理的な舌戦を交わしたこと。

 私は少し勘違いをしていたのかもしれない。Ctrl+Sで過去の廃人歴が保存出来るなら、新しく〈上書き〉すればいい。私の時間はもう止まっていない。着実に、刻々と動いている。遅れた時計の針は、巻けば元に戻るんだから。

――ウシャシャッ


「……!」


 窓の外で、アスキーにゃんこが笑ったような気がした。……きっと気のせいだろう。このリアルの世界に、アスキーにゃんこはいない。


「私、頑張ってみるよ」


 何もいない窓に向かって、一言呟いた。

 遅れた針を、進めるために。

 八月一日午前二時、間もなく三時を迎える頃の出来事である。

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