第88話 私の中にある感情
「一つだけ感想をいいかな?」
迎賓室に移ったルドルフさまが開口一番に言った言葉がそれだった。
私はやっぱり来たかと半ば達観した気持ちで聞いていた。
ルドルフさまにはやはり嘘はつけないのだ。特に、音楽の事では。
「始めの歌と演奏は素晴らしかったよ、とてもね。だけど……」
「申し訳ありません。私側の理由でルドルフさまにふがいない歌を聴かせてしまい……」
私とグラジオスの間には断絶がある。
多分、私が一方的に作っている断絶が。
それが迷いを生み、私の歌声から勢いが失われていたのだ。
私自身がそれを一番感じていた。
「グラジオス殿とずいぶん仲が悪くなって……。いや、距離が開いた感じかな? しかもキララが避けている」
どう? と、まるでクイズをやっている様に無邪気な様子でルドルフさまが聞いてくる。
ルドルフさまにとっては興味深い出来事なのかもしれないが、私にとってはあまり気軽に踏み込んでほしくない話題であった。
「ん……。キララは今少し不機嫌になったね」
唐突に、ルドルフさまはそのサファイアブルーの瞳を輝かせて私の目を覗き込んで来た。
しかも言っている事はまさにその通りで、私は自分の心を覗き込まれてしまった様な気分になってしまう。
慌てて表情に出ているのではないだろうかと自分の顔を手で探ったのだが……。
「違うよ、今の感情は顔に出ていないよ。私は何となく相手の心を読むのが得意なんだ」
「それは……その、凄い特技をお持ちですね」
考えてみれば、ルドルフさまはその実力だけで様々な権謀術数渦巻く物事の裏側を生き抜き、地位を上り詰めた人なのだ。そのぐらい出来て当然なのかもしれなかった。
「そうやって相手の望む事を理解すれば、大抵の事は思いのままに出来るからね」
ルドルフさまはそう断言すると、私の目を覗き込むのを止めてソファーに体を預ける。同時にキララもと勧められ、私はルドルフさまの正面に備え付けられた椅子へと腰を下ろした。
「……凄いですね」
同時に、ルドルフさまの事が少しだけ怖かった。
そういう感情も見抜かれているのかもしれないけれど、ルドルフさまはまったく気にしていないように見える。
畏怖されるのは慣れているといったところか。
「凄くは無いよ。言ったじゃないか、大抵の事はって。私にだってどうしようもない事はある」
「どんなことでしょうか」
私の言葉にルドルフさまはいたずらっぽく笑うと、まっすぐ私の目を見た。
そして、
「目の前に居る魅力的な女性を手に入れる事、かな」
なんて言ってくる。
私はまたぞろからかいかと思ってため息混じりに断ろうとしたのだが……。
「私は本当にキララの事に興味があるんだ」
「そんな、私はこんな子どもみたいな容姿ですし、ただの平民ですし……」
「私の手を何度もすり抜けて置いてただの、なんて言わないでくれないかな?」
ルドルフさまは絶対に逃がさないとばかりに執拗に追い詰めてくる。
私はなんとかしてはぐらかそうとしたのだが、全て失敗に終わってしまった。
私は椅子に座ったまま、少しだけ体を後ろにずらす。ほんの少しでもルドルフさまから離れるために。
「キララ、私は君が欲しい。だから……」
続く言葉は私が心から望んでいる事で。私はルドルフさまが本当に全てを見通しているのだと、はっきり理解した。
「私は君を愛さない。君の歌だけを愛するよ」
「……何……を……」
私は思わず愕然としてしまった。
ほとんど会話もしていないというのに、ルドルフさまによって私の心は丸裸にされ、底の底までさらけ出されてしまう。
私の口の中は緊張でからからに乾き、呼吸は浅く、額には汗が浮かんでいた。
「キララは怖いんだよね。人に愛される事が。誰かの心を踏みにじってしまう事が」
そうだ。私がグラジオスを遠ざけた一番の理由はそれだ。
エマがグラジオスを好きだから。
シャムがグラジオスを好きだから。
異世界に帰ってしまうかもしれないからなんてもっともらしい理由なんて……こっちの理由を隠すための言い訳だ。
私はエマに、この世界で出来た初めての親友に嫌われたくなかった。
友達になったばかりのシャムから軽蔑されたくなかった。
私は友達と争いたくなかった。
友達に昏い感情を向けたくなかった。
だから嘘をついて本心を隠して、エマを応援して……早く二人がくっ付いてしまえばいいと思った。
そうしたら――。
「どうかな、私の元に来ないかい?」
私が諦められるから。
諦めるための理由になるから。
「…………」
「私は君の望む通りの私になろう」
それは私にとってとても都合のいい言葉だ。
とても甘い誘惑。
先ほどルドルフさまは言っていたではないか。相手の心を読めると。望むものを理解できると。
「キララ。私は自慢じゃないが顔がいい。色んな女性から言い寄られる。そんな私が、君みたいな子どもを好きになると思うかい?」
ルドルフさまが本心でどう思っているか、私は知らない。知りようがない。
ルドルフさまの言葉を信じるしかない。でもルドルフさまは、恐らく私の望む通りのルドルフさまを演じ続けてくれるだろう。
それが私の望むことだと分かってくれているから。
「それにそもそも私は誰も選ばない。見ていて分かっただろう? 私に特別は居ないんだ。安心してくれ」
ああ、ダメだ。
本当に、ダメだ。
私はその言葉を……言葉に安心してしまって……。
「君の歌だけが好きだよ。君は私のところで歌の事だけ考えて居ればいい。そのほかの余分な感情で思い悩むことはない」
「それは……」
まるで催眠術の様な柔らかく響くルドルフさまの声に、私は心をゆだねていく。
ルドルフさまは適確に私の欲しい言葉を囁いてくれる。
もう何も考えたくなかった。
嫌な未来を予想して、苦しみたくなかった。
私の中から引き潮のごとく感情という感情が消えていき、心臓が冷えていくのを感じる。
でもそれはむしろ私の望んだことだ。
私はこれで、楽になれるから。
「私の元に来れば、君は君にとって大切な物を、君の手で傷つけなくて済むんだよ」
「……はい」
だから私は選択する。
「私の元に、来てくれるね?」
考えないという選択を、私は選んだ。
読んでくださってありがとうございます




