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狐か稲かそれとも何か【2】

稲と会った日から少年は、毎朝あの川の辺りまで走るようになりました。

不審がる家族に「体力付けたいから」と言い張って続けていました。



それでも、あの日以来稲の姿は見ていませんでした。



本当に幻だったのかなぁ。



七日目の朝、少年はいつもより遠くまで走ってみました。

稲と会った場所よりもっと奥、海のある方へ進むと森があります。

そんなに暗くも明るくもない、少年にとっては普通の森のはずでした。


「あれ」


黄色のような茶色のような毛をした狐が二匹、身体をずぶ濡れにして森から出てきました。

木と草ばかりの森で、どうやったらあんなにずぶ濡れになれるのか。



少年はなんだかわくわくしてきて、駆け足で森に近付きました。

狐の出てきた辺りからゆっくり草を掻き分けて進んでいきます。



そして、十歩も行かないうちに、突然視界が開けました。


「え……?」


そこには、見覚えのない池が広がっていたのです。


少年は次の冬で十六になるのですが、これまで暮らしてきて、この森も時々入っていたのに、見たことがありませんでした。

こんな入ってすぐの所にずっとあったのなら、知らないはずがありません。


「新しく……できたのか……?」


恐る恐る近付き、水辺にしゃがみこみます。


ぽっかり穴が空いて水が溜まったような池。

池の上だけ木々に隙間ができて、森にしては眩しすぎる光が水を透き通らせています。

腰ほどもあるかないかといった深くない池のようですが、底のほうは水が碧みがかって見えました。



少年は、小さな海でも見ている気分でした。

誰かに見せたいような、でも一人占めしたいような。

とにかくうずうずして堪らなくて、少年は自然と笑顔になっていました。



稲と会いたくてそこまで来たことも忘れて、ただただじっと見つめていました。





次の日、少年はまたあの森に行きました。

雨が降りそうな空でしたが、それでもあの綺麗な池が見たくてじっとしていられなかったのです。



池は、昨日ほど綺麗ではありませんでした。


空がどんよりと曇って暗いので、水面も暗く揺れています。

晴れていないことは知っていましたが、それでも昨日見た景色を期待してしまっていた少年はがっかりです。

胡座をかいて木に凭れ、それでもじっと池を見つめていました。



そうして幾らもしないうちに、とうとう雨が降り始めました。

少年はため息をついて立ち上がります。



今日はあんまり良くない日だ。



屋敷まで結構ある道を、雨が降り始めてから急いでも大して意味がない気がして、少年はゆっくりと歩きました。

俯き気味に歩くその額を、大きくなり始めた雨粒が滑ります。



目に入ろうとする雫を拭おうと顔を上げたとき、視界の端を紫色が掠めた気がしました。



きっと気のせいだ。

期待なんてしてはいけない。

こんな雨の中、こんなところにいる人なんて僕の他にいるわけないじゃないか。



いないのを知ってがっかりしたくなくて、少年はその見覚えのある紫色を探そうとはしませんでした。


「あら、あなた」


背後から声が聞こえました。


「ちょっと、人違いじゃないでしょ?」


すぐに振り返れずにいた少年の目の前に、あの珍しい稲穂色の瞳が飛び込んできました。


あの日から毎日思い出した色。


「稲……!」


「あら、そんなに驚くのね」


少年が目を丸くするのを、稲は面白そうに見ています。


「どうしてこんな雨の中……?」


「天気を言うならあなたも同じじゃないの?」


「そうだけど! あっ、それより風邪ひくよ! どっか雨避けになるところ……森まで走ろう!」



少年は稲の手を引いて走りました。

森からはまだあまり離れていなかったので、走ればすぐです。



さわさわと草を掻き分けて森に入ると、一辺に雨粒が減りました。

その代わり、大きな粒がそこかしこにぱたりぱたりと落ちてきています。



まあ、ずっと降られてるよりはましかな。



そんなことを思いながら少年は目線を上から前へ戻します。

すると目の前には、いつの間にか少年より前に進んでいた稲が立ち止まっていました。



何かあったかな、と考えようとしてすぐに思い出します。

自然とため息が溢れました。



「こんなところに、池なんてあったのね」


稲が振り返ります。



稲の向こうに見える池は雨で波立ち、昨日の美しさが一層幻だったように思えてきます。


「前までは無かったんだけど、ここ最近、突然現れたんだよ。……晴れてたら、もっと綺麗なんだけど……」


少し暗くなった声で少年が答えると、稲は「ふぅん」とだけ返事をして池のすぐ傍にしゃがみました。



少年も傍に寄って中腰になり、思わず少し首を傾げました。

何故だか稲が、手でつくった器に池の水を入れてじっと見ていたのです。


「この池が現れたの、あなたが私と会うより前? 後?」


突然稲が尋ねます。


「後……だと思うけど」


すると、稲は掬った水を溢しながら微かに笑いました。



「歓迎されてるってことね」



一人言のようでした。


小さな呟きだったので、本当にそう言ったのかは分かりません。

でも少年には、そう聞こえました。


「何か、言った?」


「……今度は晴れの日に来ようかしら」


「え……あぁ、それが良いよ」




間もなく雨は上がりました。

お互いにずぶ濡れだった二人は、その日はすぐに別れました。





次の日は晴れでした。

その次の日も、また次の日も。



そして少年があの池のあたりを訪ねると、ほとんどいつも稲がいました。



あの美しい容姿に、面白がっているような涼しい微笑をのせて、


「あら、また来たのね」


と、少年を迎えるのでした。



そうして、たくさん、いろんな話をしました。





「ねえ、君の家はこの辺りなの?」


「そうね……、あっちのほうよ」


「あっちって、あっちには村はないよ。どんなに行っても海だけだ」


「そうかしら」




住んでる場所をはぐらかされたり、




「稲の家族の話、聞いたことないな」


「家族?」


「ほら、僕はよく話すじゃないか。母上とか妹のこととか」


「一緒に暮らしてる人のこと?」


「まあ、そんなとこかな」


「それならいるわ。とても可愛い子が一人」


「へえ。なんか意外だなぁ。小さい弟か妹さん?」


「どちらでもないけれど、小さい頃からみてる本当に可愛い子なの」


「本当に大好きみたいだね。とても素敵な顔してる。もっと聞かせてよ、その稲の家族のこと」




家族の話をしたり、




「稲、いつも裸足だけど平気なの?」


「草の感覚を楽しんでるのよ」


「相変わらず変わってるね」


「そう言うと思った」




稲がちょっと変わってる話をしたり、




「今日の月、きっと綺麗だから見ると良いわ」


「今夜の月が? どうしてそんなこと稲がわかるっていうんだい?」


「わかるのよ。私は月が好きだから」


「そんなの僕だって好きだよ」



「稲! 君すごいね! 昨日の月、丸くて大きくて黄色に暖かく光って、おまけに細い雲がたなびいて、とっても綺麗だったよ!」


「たくさん言葉を使うのね、あなた」


「それじゃあ稲だったら?」


「昨日のは、綺麗で私の好きな月夜だった」


「ははっ、稲らしいや」




稲の教えてくれた綺麗な月夜の話をしたり、




「僕の妹の衣、持ってきたから着てみてよ。村の暮らしが気になるって言ってただろう?」


「あなたのと似てるわね」


「そりゃそうだ。大体みんな同じだよ。着方分かるかい?」


「分からないわ。教えてくれる?」



「すごいなぁ……。とても……似合ってる」


「あら、ありがとう。でも慣れない格好すると落ち着かないわね。……どうしたの? おかしな顔して」




稲がとても綺麗だと、忘れた頃に気付かされたり、




それはそれは、楽しい日々でした。



最初、狐かもしれないなんて疑っていたことなんて、すっかり忘れてしまったくらいに。

お読みいただきありがとうございますm(__)m

中編でした!次回で完結するのか……?

また見にきてくださると嬉しいです

感想、ご意見などもお待ちしてます!



親作品 :『月に咲く花』

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