第19話『ドラゴンの娘』
それから、小一時間ほど泣き続けた少女はやっと落ち着いて来たのか、涙で濡れた頬を無造作に手で拭っている。目元は赤く腫れ上がり、痛々しかった。
かなり腫れてるな。保冷剤···いや、せめて冷たい水とハンカチがあれば冷やしてやれたんだが····。
俺は少女を片手で抱き直すと、目元にそっと優しく触れた。目の下のぷっくりとした部分は若干熱を持っており、林檎のように赤く染っている。後で冷やしてやらないと駄目だな。
「腫れてるな···痛いか?」
紫檀色の長髪少女は俺の問い掛けにフルフルと首を左右に振った。どうやら、痛みはないらしい。腫れているせいで少し目が開けづらそうだが、問題は無さそうだ。
俺は服の袖で涙で濡れた目元を丁寧に拭いてやり、癖毛がちな紫檀色の髪を耳にかけてやる。いつの間にか少女の肩から、ずり落ちたらしい赤ワイン色のマントを拾い上げ、それを少女に渡した。マントを拾う際、身を屈めた時に腰がグキっ!と鳴ってしまったのはここだけの秘密である。あと、20歳老けてたら完全にぎっくり腰になっていた。若いって素晴らしいな。
『その前に音羽は体を鍛えないといけませんね』
それは否定しない。つーか、そのつもりだし。
赤ワイン色のマントをギュッと両手で握る少女を今度は両手で抱き直す。
5歳かそこらの幼女であっても、帰宅部の俺が片手で抱くには少し重い。俺、筋肉なさすぎだろ···。何をどうやったら、こうなるんだよ···。
運動部エースの朝日なら、幼女一人くらい片手で楽々持てたんだろうなぁ····。はぁ····高スペックな陽キャはこれだから····。
『筋肉量に陽キャも陰キャも関係ないと思いますよ』
····否定はしない。
ったく、俺のサポーター要員である天使は毎回痛いところ突いてくるなぁ····。
ビアンカの的確且つ御尤もな意見に若干不貞腐れながら、俺は泣き止んだ少女を真正面から見つめた。泣き止んだばかりの紫結晶の瞳は潤んでいる。
「さて····早速で悪いが、お前の話を聞かせてくれるか?」
泣き止んですぐに事情を聞くなんて忍びないが、彼女の事情や状況を把握しないことにはどうにも出来ない。情報がなければ動くことが出来ないのだ。
俺はまだこの子の名前も知らないからな。知っているのはドラゴンの娘であることくらいだ。それ以外は特に何も知らない。
少女は俺の言葉にコクンと一度頷いた。耳にかけていた紫檀色の長髪がハラリと落ちる。
「じゃあ、まずはそうだな····名前を教えてくれるか?それと種族って、ドラゴンで合ってるか?」
「はい。種族はドラゴンです····名前はウリエルと申します」
ドラゴン族のウリエルか。
にしても、なんと言うか····敬語が板についてるな。5歳かそこらの少女なんだよな?そんな子供が敬語なんて···これもまた異世界では普通なのか?
泣き叫んだせいか若干声が掠れている紫檀色の長髪少女─────改めドラゴンの娘 ウリエルは5歳の子供とは思えないほど、丁寧な言葉遣いを使っている。見た目と言葉遣いのギャップが凄いな、おい···。
『あれ?言いませんでしたっけ?この子────ウリエルは人間の年齢に換算すると5歳くらいってだけで、実年齢はもっと上の筈ですよ。敬語慣れもしてますし、少なくとも30〜50年ほどは生きていると思います』
30〜50年ほど!?おいおい!!俺よりずっと年上じゃねぇーか!!少なくとも俺とウリエルは14歳も年が離れてるってことだろ!?
人は見た目によらないと言うが、これはもう····そういう次元の話じゃねぇーよな?
普通に格好つけて年上ヅラしちまったじゃねぇーかよ!なのに俺の方が年下って····ダサい。ダサすぎる!
確かにドラゴンとかの長命な種族は成長が遅いってのがテンプレだが····そこまで気が回らなかった。普通に外見年齢で判断しちまった····。
己の失態を嘆く···いや、恥ずかしむ俺をウリエルはキョトンとした表情で見つめている。パチパチと瞬きを繰り返す少女に俺は苦笑いを浮かべた。
「ウリエルって、呼んでもいいか?俺のことも音羽でいいから。あぁ、あと敬語は無しな。ああいうのは堅苦しくて好きじゃない」
『堅苦しくて好きじゃない』のでは無く、ただ単に敬語を使われる機会が少なかったため違和感があっただけだ。俺はいつだって見下される側の人間だったからな····。どちらかと言うと、俺の方が敬語を使っていた。だから、こう····今更誰かに敬語を使われるのはむず痒いと言うか、違和感しかないと言うか···。
苦笑いを浮かべる俺に対し、ウリエルは血色の良い唇に弧を描いた。どこか嬉しそうに微笑むウリエルに目を奪われる。
ウリエルって····こんな表情も出来たのか···。
「うん!じゃあ、私もオトハって呼ぶね!」
嬉しそうに弾んだ声は年相応····って、ウリエルは俺より歳上なんだが····。まあ、とりあえず外見年齢相応でどこかほっとしている自分が居た。
ウリエルはやけに大人びた···と言うか、落ち着いた雰囲気を持っていたから、ちょっと不安だったんだ。この子が子供らしく居られる場所が必要だと少し焦っている自分も居た。
だから───────無邪気に笑うウリエルを見て、凄く安心してる。自分でもビックリするくらい、な。
安心したら力が抜けるって、本当だったんだな····。まあ、ウリエルを抱っこしているから力なんて抜けないが···。でも、気持ちは凄く楽になった。
「よし!じゃあ、次は····そうだなぁ····」
何を聞けば良いんだ?
どうして、ウリエルは人族の領土に居るのか?とかか?その前に帰る場所はあるのか否か聞いた方が良いのだろうか?両親の生存の有無も聞かなきゃならないし····思った以上に聞かなきゃいけないことが沢山あるな。
これ、全部質問してたら日が暮れるんじゃ···。
気が遠くなるような質問の量に半笑いを浮かべ、頭の中にある質問を整理していく。
そうだなぁ····まず、確認しなきゃいけないのはやっぱり····。
「帰る場所はあるのか?ウリエル。帰る場所があるなら、その事についても教えてくれ。例えば両親が家で自分の帰りを待ってる、とか···」
やはり、まずはこの質問からだろう。
帰る場所があるのか、自分の帰りを待っている人は居るのか····ここが最も重要な質問と言ってもいい。この質問の返答次第で、今後の活動が180度変わってくるしな。
ウリエルは俺の質問の意味を噛み砕くように顎に手を当てて考え込むと、眉間に深い皺を作る。考え込む時、眉間に皺が出来るのは癖か何かか?
親指の腹で下顎を撫でるウリエルは眉間の皺を更に深める。
どう答えるべきか思い悩んでいるらしい。
ウリエルって、顔に出るよな。俺的には分かりやすくて助かるけど····。
そして、ウリエルは長い長い長考の末やっと口を開いた。どこか迷うような素振りを見せるが、覚悟を決めたように俺の目をしっかり見つめ返してくる。
「帰る場所はある····でも、親は居ない」
「じゃあ、保護者は居ないのか?」
「保護者···かは分からないけど、面倒を見てくれる人は居る。その人の居る場所が私の帰る場所···かな?」
なるほど····親は居ないが、面倒を見てくれる保護者代わりの奴は居るのか。で、そいつの居る場所がウリエルの帰る場所だと····。
大体事情は呑み込めた。
帰る場所があるなら、話は早いな。そこへウリエルを送り届けるだけだ。『帰る場所がない』と言われたら色々と考えなければならなかったが、帰る場所があるなら難しく考える必要は無いだろう。
ふぅ····とりあえず、ウリエルが孤児とかじゃなくて良かった。




