43 『シルク・ド・ルージュ』冒険者たちの敗走
大クラン『シルク・ド・ルージュ』の『三遊侠』。
彼らは『哭鉄兵団』の統率長に相当するクラン幹部であった。
実力も知謀も一級。
芸も一等級。
その一人、猛獣使いのピルガツォは、地上で調教した猛獣を従えダンジョンを進んでいく。
彼の調教の腕は、通常の獣だけでなくモンスターにも有効。『眼力』によってモンスターの動きを止めた瞬間に配下の獣たちに襲わせるというのが必勝パターンであった。
彼は、他の『三遊侠』メンバーへの対抗心を燃やし、自分こそがもっとも先に行こうと急ぐ。
「ケケケッ! オレこそがもっとも有能だと団長に認めてもらうチャンスだぜ! 最下層に一番最初に到達するのはオレだッ!」
次階層へと続く階段へ、まっすぐ向かうピルガツォ。
そもそも彼らも駆け出しの頃は、初心者ダンジョン『枯れ果てた洞窟』を何度も行き来したクチであって内部構造も記憶に残っていた。
だから迷うことなどない。
ダンジョンの構造自体が小さく単純だからなおさらだった。
「よし! 地下六階まで来れたな! シンジャとエーゼはまだ来てない! 俺がトップだぜ!」
いかなる場合であっても一番乗りは評価と注目を受ける。
なんとしてでも最下層への第一到達を果たそうと、次の下り階段を目指そうとしたところ……。
「何を死に急ごうとする?」
「うおッ?」
激進のピルガツォが止まったのは、行く手を阻む者が現れたからだった。
「何だ……? モンスター、いや人か?」
目の前に立ちはだかるのは、もう齢七十は超えるかという老人。
しかし頭髪も髭も豊かに蓄え、そのすべてが白髪になってむしろ銀色に輝いている。
この豊かで艶めく白髪はけっして老いという衰えの表れではなく、むしろ老いてなお精強という証明。
眼光の鋭く、獣使いであるはずのピルガツォが逆に圧せられるほどだった。
「こんなじいさんがダンジョンの奥深くに……? 一体どういうことだ?」
ピルガツォは油断なく距離をとり、白髪の老人に呼びかける。
「おいじいさん、こんなところで迷子かよ? 悪いがこっちも用があるから地上まで送ってやることはできないぜ?」
「使命があるのはお互い様よ。けっこうけっこう」
あの老人の気配、ただ者でないのはすぐさまわかる。
ピルガツォは引き連れた猛獣たちに目配せし、いつでも飛び掛かれるよう体勢をとらせた。
虎、狼、大蛇や猛禽など、いずれも殺傷能力の高い獣を取り揃えてある。
猛獣使いというクラスの彼にとって、その獣こそが最大の武器であった。
「獣を操ることがお前さんのスキルかい? 私が現役であった頃は、そんな珍妙なクラスは存在自体なかったわい。面白いが、興味深くはないな」
「ああ?」
相手の正体がわからない。
ピルガツォは俄かにジリジリしだした。せっかく競争相手に距離をつけているというのに。
「なあじいさん、とにかく横へのいてくれないか? オレは先に進みたいんだ。もし地上へ戻りたいって言うなら、あとからまた誰か通るだろうからソイツらにお願いしな」
「気遣いありがとう。だがその必要はないよ。私は自分の力でどこにでも行けるし、そしていかなる使命をも果たせる」
「は?」
「ここを通ろうとする侵入者を撃退する、という使命をな」
「てめッ!?」
それを聞いた瞬間、ピルガツォの緊張が一気に跳ね上がる。
警戒から戦闘時のものへ。
「人間のくせに、冒険者の邪魔をするのかよ!?」
と言ったところでピルガツォは気づいた。
目の前にいる老人の、人間としてはあまりにも奇怪な特徴に。
「何だあの肌の色は……!?」
まるで濁った沼のような汚い色だった。
あんな肌の色をしている人間がいるわけがない。しかし何故かピルガツォは、そんな肌の色に強烈な既視感を覚えた。
それもそうだ。
冒険者にとってゴブリンは、親の顔よりもたくさん見てきた相手になるのだから。
「ゴブリン? あれがまさか……!?」
「<パラライズ・ディノウ>」
「あげえええええええッッ!?」
さらなる思案を広げることもできずピルガツォは倒れ込んだ。
彼だけではない、彼が率いる猛獣たちも。
一瞬のうちにその場に倒れ伏し、全身をビクビクと痙攣させるだけで起き上がることもない。
「あげッ!? 体が、体が……ッ!?」
「我がマスターより命まで取ってはならぬという指令を受けておるゆえ安心せよ。……そういう時、麻痺魔法は便利よのう。無傷のまま無力化するには一番じゃ……」
「ま、麻痺……!?」
そんなはずはないとピルガツォは混乱した。
敵を麻痺状態にするには、それ専用の麻痺毒を武器に仕込むか、電撃魔法などによって副次的に身体感覚を停止させるしかない。
しかし、あの老人はそのどちらもしなかった。
魔法は使ったらしいが、麻痺効果の誘因にもっとも便利な電撃魔法なら僅かでも電光スパークが起きるはずなのに、何も見えなかった。
余計な動作を一切せず、直接的に生体の感覚を麻痺させる。
しかも一人だけでなく複数をいっぺんに。
「そんな魔法があったら、あまりにも便利すぎる……!? そんなものが実在するのか……!?」
「勉強不足だのう」
麻痺したのはピルガツォはの調教した猛獣たちも同様で、彼は一切の動作を封じられた。
この状態を襲われたらひとたまりもない。
そこへ……。
「おああああああ~ッ!?」
「走れ! 走れええええッ!?」
体は動かずとも五感はなんとか機能しているピルガツォ、その声を聞いて天の助けと思った。
「あの声は……シンジャとエーゼ!?」
『シルク・ド・ルージュ』で同じ『三遊侠』を名乗る二人。
あの二人が後方から追い付いてきた。先行していたピルガツォの下に。
「ちょうどいいところに来たッ!! 助けて! 助けてくれッ!! ……気をつけろ、そのジジイは予備動作なしの麻痺攻撃をしてくるぞ!」
「ピルガツォ!? なんで地面に寝そべってるの!?」
「助けてとか、それどころじゃねえッ!? こっちだって部下は全員やられたんだ! オレたちはもうおしまいだああああッ!?」
泣き叫ぶクランの同志。
何事かと思っても、体中が麻痺したピルガツォは首を回して後方を窺うこともできない。
だから目視はできないが、しかしその必要もないほどの猛烈な覇気が彼の体に伝わってくる。
麻痺して触覚も失われているはずなのに骨身にまで恐ろしさが伝わってくる。
「なんなんだあッ!? この剣士はッ!?」
「あんなに強いゴブリンがいるのかよ!? って言うかあれゴブリンなのかよおおおッ!?」
仲間たちの悲鳴もダンジョン中に響き渡る。
『シルク・ド・ルージュ』最高戦力と言われた『三遊侠』がなすすべなく翻弄されている。
「フューリーム殿の存在はともかく……」
若い声が響き渡る。
麻痺した体ですら泡立ってくる覇気のこもった声。
「このオレは、数日前から何度となくダンジョンに出没していた。それなのに知らないというのは事前調査を怠った証拠。冒険者にとって探索対象の調査不足は即、死を意味する……!」
「おッ、レオスダイト殿……」
泣き叫ぶ仲間たち。
まさかあの老人と同じような存在がもう一人……。
「その軽率さ、一気に減点十だ! 初心者ダンジョンから出直してこい!」
「ここがその初心者ダンジョンですぞー」
前後に絶望の敵が待ち受けている。
それぐらいは麻痺したピルガツォでも理解できた。
つまりもう、絶体絶命ということだった。
「食らえ、<嶄印衆合剣>!!」
「「「ぎゃああああああああああッ!!」」」
剣士の放つ斬撃に巻き込まれ、蹴散らされるピルガツォたち。
ここに彼らのダンジョン探索はリタイアで終わった。
◆
そうして侵入者全員が行動不能になってから現れるスラブリン。
「隊長! お勤めご苦労様です!」
『ピピピピピピッッ!!』
スラブリンの主な役割は、リタイアした冒険者をそのゲル状の体で飲み込み、拘束しながら地上へ捨ててくること。
ダンジョンマスターでありながら人の死もモンスターの死も好まないアクモにとって、スラブリンの仕事は重要なものであった。
あとペナルティとして装備を全部引きはがすことも大事な仕事。
「戦闘の第一段階はこれで終了ですなフューリーム殿」
「左様」
まずは突出している敵前衛を砕く。
出鼻を挫かれた敵は、これで進行スピードを遅くすることだろう。
「その間に我々がさらに押し出て殲滅するもよし。その段階に行けばもはや我々のどちらか一方でもよさそうですがな」
「油断はなりませんぞ。……それにもう一人、すでに動いているヤツがおりましょう」
「ああ……」
指摘を受けてレオスダイトが、表情を神妙なものに変える。
「どう言うつもりでしょうか彼女は? 『先頭にいる敵本隊は自分に任せてほしい』などと」
「我々は、かつて現世にあった者。マスターの思し召しによって再び舞い戻ってきましたが……」
フューリーム、賢者の名に相応しい思慮深い顔つきをして。
「現世のしがらみからは逃れきれぬのでしょうよ、きっと……」




