第63話『戦の始まり』
それから時間はあっという間に過ぎていき、ついに約束の夜になった。魔王城前の広場では魔王軍に所属する半分の勢力が顔を揃えている。皆、ルシファーが必死に作った巨大な魔法陣の上で固く口を閉ざしていた。
緊張のせいか興奮のせいか、この場は静寂が支配している。隣に立つウリエルの呼吸音が聞こえるほど、静かで·····って、は!?ウリエル!?
幹部席に同席している俺の右隣にはベルゼと仲良く手を繋ぐウリエルの姿が····。
ベルゼと同じ銀のプレートに身を包み、紫檀色の長い髪をポニーテールにした幼女は凛とした佇まいで前を見据えていた。
え?はっ····?何でウリエルがここに····?
師匠たるベルゼが何も言わないってことはウリエルがここに居ても問題ないんだろうが、これは····。
そう───────これはまるでウリエルも戦に参戦するみたいではないか。
俺はウリエルを挟んだ向こう側に佇むベルゼに小声で話し掛けた。
「おい、ベルゼ····ウリエルも今回の戦いに参加するのか?」
「ん?あ、あぁ····。『やめておけ』と反対はしたんだが、『オトハを守る!』って言って聞かなくてな···。仕方なく連れてきた」
「連れてきたって····ウリエルはまだ子供だろ!?」
「そうだな、ウリエルはまだ子供だ。だが、子供にも戦に参加する権利がある。魔族は基本自由な種族だ。親だろうが上司だろうが、その者の自由を制限する権利はない。ウリエルがオトハのために戦いたいと願うのなら、それを最大限叶えてやるのが保護者の務めだろう」
ベルゼは複雑そうな表情を浮かべ、ウリエルの頭を撫でる。綺麗に整えた髪型を崩さぬよう、丁寧な手つきでウリエルの頭を撫でていた。その撫で方からは優しさが滲み出ている。
色素の薄い茶色がかった瞳からは慈愛と親愛が垣間見えた。
きっと、ベルゼも本音を言えばウリエルを戦へ行かせたくないのだろう。ぽっと出の俺と違い、ベルゼはウリエルが赤子の時から知っている。俺なんかより、ウリエルにかけた時間や愛情は長く深い筈だ。目に入れても痛くないほど可愛がった娘を戦場に出すなど、本当ならしたくないだろう。それでも、ウリエルの意志を尊重したのは彼女の自由を制限したくなかったから。
ウリエルの意志を否定するのではなく、尊重した上で最大限叶えてやる姿勢を見せたベルゼ。それが正解とは言えないが、それもまた一つの愛情なのだと思う。
だから、俺は──────────『それでもウリエルは置いていくべきだ!』と言えなかった。
ベルゼの今にも泣き出しそうな表情を見ても尚、そんな事が言えるほど俺は出来た人間じゃない。
「────────そうか」
ベルゼの意志を否定も肯定もせず、ただ納得するだけ。今の俺にはこれが精一杯だった。
まあ、ウリエルはドラゴンの子供だし、死ぬことは早々ないだろう。ドラゴンに敵う人族など数が限らているからな。
今回の戦いで注意すべき人物は一人。
ロイド・サイラス─────────最強の死霊使いだ。
アスモの話だと、能力自体は他の死霊使いと大差ないが、操れる死体の量が凄まじいらしい。軽く100体の死体は操れるらしい。魔力量も豊富のため、長期戦にも強い。
そのため、パンドラの箱の護衛は兵士の他に彼しか居ないらしい。彼一人居れば事足りるという事だろう。
あと、何より驚いたのがロイド・サイラスの歳だ。アスモが言うには奴の歳は軽く300歳を超えているんだとか····。数十年ごとに体を交換しているらしく、そのおかげで生き永らえているんだと。毎回見る度、姿は変わるが魔力は全く同じだから間違いないとアスモが豪語していた。
数十年ごとに体を変えて、生き永らえるって····ただの化け物じゃねぇーか。アスモの見解によると、死霊使いの最上位魔法である“霊魂移し”を使って体にの交換を行っているらしい。まあ、早い話が憑依だな。己の体を捨て、他人の体に憑依することで死を免れている。死霊使いが死を恐れるなんて、面白い話だ。
だが、まあ····奴は長く生きている分、他の人族よりレベルが高い。ついでに戦闘経験も豊富だ。油断ならない敵である。
もちろん、他の敵にも油断や隙を見せてはいけないが、ロイド・サイラスは特に危険な人物だ。心してかかった方がいい。
戦への想いを新たにしていると、ふいに魔王城の最上階に位置するバルコニーから人影が現れた。この時を待っていたかのように雲で隠れていた月が姿を現す。月明かりに照らし出された、その人物は血にも似たレッドアンバーの瞳を僅かに細めた。
「────────やあ、諸君。よく来てくれたね。気分はどうだい?」
「最高だよ!!魔王様!!」
「俺らは一生あんたについて行くぜぇ!!」
「早く戦争を始めよう!!」
魔法を使ったのか、この広い空間にもよく響くルシファーの声に魔王軍の戦士たちが沸き立つ。思い思いの言葉をルシファーに向かって叫ぶだけの、会話ですらない光景に俺はハッと息を呑んだ。
これから、戦場に向かう戦士とは思えないほど彼らは活き活きとしている。元いた世界で『戦争は悪いもの』『二度としてはいけないもの』と習ったせいか、この光景にどこか疎外感を感じた。『死ぬかもしれない』と言う恐怖に怯えるのは俺ばかりで、他の奴らはちっとも怯えてなんかいない。この世界と己の誇りを守るため、立ち上がる戦士たちは俺が思っていた以上にずっと強かった。
生死のやり取りをする戦争を良いものとは言えないが、誇りをかけて戦う彼らを否定なんか出来なかった。
「ははっ!相変わらず、君達は血の気が多いな。まあ、嫌いじゃないが····」
大衆の面前に出ようと、飾ることなく気さくに笑うルシファーはバルコニーの上からこちらを見下ろし、薄い唇に緩い弧を描く。爛々と輝く、紅蓮の瞳はただ凛としていた。
「さて、余興はここら辺にして─────────諸君、我々の宝を取り戻すための戦争を始めようか」
いつもと変わらない口調、声、声量····なのにこんなにも力強く、胸に響くのは何故だろうか?心を大きく揺さぶるものではなく、ただただ胸に響く言葉と声。きっと、ルシファーの声だから·····ルシファーの言葉だから、こんなにも胸に響くんだ。
一瞬、静寂にも似た沈黙が降りる────────が、数秒後にはすぐ耳を劈くような雄叫びがこの場を支配した。
「うおおぉぉぉおおおおお!!」
「ふぉぉぉおおおおおお!!」
「アオォォォオオン!!」
多種多様な種族が存在する魔王軍では様々な雄叫びと叫び声が木霊した。彼らの興奮を代弁するかのように長く続く雄叫び。抑え切れない何かを彼らは声に変えて、必死に発散していた。
──────────さあ、もうすぐ戦が始まる。
「諸君、間もなく転移陣が発動される。覚悟のない者は今すぐ陣の上から退くが良い!」
「誰が退くか!!」
「俺たちはずっとこの時を待っていたんだ!!」
「死んでも後悔はしないぜ!!」
ルシファーの煽りに更に興奮し、沸き立つ戦士たち。拳を天高く突き上げ、ルシファーの言葉に否を唱えた。
彼らはきっと俺なんかより、ずっと前から腹を括ってんだ。この世界を救う決意をし、死ぬ覚悟を長い時をかけて固めてきた。その覚悟はきっと俺の覚悟なんかより、ずっと強固で絶対的なものだ。
ルシファーは死ぬ覚悟を固めた同族にどこか悲しそうな····いや、寂しそうな表情を浮かべ、静かに目を伏せる。戦に参加出来ない自分を無力だと嘆いているのか、死を覚悟する同族に歯痒さを感じているのか····それはルシファーにしか分からないが、辛そうな表情をしていたのは確かだ。
ルシファーは伏せた瞳をゆっくりとスローモーションのように開くと、その柘榴の瞳に俺を映し出す。が、すぐにまた真っ直ぐ前を見すえた。
「─────────さあ、幕は上がった!お前達の手でその幕を下ろしてこい!!」
ルシファーはそう声高々に言ってのけると、スッと右手を上げた。選手宣誓のようにピンッと伸ばされた腕。
───────────それが全ての合図だった。
俺達の足元に描かれた巨大な魔法陣が眩い光を放ち始める。これは魔法が発動する前の兆候だ。
このとき、俺の目に最後に映ったのは──────────その場で泣き崩れるルシファーの姿だった。




