羅生門
その日は雨であった。下人は羅生門の下で雨やみを待っていた。人通りは全然なく、下人のほかには誰もいない。だが、キリギリスが一匹、羅生門の柱にいることは確かだった。キリギリスの他に、どこからやってきたのか、一匹の黒い野良猫が、下人の足元にまとわりついている。下人のほかに、人間の姿は見えない。
小雨が降りしきる中、下人は考え事をしていた。ここのところ、とある泥棒が、世間を騒がせていたからだ。泥棒は金品を盗んだうえ、女を犯し、逃走する。泥棒が関与したと思われる事件は、数件発生しているが、そのやり口から、単独犯でしかも同一犯であると考えられていた。泥棒はいまだに捕まっていない。悪質な犯行だから、警察が血眼で捜索しているが、煙のように姿を暗ましていた。
羅生門の下で小時間過ごした後だった。下人は羅生門の上が気になった。羅生門には何度か訪れるが、羅生門の上は登ったことがない。存在は知っていたが、登ることまではしなかった。だから下人は、羅生門の上へと続く階段を、上ることにした。
雨が降りしきる中、羅生門の階段は鉄でできており、錆びついている。足場が崩れる不安はない。だが、雨で濡れている。だから、滑らないように気をつけ、鉄骨の手すりを握りしめ、慎重に登っていった。
羅生門の上では、死体が転がっていた。先日の戦乱で、犠牲になった武者どもが、ここに集められているのだろう。死体の山だから、悪臭が立ち込めている。下人は、死体を踏んでばかりだった。羅生門の上をしばらく進むと、死体がごろりと動くのが見えた。不審に思い、近寄ってみると、老婆が死体の髪の毛をむしり取っていた。
「貴様そこで、何をしている」
下人が尋ねると、振り返った老婆が、驚いた顔で下人を見た。
「私は何もしておりませぬ」
咄嗟に老婆は、髪の毛を体の後ろに隠した。
「嘘をつけ。貴様今、何を隠した」
下人は老婆の挙動を見逃さなかった。
下人はその懐から、短刀を抜き取り、老婆の顔に、短刀の剣先を向ける。老婆は、どうにか逃げるために、下人の脇をすり抜けようとした。そんな老婆を下人は、足を掛けて転ばした。そして老婆の肩を押さえつけた。
「言え、貴様ここでなにをしていた」
「私は何もしておりませぬ。ただ、死体の髪の毛を頂いただけだ。敗者に人権などない。だから私がこの死体から、髪を抜き取ろうとも、私に罪はない」
「なら私が、貴様から身ぐるみを剥ぎ取ろうとも、文句はないな」
下人は抵抗する老婆から、身ぐるみを剥ぎ取る。座り込んで動けぬ老婆を置いて、下人は羅生門から姿を消した。
下人の行方は誰とも知らない。