第85話 好きな事はなんですか?
ようやく涙が引いて来たシャムを椅子に座らせ、正面から向き合う。
シャムはまだ小さくしゃくりあげていたものの、その瞳には冷静さが戻ってきている。
多分話し合う事もできるのではないだろうか。
「あの、ごめんなさい。ちょっときつく言い過ぎました」
私は率直に謝ったのだが、先ほどの内容だけは撤回しなかった。あれは真実であるし、それをグラジオスの口から言われてお互い傷つき合うのは決して望むところではないだろう。
実際、それを分かってくれているのか、シャムはゆっくりと――年齢の割にはいささか子供っぽい挙動で――頷いてくれる。
「それで、その……教師に向いている人を紹介いたしますので……」
その提案は、意外な事に拒絶されてしまった。何故かと問いかければ……。
「キララ、さまの……お、仰る事は分かります……。で、ですが……」
嗚咽混じりで聞き取りにくいシャムの言葉を根気よく聞いた結果、私の言う事は正しいが、それだと自分とグラジオスとの間に共に出来る事が無くなってしまう。つながりが何一つ無い、という事を言いたかったようである。
「お、おふ……たか、たは、殿下ととても、強い繋がりを……お持ちです…の……」
つまり今までグイグイ行っていたのも、一種の焦りから来るものだったというわけだ。
今まで私がシャムに抱いていたイメージがバラバラと崩壊していくのを感じた。
「あ~えっとですね、シャムさん」
私は心底困り果てながら説得というか誤解を解く。
「一緒に歌ってそういう仲の良さに繋がるなら、エマとグラジオスはもう結婚してますし、私はハイネと結婚してますって……」
姉御姉御と私を慕ってくれるハイネの事はかなり可愛がっているが、決してそういう目で見てはいない。というかぶっちゃけハイネは私のタイプじゃないのだ。そういう関係になるとか考えたこともない。
「恋愛と歌……というか趣味は別です。同じ趣味だと確かに親しくはなるでしょうが、だからといって相手に惚れるわけじゃありませんよ」
「ですが……」
「シャムさんは自分の好きな事や自分の魅力を磨いて、それでグラジオスを惚れさせればいいんですよ」
あ~、私何やってんだろ。エマを応援してるのに、シャムさんまで援護して……。
グラジオスは王族には珍しく、後宮を廃した上にたった一人とって言ってたからこれじゃあ喧嘩になっちゃう。
……いや、これはきちんとしないグラジオスが悪い! そうだ、後で罰として巫女巫女ナースでも歌わせよ。
「そうですよ。後ろから追うだけの女性は殿下の好みじゃありませんっ」
エマ……なんかすっごい実感が籠ってるね。その後ろから追うだけの女性って自分の事だよね?
引っ込み思案で、私はいいんですぅ~なんて言ってすぐに遠慮しちゃうエマの事だよね。分かってるならもっと攻めようよ。
とりあえず心の中でエマに突っ込んでおいたあと、私はシャムへと向き直った。
「えっと……今までいろんな事をやってきたんですよね? その中から自分のやりたいことを考えてみるっていうのはどうでしょう」
「自分のやりたい事……」
シャムはその言葉を受けて黙り込んでしまった。ただ、その沈黙は言葉を失って黙り込むような類のものではなく、真剣に悩み、自分の可能性を模索するためのものだ。
シャムの心が上向きになったことで、私は少しだけホッとしていた。
しばし待つこと三分。私はそろそろ聞いてあげた方が良いのかな~なんて思い始めていたのだが……。
「……絵」
「はい?」
ぽつりとシャムが呟いた。
その内容が何のことか分からなかったのだが、シャム自身に描く絵の事だと補足説明してもらってようやく飲み込める。
「特にその……で、殿下の絵を……描くのが好き、ですの……」
……それはグラジオスが好きなんだろうか、絵を描くのが好きなんだろうか。
とりあえず見てみない事には何とも言えないけど。
「絵を描く道具は持ってきてますよね?」
「はい、お部屋の方に……」
「じゃあ絵を描きましょう、そうしましょう」
私は即決するとシャムの手を取って引っ張り上げる。
「は、はい?」
「モデルはグラジオスでいいですよね」
「はい? はい~~?」
トントン拍子に進んでいく事態にシャムは着いて行けず、グルグルと目を回している。
だが私はそんな事お構いなしにシャムの腕を引っ張り、彼女の寝泊まりしている客間へと急いだのだった。
執務室ではグラジオスが多少不機嫌そうな顔で書類を呼んではサインを書くといった作業を続けていたのだが……。
「……何をしている」
「あ、お構いなく~」
執務室の端っこに椅子を置き、そこにチョコンと座ったシャムが木炭片手にカンバスとグラジオスを交互に見ながら一生懸命自らの内の中にある何かを描き込んでいた。
「はい、パンをお持ちしました」
「ありがとうございます。そちらに置いておいていただけますか?」
消しゴム代わりのパンを持ってきたエマには目もくれず、シャムは一心不乱に木炭を動かし続けている。
じっとグラジオスを見てはちょっと描き、気に入らなければパンを軽く押し付けて線を消しては新たな線を描く。
その瞳は本当に真剣そのものだった。
「……大丈夫でしょうか」
「なんじゃない?」
こっそり話しかけて来たエマに、私は頷き返す。
シャムの部屋へ行った時に見せてもらったのだが、彼女は色々な絵を描いていたのだ。
子供の頃の記憶を頼りに想像したグラジオス。演奏するグラジオスを遠目に眺めて描いたと思しきグラジオス。売られている絵姿を真似して描いたグラジオス。ここに来て実際に自分の目で見て描いた(だいぶ美化されてる気がする)グラジオス。
様々なグラジオスの絵を、シャムは描いていた。
絵とグラジオスのどっちが好きなのかと問われれば、どっちもじゃないかなとしか答えようがないだろう。
ただ、描かれているグラジオスを見て私は感じたのだ。
そこにある、確かな情熱を。
だから私は……。
「なあ、そうされると非常に気になるのだが……」
「はい黙る。黙って仕事する。手を動かす。こっち見るな」
「き、雲母さん、さすがにそれは殿下が可哀そうではないでしょうか……」
さっきからチラチラとこっちを気にしているグラジオスを一喝して黙らせ、ついでにエマの陳情も無視しておく。
大体、先ほどからシャムがずっと自分の世界に没入しているのだから周りがやいのやいのと言うべきではないのだ。
私達に出来る事はじっと見守る事だけなのだから。
「じゃ、仕事頑張ってねグラジオス」
「おい」
グラジオスの抗議を無視して私達は執務室を後にしたのだった。
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