41 大クラン長バーゲミストの野望
大クラン『シルク・ド・ルージュ』。
それは一種奇妙な志から始まったクランであり『心に潤いを、ダンジョン探索にも娯楽を』というスローガンのもと発展していった。
ジャグラー、踊り子、歌姫、軽業師、奇術師、猛獣使いと言った特殊クラスは『シルク・ド・ルージュ』から発祥し、主に戦闘での支援や中遠距離からの攻撃に長ける。
他、既存クラスはない強みを持って冒険者業界を席巻しつつあった。
その『シルク・ド・ルージュ』の現クラン長にして初代から数えて十一代目に当たるのがバーゲミスト。
称号である『リングマスター』は『サーカスの長』という意味を持つ。
隆々とした巨体を持ち、奇策を弄する『シルク・ド・ルージュ』の中でも異質の存在に見えるが、それでどうにも一筋縄ではいかない曲者であった。
初めてクラン長に就任したのが三十の始めの頃で、今は四十半ば。
およそ十年の長きにわたってクランを支配してきた手腕は、もはや誰もが知るところ。
豪放磊落に見えるようで実に緻密な術策を巡らし、敵も味方も罠にハメて絡めとるのが得意な男であった。
彼に敵対し、知らぬ間に彼の作戦に翻弄され、気づいた時には進むことも引くこともできなくなった者は多い。
人を破滅に導く奇術師。それがバーゲミストの鍛え上げた芸だった。
その彼が、今『枯れ果てた洞窟』へと挑む。
ダンジョンに眠る恐るべき秘密を胸に秘めながら。
◆
「グァッハハハハハハハ……! ダンジョンマスターか……!」
『枯れ果てた洞窟』入り口にてバーゲミストが笑う。
胸まで届くほどに蓄えられた豊かな黒髭が、彼の尊大さを助長する。
また頭に巻いたターバンが異国風の情緒を醸し出し、この奇観集団の率い手としての説得力を持たせた。
「まさか本当にそんなものが存在するとはなあ。お前の報告が真実ならば……」
「もう団長ったら、アタシの報告を信じないというの?」
バーゲミストの隣には、妙齢の美しい女性が寄り添うように立っていた。
寄り添うというには体をピッタリとくっつけすぎて、まるで恋人同士のような睦まじさ。
バーゲミストも手を回して女を抱き込み、それだけの飽き足らず腰や尻の周りをいやらしく撫で回す。
どちらにしろ父と娘ほどもありそうな年齢の開きに怪しい雰囲気は拭い去れないのだった。
「アタシの密偵は完璧よ。今までウソを伝えたことなんて一度もなかったでしょう?」
「たしかにそうだガハハハハハ。あまりにも想像を超えた情報なんでな」
女性の名はラランナ。
かつてアクモのパーティに所属していた回復術師の女性であった。
しかし回復術師というクラスはフェイク。
真実の身分を覆い隠すための架空設定に過ぎない。
彼女の正体は『シルク・ド・ルージュ』に所属する密偵の一人であった。
「『哭鉄兵団』の古老がクランを離れたので、どういう思惑かを調査する……なんて退屈なお仕事だったけど、こんなドデカい秘密が転がり出てくるなんてアタシもビックリよ。いまだに信じられない」
「ダンジョン最奥までクリアすれば、ダンジョンマスターになれるか……、ぐふ、ぐふふふふふふふ……!」
そのことを知ってバーゲミストは笑いが止まらない。
「ダンジョンマスターになれば、なんでも思い通りにできる。少なくともダンジョンの中でのことならすべて……」
それは世界のすべてを思うままにできるのと同義だった。
「ダンジョンから生み出される秘宝をすべて自分のものにできる。それだけでも夢のような話だぜ……! これまで危険を冒して二十階層やら三十階層まで行って、運がよければ手に入るようなものを労せず……!?」
「それだけじゃないわ。ダンジョンを徘徊するモンスターも意のままにできるって話よ、ダンジョンマスターになりさえすればね……!」
それらすべては、ラランナが密偵として持ち帰った情報だった。
彼女のような密偵を『シルク・ド・ルージュ』は何十人と抱えており、ギルドや他クランの重要機密を抜き取っては有利に働くよう仕組んできた。
しかし今回の情報はとびっきりであった。
「こんな情報を聞いて、みずから出張ってくるなんて……、やっぱり団長もなりたいの? ダンジョンマスターに?」
「ここまで来といてわかりきった質問はナシだぜ?」
「きゃんッ?」
野暮な質問のお仕置きとばかりにラランナの尻を鷲掴みにする。
相手が悲鳴を上げるほど力を込めて。
今のラランナは、かつて回復術師に偽装していた時とは打って変わって薄着の煽情的な装束だった。
衣服は体にピッチリと張り付き、プロポーションを克明に浮かび上がらせて挑発的なことこの上ない。
そのレオタードはどぎつい配色で、しかも素材のせいか表面がキラキラと輝いていて『見せるための衣装』ということが一目でわかる。
技芸団『シルク・ド・ルージュ』の一員として、ならではの服装。
「もぅ、いけない団長のお手てぇ……!」
回復術師として偽装していた時とは打って変わって、人懐っこい態度のラランナ。
主たるバーゲミストに対しても媚びた声音だった。
「お前の報告通りならダンジョンマスターになることは世界すべての富を手に入れるのと同義だ。なりたいと思わないヤツぁ男じゃねえぜ?」
「あぁん団長ったら素敵ぃ!」
「そして目の前には、制覇するのにちょうどいい小規模ダンジョン……、こんな美味しい獲物を放っておくわけがないよなあ……!」
普段『シルク・ド・ルージュ』がメインの探索対象としているのは『フィリア海底洞窟』と呼ばれる、半分海に水没したダンジョンであった。
地下四十階を超える大規模ダンジョンでそれだけに探索拾得物も多く、いわば『美味しいダンジョン』ではあったが、今のバーゲミストの目的には適っていない。
今彼が求めるのは、彼がダンジョンマスターとなるためにとにかく簡単で、最短で制覇できるダンジョンであった。
最下層まで地下八階しかないことが公に知られている『枯れ果てた洞窟』ほど打ってつけの対象はない。
「お前の持ち帰った情報通りならなあラランナ?」
「アタシの聞き耳スキルは団長だって認めてるでしょう? その気になればダンジョンの別階層の話声だって明確に聞き取れるわ。それこそ最下層の秘密の会話もね?」
「いいぜいいぜ、有能な女は大好きだラランナ。ワシがダンジョンマスターになった暁にはお前を愛人にしてやらあ」
再びラランナの腰から尻にかけてをいやらしく撫で回す、バーゲミストの手。
それに一切抵抗をしないのは、ラランナが相手の好意を受け入れているのか、それとも強者に徹底した媚びを売っているのか。
「問題は最下層にいるガーディアン。あれの強さは本物で『哭鉄兵団』の統率長でさえ歯が立たなかった。ウチの団員を投入してもどれだけの犠牲が出るかわからないわ」
「犠牲ぐらいいくらでも出せばいいじゃねえか。どうせワシがダンジョンマスターになればどんな損害でも取り戻せる」
「……」
「団員は家族だぜ? クランが大きくなって全員が豊かになるためなら喜んで死んでくれるさ?」
ここにバーゲミストという男の人格の一端が垣間見えた。
何十人を犠牲にしても休みなく最下層に送り込み、攻撃を続けていけば、いかにガーディアンと言えども落ちる。
そう考えている。
もっともバーゲミストが想定しているのは『何十人犠牲にしてでも』という規模であって『何百人』『何千人を犠牲にしてでも』という想定はしていない。
引き連れているクラン団員の数もその程度でしかなかった。
「さあ、そうしたら行こうじゃないか。我が栄光への一本道を。……アクモとか言ったか? 下っ端のサポート職なんだろうソイツは? そんな雑魚にダンジョンマスターの栄冠はもったいねえ。このワシが貰ってやらあな!!」
『シルク・ド・ルージュ』の精鋭たちが俄かに活気づく。
彼らの団長が放つ覇気に感応しているのだ。
「ピルガツォ! シンジャ! エーゼ!」
呼ばれた名に反応し、三人の冒険者たちがクラン長の膝元へ躍り出る。
いずれもただ者ならぬ殺気を放ちながらも、奇矯な格好をした異様の者たちだった。
「『シルク・ド・ルージュ』の中でも屈指のダンジョン突破能力を持つお前らに、ワシは賞賛と栄誉を込めて『三遊侠』の名をつけた! 今こそその力を示す時だぞ! 存分に暴れ戦え!」
「「「喜んで! 団長!」」」
『三遊侠』と呼ばれるクラン幹部たちは一斉に散開し、それぞれの部下たちへさらなる細かい指示を飛ばす。
「ガハハハハハハハハ! これでワシはダンジョンマスターだ! この世のすべての富がワシのものだ! 兆! 京! 垓! 穣! 恒河沙! 那由多! ガハハハハハハ!!」
この時クラン長バーゲミストは、『枯れ果てた洞窟』の制覇成功をまったく疑っていなかった。
普段、ここより遥かに多階層の『フィリア海底洞窟』を日常的に探索し、地下八階より下の階層にも常に出入りしている。
なのに今さら、こんな小規模ダンジョンに何を手こずることがあろうと。
だから明日にはダンジョンマスターになっているだろう自分を、疑ってもいなかった。
◆
まあ実際。
そんな甘い話があるわけもなく……。
彼自身を含めた『シルク・ド・ルージュ』の精鋭たちは、たった四体のゴブリンによって蹴散らされることになるのだ。




