第100話『若林音羽という人間は』
それから、ルシファーと共に魔王城へ無事帰還した俺は先に帰還していた幹部メンバーと顔を合わせていた。
「へぇー!そんなことがあったんだー!」
「何はともあれ、二人とも無事で何よりだ」
「なかなかスリリングな戦いしてたのねぇ····?」
「だから、あんなに大切そうにウリエルを抱き締めていたんだね」
結果報告という事で、俺はルシファー達に事の顛末を事細かに説明した。事後現場に居合わせたルシファーは納得したように何度もうんうんと頷く。
ベルゼに関しては明らかにホッとしており、すぐ近くのソファに眠るウリエルを柔らかい表情で見つめていた。
「我々はこれから報告会議を開いて、今後の方針を立てようと思うが····オトハくんはどうする?会議に参加するかい?」
執務室のデスクに腰掛けるルシファーは机の上に肘を着いた状態でこちらを見つめる。レッドアンバーの瞳は優しげに細められており、『参加しなくてもいいよ』と言っていた。
報告会議、か····。特に俺が参加する意味ないよな?それ。
俺はもう既に報告を終えているし、会議であれこれ意見出来るほど偉くもなければ賢くもない。一応この世界を救った英雄として会議への参加権は認められているが、俺みたいな餓鬼が今後の方針を決める会議で役に立つとは思えなかった。
俺は会議への参加の有無を尋ねる質問にフルフルと首を振る。
「俺はウリエルを連れて部屋に戻る。ウリエルが目覚めたとき、色々説明しないといけねぇーし。何より、俺がウリエルの側に居たいんだ····」
大切なものを失う恐怖を体験したからこそ、今はウリエルの側を離れたくなかった。自分の守れる範囲内に愛しい少女を置いておきたかったのだ。
ここは魔王城で、ウリエルの命を脅かす存在など居ないというのに····どうしても離れたくない。少しでも目を離したら消えてしまいそうで怖い。
一度俺の目の前で死んだ少女はとても脆く儚い存在に思えた。
可笑しいよな····ウリエルはドラゴンの娘で、俺よりずっと強い筈なのに····。
そう頭では理解していても脳にチラつく赤、朱、紅·····。
吹き出した赤、水溜まりと化した朱、服を染める紅····あのウリエルが殺された光景が脳裏にこびり付いて離れないんだ。
そんな俺の弱々しい本音と不安に駆られる気持ちを察したのか、ルシファー達は余計なことは言わずにただ頷く。
「そうだね。オトハくんにはウリエルと一緒に居てもらった方が良いかもしれない。ベルゼは報告会議や戦争の事後処理で暫くウリエルと一緒に居られないだろうし」
「ウリエルちゃんの精神ケアはオトハに任せた方が良いわね」
「状況説明も直接関係のあるオトハがやった方が何かと便利だしねー」
「私が仕事で一緒に居られない分、ウリエルと一緒に居てやってくれ」
俺はそれぞれの言葉に大きく頷くと、ソファで眠るウリエルをそっと抱き上げた。ルシファー達に軽く会釈して、執務室を後にする。
──────────腕の中でスヤスヤと眠る少女はまだ目を覚まさない。
◆◇◆◇
ウリエルを連れて自室に戻った俺はウリエルをベッドに寝かせ、自分はベッド近くの椅子に腰掛けていた。
スヤスヤと気持ち良さそうに眠るウリエルの寝顔は何度見ても飽きない。
でも····もうそろそろ目を覚ましてくれ。眠っているウリエルも可愛いと思うが、いい加減目を覚まして欲しい。眠っているウリエルを見ていると、本当に生きているのか不安になるんだ····。もしかしたら、このまま一生目を覚まさないんじゃないかって····。
「ウリエル·····」
俺はキングサイズのベッドに体を沈める少女の手を取り、ギュッと両手で握り締める。陽だまりのような暖かさが持つウリエルの小さな手はほんの少しだけ俺を安心させてくれた。
俺は白くて小さい少女の手を親指の腹で優しく撫でながら、眠り続ける紫檀色の長髪幼女に今まで言えなかった胸の内を語る。
「なあ、ウリエル·····俺、お前に伝えたいことがあるんだ。本当は伝えるつもりなんて無かったんだけど····ウリエルが死んだとき、守れなかった怒りと共に“伝えなかった”後悔が押し寄せて来た」
自分が先に死ぬ分には良い。でも、ウリエルが自分より先に死ぬ事だけは許容出来なかった。そして、ウリエルが一度死んだとき─────────伝えなかった後悔が俺を襲った。
先に逝ってしまう者と取り残される者····たったそれだけの違いなのにこんなにも違うなんて·····。
そして、俺は気付かされた。
生きる時間が違うから伝えないのでは無く、生きる時間が違うからこそ気持ちを伝えるべきのだ───────────後悔しないように。
ウリエルが死んだとき感じた後悔は言葉では言い表せないほどの絶望を俺に与えた。
もう二度とあんな思いはしたくない·····!!だから····!!ちゃんと伝えたいんだ!!
──────────俺がウリエルを愛してることを。
「だから、早く目を覚ましてくれ·····!!」
俺はウリエルの手をギュッと握り締め、零れそうになる涙を目を瞑ることで必死に我慢した。喉に熱い何かがせり上がってくる。
くそっ····!!この数時間の間にすっかり涙脆くなっちまった!!
ウリエルが一度死んでしまった影響のせいか、涙腺が緩みやすくなっていた。目尻に浮かぶ涙を必死に堪えながら、少女の小さな手を握り締める。
すると───────────ピクッと小さな手が反応を示した。
「──────────オ、トハ····」
酷く掠れた声だった。
でも、俺はその声が誰のものなのか直ぐに判断出来る。だって、その声は───────────愛する少女のものだから。愛する者の声を聞き間違えるなど、絶対に有り得ない。
俺は顔に皺が出来るほど強く瞑っていた目を開け、その黒目に最愛の少女を映し出した。ベッドに身を沈める紫檀色の長髪幼女がこちらを見つめている。紫結晶の瞳とバッチリ目が合った。
ウリ、エル·····目が覚めたのか····?
まだ本調子ではないのか少し怠そうにしているが、そこに居るのは確かにウリエルだ。俺の事を気遣うように柔らかく微笑み、微力ながら俺の手を握り返している。
たったそれだけの事なのに嬉しくてしょうがない。
「ウリ、エル····ウリエル!!目が覚めたのか!!どこか痛いところとかあるか!?」
「大丈夫だよ。まだちょっと体が怠いけど、平気。それより、戦争はどうなっ·····わわっ!?」
俺は衝動に駆られるまま、グイッとウリエルの手を引き寄せ、幼い少女を腕の中に閉じ込める。傍から見れば俺は幼女にセクハラする変態犯罪者だが、今はそんな事どうでも良かった。
──────────ただ今はウリエルを抱き締めていたかった。
小さな悲鳴を上げつつも、抵抗はしないウリエル。それどころか、俺の背中に腕を回す始末。癖毛に埋もれた耳が若干赤く染まっていた。
これって····もう確信っつーか、言うしかないやつだよな。今を逃したら、多分····もう言えない気がする。勇気と勢いがある今のうちに言っておかないと···。
ヘタレでチキンな俺が素直な気持ちを伝えられる時なんて、そうそうない。このチャンスを逃したら、もう一生言えない気がした。
俺はウリエルの小さな体を抱き込みながら、気持ちを落ち着かせるため『ふぅー····』と息を吐き出す。少し頬が熱いが、今はそれどころじゃなかった。
本当はもっとムードのあるところでした方が良かったんだろうけど····あいにく恋愛経験皆無の俺にそれはハードルが高い。だから、どうか····ムード云々に関しては見逃して欲しい。
俺は逸る鼓動を必死に宥めながら、少しウリエルと体を離し、愛する少女と顔を見合せた。
紫檀色の長髪幼女は照れくさそうに頬を赤らめながら、こちらを見上げている。恐らく、俺もウリエルと同じくらい真っ赤になっていることだろう。
俺はしばらくウリエルと見つめ合うと───────────勇気を振り絞ってこの気持ちを言葉にした。
「ウリエル────────────心の底から愛してる。どうか、俺と結婚を前提に付き合って欲しい」
余計な言葉は挟まず、要点だけを述べたシンプルな告白セリフ。言いたい事や伝えたい事はもっと沢山あるが、根暗陰キャの俺にはこれが限界だった。
やべぇ·····本当に告白しちまった!!これで振られたら、どうしよう!?振られたら、俺ショックでしばらく寝込むぞ!?むしろ、自殺するぞ!?
なんて大パニックを引き起こす俺だったが、俺の不安を取り除くように紫檀色の長髪幼女がニッコリ微笑んだ。照れくさそうに····でも、嬉しそうに『えへへっ』と笑うウリエル。その笑みは俺の心臓をギュッと鷲掴みにした。
っ·····!!可愛い·····!!めっちゃ可愛いんだが·····!?
「へへっ!オトハに告白されちゃった····えへへっ!」
屈託のない笑顔で俺の告白を受け止めるウリエル。言葉にしなくても、ウリエルの返事はもう分かっていた。
それでも言葉が欲しいと思うのは····俺の勝手だろうか?
そんな俺の心情を察したのか、紫檀色の長髪幼女はパシッと俺の手を取り、その手を自身の頬に当てる。熱を持った柔らかい頬はマシュマロのようだった。
「あのね、オトハ──────────私もオトハの事が大好きだよ。だから、その·····こちらこそ、宜しくお願いします!」
俺の手に頬っぺたを擦りつけながら、幸せそうに微笑むウリエルは本当に天使のようだった。
俺の欲しい言葉をくれたウリエルを前に、俺はだらしなく頬を緩める。顔を引き締めようにも、あまりにも嬉し過ぎてそれが出来なかった。
あー·····駄目だ。めっちゃ幸せ。俺、明日死ぬかもしれない。
俺はウリエルの小さな肩に顔を埋め、緩みきった表情を隠す。ふわりと香る優しい花の香りに酔いしれた。
これから先、価値観の違いや生きる時間の違いで色々悩むと思う。苦しむと思う。
それでも俺はウリエルと一緒に居たいと思った。この気持ちは一生変わらない。ウリエルに気持ちを伝えたことも後悔しない。
だって─────────────今の俺はこんなにも幸せなんだから。
俺はこの幸せを噛み締めるようにウリエルの体をただギュッと抱き締めた。
好きな子と両想い。そんなありふれた日常の1ページ。どこにでもあって、ここにしかない物語。
俺───────────若林音羽はここら辺で普通の青年に戻ろうと思う。
英雄でも救世主でもない、ただの若林音羽に。
───────────じゃーな、英雄だった俺!
英雄だった自分との決別を果たした俺はただの若林音羽として、この少女を生涯愛すると誓った。
───────────ウリエル、愛してる。これから先もずっと。
『無職が最強の万能職でした!?〜俺のスローライフはどこ行った!?〜』はこれにて、完結です。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。




