20 剣士バギンザと謎のスライム
こうして『枯れ果てた洞窟』に入るバギンザのパーティ。
「……おい、水くれよ」
「バカ言ってんじゃないわよ。各自持ってる水筒の分だけで全部。アタシはアンタなんかに一滴たりとも分けないからね」
テルスからけんもほろろに断られ、ゼルクジャースもラランナも何も言わない。
バギンザは苛立って舌打ちを漏らした。
こんな時アクモがいれば一も二もなく自分の水を分け与えてくれたものを。
ケチな連中だとバギンザは心の中で悪態をついた。
「くそッ! モンスターどころか虫一匹出てこねえじゃねえか!? どうなってやがる!?」
「ダンジョンの感じが変わったとか、ギルドで言われてたわね。私たちの休止中に何かあったのかも?」
それを聞き、またバギンザの苛立ちが募った。
彼も聞いている変化と言えば、強力な剣が宝箱に入ってダンジョン内に現れるようになったこと。
休止などせずダンジョンに潜り続けていれば……。
今彼の手にある鋼の剣に、手に入れたばかりの頃のときめきはなかった。むしろ鬱陶しささえ感じる。
「……ねえ、今日はもうこれぐらいにして戻らない?」
「なッ!?」
テルスが言い出したことに激震するバギンザ。
「何を言ってんだバカ!! 今入ってきたばかりだぞ! モンスターの一匹も殺してないってのに無成果で戻れるか!?」
「そうは言っても、ダンジョンの様子がこれまでと違うなら、今までと同じつもりで進むのは危険だわ。想定外のことが起きるかもしれない」
テルスの危惧は冒険者としてまったく的外れなことではなく、ゼルクジャースもラランナも同意する気配を示した。
冒険者がダンジョン内を進む時、最も頼りにしなければならないのは武力でも魔法力でもなく、臆病とそしられるほどの用心深さと慎重さだった。
「想定外がなんだ!? そんなのオレたちで力を併せて突き破ればいいだけじゃないか! オレたちは無敵のパーティだ!」
「忘れないで。私たちはつい最近、自分たちのパーティから死者を出したのよ」
「ぐぬッ!?」
「もう一人も脱落者なんか出せない。それが誰であろうと。だから今は慎重の上に慎重を期すときなのよ」
そう言われると何も言い返せないバギンザ。
「今日はもう戻って、ギルドで情報を仕入れ直しましょう。ゼルおじさん退路の確保をお願い。ラランナも最後まで気を抜かないでね」
「何お前がリーダー気取りで指示出してるんだ!?」
自分が仕切れないことに業を煮やすバギンザだったが、しかし他のメンバーはとり合おうともしない。
苛つくことばかりだった。
なんで何もかも自分の思う通りに行かない。
バギンザは、彼自身の予定通りならば今頃大クランのメンバーに迎えられているはずであったのに、実際にはまだ初心者ダンジョンで足掻いていることに耐えがたかった。
「それもこれもアクモがクズのせいだ……!」
バギンザ自身に落ち度がないからには、原因は常に彼以外の誰かにある。
とにかくせっかくダンジョンへ来たというのに、何の成果もないまま脱出など許しがたいことだった。
何かないか、何かないかと洞窟内を見回していると……。
「……おッ?」
視界の端にプルンと震える不気味な質感。
バギンザはそれに見覚えがあった。
「スライムか……!?」
彼はそれを幸運だと判断した。
一体でも仕留めればギルドから報酬は支払われるし、初心者卒業条件である『モンスター四百体討伐』にも一歩近づく。
あのスライムを見逃す手などなかった。
しかしパーティの連中に言えばまたどんな横やりを入れられるかわからないので、ひそかに抜け出すバギンザ。
「そこを動くなよ……! 動くな、動くな……!」
そっと近づき、剣が届く間合いまでの接近を試みる。
直接の破壊力は随一、その分射程が魔法より狭いのが剣士の特徴である。
気づかれて逃げられては元も子もない。
だからこそ息を殺して一歩二歩とすり寄るのだが……。
「……あッ!?」
あと一歩……というところでスライムは体を震わせ走り去る。
「気づかれたか!? クソ逃がすかッ!?」
バギンザもダッシュで追う。
スライムは、粘液生物の割に尋常でない速度で、バギンザも全速で走りながら追いつけない。
「くそッ!? スライムってあんなに速く動けたのかッ!?」
むしろゴブリンなどに比べれば動きの鈍い種類であったはずだが。
しかしそんなことを気にする余裕はバギンザにはなかった。
目の前にぶら下げられた人参を追う馬のように、ひたすらスライムを追いかける。
「待てえええええッ! オレに殺されろおおおッ!!」
やがてスライムはピタリと止まった。
何事かとバギンザは訝るが、行き止まりに当たったのだとすぐにわかる。
つまり、もう逃げ場はない。
「くっくくく……! 命運尽きたな……!」
バギンザは新品の鋼剣をかまえ、スライムに近づく。
「こんな袋小路にハマったことを後悔するんだな? まあモンスター風情に後悔するほどの知能はないだろうが……ん?」
そこでバギンザはやっと気づいた。
自分がこれまで追ってきたスライムの奇妙さに。
色が、おかしかった。
普通スライムといえば水のように透明に近い青。
しかし今目の前にいるスライムは、濁りきった沼のような色をしている。
「まあ、そんなことはどうでもいいか……!?」
些細な違いでしかない。
そんなことよりもスライムが斬り刻んで冒険者の糧となるための生き物なのだ。
「その運命に従って……!」
バギンザは剣を振り上げる。
「死ねええええええッ!! ……あれッ!?」
しかし剣を振り下ろすことができない。
「えッ? あれ!? なんだなんだなんだッ!?」
戸惑うばかりのバギンザ。
振り上げた剣がまるで何かに引っ張られるようにして動かない。
何事かと見上げ、そして絶叫した。
「うぎゃあああああああああああああッッ!?」
ダンジョンの天井に、びっしりとスライムがへばりついていたからだ。
一匹や二匹ではない。
数十匹にもならなければ天井を埋め尽くすほどのスライムは張りつかない。
スライムの一部が天井から垂れ下がり、鋼の剣にまとわりついて、上から引っ張り固定しているのだった。
だから振り下ろせない。
「うぎゃああああッ!? 離れろ離れろ! ぎゃあああああッ!?」
全身の筋力でもって引き離そうとするが、スライムの力は想像以上に強く、剥がれない。
そうこうしているうちに上だけでなく、下からも異変が起こった。
足元にも大量のスライムがいつの間にか這い寄っていた。
上下だけでなく前後左右、すべてをスライムで囲まれている。
逃げたくても逃げられない。
「ぎゃあああああッ!? ぎゃああああああッ!? うんぎゃあああああああッ!?」
袋小路。
逃げ場はない。
つい先ほどバギンザがスライムに言い放った言葉が、自分自身にへと跳ね返ってくる。
「も、もしかしてコイツらは……!?」
バギンザをここに誘い込むために、あえて逃げるふりをした。
「そんなバカなッ!? スライムにそんな知能あるはずが……!?」
スライムは本能のみで動く原生生物。
そんな生き物にまんまと一杯食わされたバギンザはどれほど愚かという話になる。
もはや遠慮なく次々とバギンザに飛び掛かるスライムたち。
その体の色は全員、濁った沼のように汚い色をしていたとか。
◆
その後、バギンザは体中粘液まみれで転がっているところをパーティの仲間たちに発見され、救出された。
モンスターに袋叩きにされたというのに命に別状はなく、目立った外傷すらない。
ただし装備一式すべてが剥ぎ取られ丸腰であった。
新品の鋼の剣を含めて。
ギルドに戻って詳しく情報を集めると、バギンザの他にも多くの冒険者がスライムの騙し討ちに遭い、覆いかぶさられ沈められたあと、すべての装備を持ち去られるのだという。
しかし死人は今のところ一人も出ていない。
冒険者を策に乗せ陥れるという世にも奇妙なスライムは、普通のスライムと違い毒々しい濁った色をしているのが特徴なのだという。




