第20話『迷いの霧』
ウリエルには帰る場所があると判明し、これからの方針が定まってきた。道案内はビアンカに任せれば良いとして、あと聞かなきゃいけないのは····何故ここにウリエルが居るのか、だな。ウリエルの口振りからして、その保護者に見捨てられた訳ではないだろう。自分から来たとも考えにくい。
見た目こそ5歳かそこらの幼女にしか見えないが、ウリエルは少なくても30歳以上は年をとっている。つまり、短慮を起こすほどの幼い子供じゃないってことだ。保護者が居なくても自分できちんと考え、選択出来るウリエルが興味本位で人族の領土内に来たとは思えない····。
と、なると──────ここで疑問が浮上する。
“何故”もしくは“どうして”ウリエルは人族の領土内に居るのか。その理由や経緯を聞かなくてはなるまい。
「ウリエル、差し支えなければ教えて欲しいんだが····何でお前はここに居るんだ?人族の領土内に居るのは何か理由があるのか?」
俺の素朴な疑問にウリエルはまた考え込む素振りを見せる。適切な言葉を探すように視線をさ迷わせた。
相変わらず、眉間に深い皺が刻まれているが···。ついでに口は八の字に曲がってるし····。
ウリエルは何か考え事をする際、顔が怖くなってしまうらしい。見慣れれば、どうって事ないが初めて見る奴は戸惑うだろうな。
半笑いを浮かべながら、ウリエルの返事をゆったり待つ。
そろそろ、腕が辛くなってきた····。子供とは言え、誰かを一時間以上も抱っこするなんて、今まで無かったからな。帰宅部の俺の筋力では色々と限界が···。
『なよなよですね』
うるせぇ!!んなのは俺自身が一番分かってるわ!
何故か毎回俺にトドメを刺してくる天使に心の中で怒鳴り散らしつつ、ウリエルを抱き直す。
筋力がないのもそうだが、長時間子供を抱っこするのは腕が痺れるな····。ウリエルは子供の中でも特に軽い方に分類される筈なのだが、それでも長時間抱っこし続けるのには限界がある。そう考えると、母親って偉大だよな。ほぼ一日中、赤子を抱っこして家事やら何やらをこなすんだぞ?幾ら赤子が軽いとは言え、それを長時間抱っこし続けるのは辛いだろう。母の偉大さや大切さに初めて気づけた気がする。
『それって、要するに音羽が世の女性達よりも力が弱いってことですよね?』
······ああ、そうだよ!!俺は世の女性達よりも力が弱いよ!!これで満足か!?辛辣天使!
俺の華麗なる逆ギレにビアンカは無言で返す。これ以上、何か言うつもりは無いらしい。
はぁ····何でうちの天使はこんな辛辣なんだよ···。事ある毎に俺をロリコン変態野郎にしたがるし····。
エンジェルナビ改めエンジェルアドバイザーの性能は認めるが、天使の口が悪すぎる····。たまに『本当に天使か?』って疑いたくなるくらいには····。実は悪魔でしたって言われても大して驚かない自信がある。むしろ、『やっぱりか』って納得するだろうし···。
内心ビアンカを馬鹿にしまくる俺の頬にピトッと何かがくっ付く。
ん?なんだ、これ?柔らかくて暖かい何かが···?
「オトハ、聞いてる?」
この一言で完全に意識が現実へと引き戻された俺は慌てて紫結晶の瞳と視線を交えた。宝石のように美しい藤の瞳には不満が見える。きちんと話を聞いていなかった俺に腹を立てているらしい。ぷるっとした桃色の唇を尖らせ、不満を露わにしていた。
不味い····これぽっちも聞いていなかった····。ビアンカとの会話に夢中でウリエルが喋っていることすらも気づかなかったし····。
「悪い····聞いていなかった。もう一回最初からお願い出来るか?」
眉尻を下げ、申し訳なさを露わにする俺に対し、ウリエルはただ静かにコクンと頷いた。そこまで怒っている訳ではないらしい。ウリエルが話の通じる子で助かった。これが俺の家の近くに居たクソ餓鬼どもなら、少なくとも一時間はずっと怒ってるからな。キーキーと猿のように喚き散らす近所のクソ餓鬼どもを思い浮かべ、眉を顰める。が、あの生意気なクソ餓鬼達とももう二度と会えないのかと思うと、少しだけ寂しい気がした。クソ生意気な餓鬼どもだったが、悪い奴らではなかったからな···。
「私、迷いの霧に巻き込まれてここまで来たの···。ここに来たのは昨日の夜。オトハが私を助けてくれた森のところ····あそこに飛ばされた」
迷いの霧····?それってもしかして、その霧に包まれたらランダムでどこかに飛ばされるとか、そんな感じのものか?
『ええ、そうです。迷いの霧は数年に一度しか起こらない謎の自然現象なのですが、彼女は運悪くそれに巻き込まれてしまったようですね···』
なるほど···数年に一度しか起こらない謎の自然現象か···。天使でも分からないことはあるんだな。この世界でも解けていない謎の現象は多く存在するらしい。
まあ、それはさておき····。
ウリエルはその謎の自然現象である“迷いの霧”に巻き込まれて、人族の領土内に紛れ込んでしまったと···。それはまたなんと言うか····災難だったな。
謎の自然現象である迷いの霧に巻き込まれた上、飛ばされた場所が犬猿の仲である人族の領土内だったなんて····不幸としか言いようがない。ウリエルも俺に負けず劣らず、不幸な奴だな。
飛ばされた場所がせめて魔族の領地内だったなら、まだ色々と手の打ちようがあっただろうに···。人族の領土内なんて、ついていないにも程がある。しかも、大国の王都内だし···。
不幸ここに極まれり、とはよく言ったものだ。
「そうか。大変だったな···。何か変なことはされなかったか?」
「大丈夫。オトハが助けてくれたから、平気」
フルフルと首を左右に振って、『平気』だと言うウリエルは少しだけ無理しているように見える。そう見えるだけで実際は平気なのかもしれないが、どちらにしろ問題がある気がした。あれだけ酷い目に遭いながら、平気だと告げる少女に胸が痛む。
平気じゃないくせに····いや、平気になっちゃいけないのにっ····!!
────────この世界は悔しいくらい滅茶苦茶で····狂おしいくらい残酷だ。
俺は朝日のように勇者ではないし、誰かを救える救世主でもない。圧倒的弱者であり、どうしようも無い偽善者でもある。だから、きっと俺がこんなことを言う資格はないんだと思う····思うんだが····。
─────それでも、これだけは言いたかった。
「ウリエル──────辛い時は辛いって言え。平気なんて言うな。お前ら子供には助けを求める権利がある。無理に背伸びして、大人にならなくていい」
ウリエルは長命なドラゴンからすると、まだまだ子供だ。守られるべき存在である。子供はその国の····いや、この世界の未来だ。未来を作り、担うこの子達に無理に背伸びをさせる必要は無い。のびのびと自分らしく育っていけばいい。
なんて····俺みたいな餓鬼が言ったところで説得力なんてないんだろうけどな。
ウリエルは宝石のように輝く紫色の瞳をこれでもかってくらい大きく見開き、桃色の唇をうっすら開いた。所謂アホ面というやつだ。
まあ、ウリエルの場合なまじ顔が整っているため不細工には見えないが····。むしろ、可愛く見え····。
『ロリコンですね!』
違うわ!!なんでお前はそうやって····!!
俺がウリエルを『可愛い』と思う度にロリコンを連発してくる、この天使を誰かどうにかして欲しい···。
天を仰いだ俺は見えない何かを睨みつけるように空にジト目をお見舞いする。ニヤニヤと意地悪く笑う天使を想像し、眉を顰めた。
ビアンカは絶対天使じゃない。あいつは悪魔だ。
そう結論づけるのに大して時間はかからなかった。




