第89話『ありがとう』
翌日の朝。
朝日と共に目を覚ました俺は漆黒の鎧に久々に着替え、集合場所である謁見の間まで来ていた。
ステンドグラス越しに太陽の光がこの場に差し込む中、俺はここに集まった面々の顔を順番に見つめる。魔王軍幹部の三人と一人の少女はそれぞれ硬い表情を浮かべていた。
恐らく、俺も彼らと同じような顔をしていることだろう。
今日が····決戦の日。この世界の未来をかけた最初で最後の大喧嘩。
正直俺達がこの戦争に勝利出来る可能性はそこまで高くない。
戦力的には俺達の方が優位だ。なんせ、あの魔王軍幹部と魔王を総動員させるのだから。だが、俺達には大きなハンデがある。それが────────人殺しをしてはいけない事。
もちろん、己の命が危ない場合は別だが、魔素消費量のことを思うなら殺人は出来るだけ控えるべきだ。
前回のパンドラの箱奪還戦と比べ、一般兵のレベルも高くなってるだろうからな。『レベルが高い=魔力量多い』という図式を掲げて説明するなら、魔力量豊富な人材を減らす訳にはいかないため殺しを控える必要がある、となる。
前回の戦いに参加していた人族の多くがレベル20以下の雑魚だ。本当に腕が立つ用心棒は死霊使いしか居なかった。しかも、衛兵のほとんどが既に死んでいる死体。本当に生きている人間など極少数だった。だから、前回の戦いでは殺しが許可されたのだ。
前回は致命傷とか深く考えることなく相手を攻撃出来たが、今回はそうもいかないか····。
周りに居る奴らが異次元過ぎて忘れそうになるが、俺も人族から見れば十分化け物じみた強さを持っている。俺のレベルはもはや三桁。多少手加減して、敵を倒さねばなるまい。
戦闘不能にさせるなら、腕。逃亡回避を狙うなら、足。絶命させるなら、心臓───────だったか?
少し前にベルゼから習った戦闘の極意(?)だ。
今回の場合は“腕”か。次に足だな。
なんて、どうでもいい事を考えて気分を紛らわせていたが──────────その時間は一人の男が現れたことによって、終わりを告げる。
静まり返る謁見の間にカツンと靴の踵が鳴る音が鳴り響いた。
それと同時に俺達は静かに····そして、当たり前みたいに片膝を床につける。誰もが固く口を閉ざし跪く中、一人の男が謁見の間唯一の椅子に腰を下ろした。
「そう畏まらなくても良い。楽にしてくれ」
いつもと変わらない中性的な声。柔らかい口調。優しい言葉。
拍子抜けするほど、いつも通りな銀髪の美丈夫。穏やかな笑みを携えた彼は柘榴の瞳を僅かに細めた。
とてもじゃないが、これから戦に出掛ける人物には見えない。
ルシファーの身の内から溢れ出す優しさと余裕が俺達の緊張をじわりと溶かす。
「ははっ。さすがに戦当日は緊張するね」
緊張感を感じさせない陽気な笑い声が謁見の間に響き、俺は自然と肩の力を抜いていた。ズルズルと雪崩込むように体勢を崩し、猫背で胡座をかく。
なんか····ルシファーの余裕そうな態度を見ていると、馬鹿みたいに緊張してた自分がアホらしくなってきた。俺らの総大将がこんなに余裕そうなんだ、不安がる必要は無い。緊張なんて、しなくて良い。
「お前はもっと緊張感持てよ」
「そうだよ、ルシファー!何でルシファーだけ、緊張してないのー!?」
「魔王様は昔からこうよね···」
「良くも悪くも変わりませんね」
「魔王様、緊張してないのすごーい!」
「はははっ!別に緊張していない訳じゃないよ。これでも、かなり緊張している」
「嘘だろ」
「本当だよ。ただ私までガチガチに緊張すると、君達を不安にさせてしまうだろう?だから、余裕があるように見せているだけさ」
軽く肩を竦め、なんて事ないように語るルシファーだったが、俺は普通に凄いと思った。
だって、こんな大変な時にルシファーは自分より周りのことを考えて行動したんだぜ?この世界の未来をかけた戦いがもう直ぐそこまで迫っているって言うのにこいつは周りを考えられたんだ。
正直俺は自分のことばっかりで周りのことなんて全く考えられなかった。いや、考えようともしなかった。多分、これはベルゼ達も同じだと思う。
なのに───────────ルシファーだけは自分の胸に広がる不安や緊張感よりも周りのことを考え、動いてくれた。
凄く簡単そうなことに見えるけど、実際出来る人は極端に少ない。いつも周りをよく見ているルシファーだからこそ、出来た芸当だ。
本当、こいつは優しさと思いやりの塊だよな····んで、周りのことをよく見てる。呆れてしまうほどのお人好しで、善意に満ち溢れた人間。
敵わねぇーなぁ、本当····。
「ルシファーは相変わらずだな」
「まあ、ルシファーだからねー」
「私の何が『相変わらず』なのかよく分からないが····それを詳しく聞く時間は無さそうだ」
俺とマモンのやり取りに苦笑を浮かべたルシファーは静かに席を立つ。俺達もそれにつられるように慌てて立ち上がった。
ルシファーは椅子の下にある緩やかな段差を降り、俺達の元へ歩み寄る。
レッドアンバーの瞳は優しげに細められていた。
「時間だ───────────出発するぞ」
ルシファーはそれだけ述べると、足元に巨大な転移陣を出現させた。無駄に広い謁見の間を包み込むほどの巨大な魔法陣。淡い光を放つそれは文字が次々と書き足されていく。
相変わらず、すげぇ魔力だ····!!身の毛もよだつ様な莫大且つ壮大な魔力。何か危害が加えられる訳じゃないのに体の震えが止まらない。
これが魔素消費量の半分を請け負う人物の力の一端なのか····!!
これだけの魔力を放出させておきながら、当の本人は相変わらずの笑顔。痛くも痒くもなさそうだ。
ルシファーは魔法構築を進めながら、俺達一人一人の顔を順番に見つめる。
「昨日も話した通り、転移先はみんな別々だ。少しでもオトハくんとウリエルが動きやすいように相手の戦力を分散させる必要があったからね。だから、まあ····なんて言うか···」
ルシファーの言いたいことは何となく分かる。
このメンツでこの場所にこうして集まれるのは今日が····いや、“今”が最後かもしれない。この転移魔法が発動したら、俺たちはそれぞれ別々の場所に飛ばされるから。俺とウリエルは二人一組で動くが、その他のメンバーは全員単独行動になる。不意を突かれたとき庇ってくれる仲間や背中を任せられる相棒が居ない状態でルシファー達は戦うんだ。
ルシファー様が簡単に死ぬとは思えないが、絶対に死なないとも限らない。今回は前回と違って、死霊使いのロイド並みの強さを持つ精鋭が多数存在する。ルシファー達だって、無事では済まないだろう。
このメンツでこの場所にまたこうして集まれる可能性はそこまで高くないんだ。不可能だとは言わないが、可能とも言い切れないのが現実。
だが、それは皆承知の上でここに立っている。
ルシファー、頼むからしんみりする事だけは言うなよ。あと、死亡フラグも駄目な?死亡フラグを立てられると、俺が不安でしょうがないからさ。
なんて内心おふざけに走る俺の心情を見抜いてか、ルシファーは迷いを振り払うように頭を振る。どこか不安そうだった柘榴の瞳に暖かな光が戻ってきた。
「ここであれこれ語るつもりは無い。でも、これだけは言わせて欲しい────────────私を信じてここまで付いてきてくれて、本当にありがとう」
パッと花が咲いたみたいにルシファーは幸せそうに微笑んだ。その笑みは今まで見てきたどの笑顔よりも綺麗で····美しかった。
ルシファーのこの言葉はどちらかと言うと、ベルゼ達幹部メンバーに向けたもの。でも、何でだろうなぁ····自分の事じゃないのに凄く嬉しい。こう····胸がポッと暖かくなる感じだ。陽だまりに居るような暖かさが俺の胸にじんわりと広がる。
ベルゼ、マモン、アスモ····良い主を持ったな。
俺のすぐ側で涙ぐむ彼らを見つめ、俺はクスリと笑みを漏らす。
今まで辛いことも苦しいことも共に耐え抜いてきた主に言われる『ありがとう』は相当グッと来ただろう。あの感情に疎いマモンの涙腺を刺激するくらいには。
おいおい。お前ら、そんなんで大丈夫かよ。俺達はこれから敵陣に乗り込むんだぞ?涙なんてさっさと吹いて、シャキッとしろ。シャキッと。
「ううぅぅううう!魔王様、今それは反則ですよぉぉぉおおお!!」
「私達の涙腺を崩壊させる気ですかぁぁぁあ!?」
「ふぇぇえええん!!ルシファーの癖に生意気だぁぁぁああ!!」
「あはははっ!ごめんごめん。でも、今言っておかなきゃと思ってね」
───────────死ぬかもしれないから。
とは言わずにルシファーは言葉を呑み込む。
よく見ればルシファーの柘榴の瞳も少し潤んでいた。
ここで『死ぬかもしれない』なんて言えば、ルシファーも耐え切れずに泣いちまうな。ルシファーって、意外と泣き虫っぽいし。
ニマニマとルシファーの潤んだ目を見ていると、俺の視線に気付いた銀髪の美丈夫が困ったように笑った。
泣きそうなのがバレて、少し恥ずかしいらしい。
めちゃくちゃ弄り倒したいけど、どうやら時間切れのようだ。
魔法構築と魔力注入が終わった魔法陣は溢れんばかりの魔力で満ち溢れ、淡い光を徐々に強めた。
「諸君、時間切れだ。またここで会おう。
必ず──────────」
ルシファーの言葉を最後まで聞き取ることは出来なかった。言葉を言い終える前に転移魔法が発動してしまったのだ。
俺は眩い光から目を守るように瞼を下ろし、ルシファーが最後放った言葉を思い浮かべる。
何となくだけど分かる。恐らく、ルシファーが最後に放った言葉は───────────『必ず生きて帰って来い!!』だ。




