第80話 孤独は死に至る病
「あわわわわわ……」
「あ、姉御……兄貴……」
なんだか辺りが騒がしくて、私の意識が引き戻される。
何故か、体の節々が痛くて……ついでに温かくて何かふにふにしている変な感触の布団に寝ている様だった。
「ん~も~何ぃ?」
寝ぼけ眼で起き上がると周囲を見回す。
なんて事の無い普通の……まあ王宮の中ではかなり貧相な部屋の壁が目に入る。
そして……。
「おふ、おふたりは……わわわわわ……」
「す、すいやせんっす。自分、気が利かず……」
青い顔で私を見ているエマとハイネの姿があった。
二人は何故か、異常なまでにガタガタと震えているのだが、恐怖に怯えるというよりは、何か猛烈なショックを受けている様で……。
そこまで考えて、私は昨夜の事をようやく思い出した。
私はグラジオスに胸というか膝を貸して、彼を慰めていたのだが……。
最悪な事に、その後の記憶が無かった。そう、私はあろうことか、あのまま寝落ちしてしまったのだ。
私が視線を下げると、そこにはうつ伏せのまま私に抱き着いてすやすや眠るグラジオスの姿があった。
しかも、若干太ももと太ももの間に顔をうずめている。
見ようによっては相当特殊な趣味を持った人たちが、特殊なプレイを楽しんだ感じに見えなくもないだろう。
「わぎゃーーー!! こっこれは違うの!! そんなんじゃないの! ああえっと、グラジオス起きてっ。起きて昨夜あった事を……」
あ、ダメだ。やっぱりこういうのって知られると恥ずかしいんじゃないかな。
で、でも教えないと説明できないし……どうすればいいのぉ~。
えーと、えーっとぉ。いいや、とりあえず起きてもらおう。
そう決めた私は、膝に埋もれているグラジオスの後頭部へとチョップの雨を降らせる。
さすがにズダダダダッとドラムのように後頭部を打ち鳴らされたグラジオスはすぐさま目を覚まし……。
「いみゃーーーっ!!」
手探りで私の足をまさぐった。
寝て居る間中ずっと正座をしていた私の足は、痺れとかそういうのを通り越して麻痺してしまっていたのだが、そんな足を容赦なく揉みしだかれてしまい、痛みというか何かこう、とにかくつらい感覚が起き抜けの脳を直撃したのだ。
「やめてやめてやめてぇ! グラジオスらめぇ! 死んじゃうぅぅ~~!!」
私は悲鳴を上げながらグラジオスの頭を押さえつける。というかあまりの衝撃で両手が強張りグラジオスの頭を強く押し付けてしまう。
それにグラジオスは抗おうとして暴れて私の足を揉んで、そこから更に私がグラジオスの頭を強く押し付けるという悪循環が生まれてしまい……。
それに比例するように誤解も膨れ上がってしまった。
「え、エマさん。自分ら出といた方が……」
「そ、そうですね。あのそのえっと……き、雲母さん、声はもう少し抑えた方が……」
「じ、自分が人を近づけないようにするっす!」
「違うのぉ、違うのぉ。グラジオス起きてぇぇ!!」
「もごっ、もがっ。きっ……やめっ……息がっ」
結局、私が力づくで跳ね除けられるまで続いたのであった。
それから私達は誤解を解いた後みんなで朝食を取り、グラジオスの会議に補佐としてついて行ってみたり、割と重要なポストを与えられて嘆くハイネを笑いながら宥めてみたりとその日一日を忙しく過ごし……日も傾きかけた頃、グラジオスに声をかけられた。
「雲母、少し時間いいか?」
「良いけど……なに?」
聞いてもグラジオスは答えてくれず、白い花とリュートを片手についてくる様に頼むだけだった。
別段断る理由もなかった私は、素直にグラジオスの後をついていくことに決める。
グラジオスは王宮を出ると、庭を突っ切り、敷地の隅へと向かっていく。
周りの風景は段々と寂れたものになっていき、明らかに人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
「ここだ」
グラジオスの短い言葉と共に、私は理解した。ここが寂れていた理由を。
私達の目の前には、最近作られたばかりと思しき墓碑が建てられていた。
刻まれた名は……ヴォルフラム・アルザルド。グラジオスの父親だ。
グラジオスはここへお墓参りをするために来たのだった。
何故私を連れて来たのは未だ分からなかったが。
「少し、待っていてくれ」
グラジオスはそう断ると、一人で葬儀の様な事をやり始める。
「グラジオス。私もするからやり方教えて」
「……分かった」
グラジオスは快く頷くと、この世界の作法を詳しく教えてくれた。
それに従って、私達は一緒に先王へと祈りを捧げたのだった。
「それで、どうして私をここに連れて来たの?」
まあ、グラジオスがリュートを持ってきた時点で大体察しはついていたのだが、一応確認してみる。
「……お前は気が進まないかもしれないが、歌を歌ってほしくてな」
「いいけど……曲は?」
「お前が選んでくれ。父上にふさわしいと思う曲を」
そんな事を言われても、私はあの王の事をあまり知らない。
死んだ人を悪く言うのは気が引けるのだが、カシミールの言葉や実際私がされた事を振り返ってみれば、あまりいい人物であるとは言えない様に思う。
私はしばらく頭を悩ませた末、思いついた曲名をグラジオスに伝えた。
「分かった」
グラジオスは短く頷くと、リュートを爪弾き始める。
その音は静かで、どこか物悲しく、しかし熱い想いが秘められていた。
――深愛――
私はただまっすぐに歌う。
歌に対して愚直に、素直に。純粋な幼子の様な気持ちで。
私はヴォルフラム四世王の事を全く知らない。でも、彼はグラジオスの父親だった。
だから私はこの歌を捧げるのだ。大切な父親への想いを歌った歌を。
嫌われてもなお父を想うグラジオスのために。
聴衆はグラジオスたった一人だ。そして彼は聴衆であると同時に演奏者でもある。
私と共に歌を奏で、捧げつつ、たった一人で歌の想いを受け止めていた。
そんなグラジオスの目元には、どの星よりも早く、一番星が輝いていた。
「ありがとう。雲母は父上に嫌な思い出しかないだろうに」
歌い終わった私に、グラジオスが素直に礼を言ってくれる。
私は、ん、と短く返してそのまま口を閉じておく。
そんな私にグラジオスは自分と父との思い出話を語って聞かせてくれた。
まだ嫌われる前の、優しかったころの父親の思い出を。
私はそれを、時折相槌を打ちながらじっと聞いていた。
「……それでな。雲母に歌ってもらったのは、母上を思い出して欲しかったからなんだ。母上は歌が好きな人だった。父上もそんな母上を心から愛しておられたのだが……」
母は病気によって早逝したのだという。それからグラジオスは母を想って歌を歌うようになり、父はそんなグラジオスを嫌うようになった。
恐らくは母を思い出して辛くなるからではないか。
そう言ってグラジオスは話を終えた。
「……そっか、グラジオスが歌を好きなのってお母さんの影響なんだ」
「始めは母上を思い出せるからだったが、気付いた時には歌が好きという感情の方が先に立っていたな」
そして話が途切れてしまう。
空はすっかり紫紺に包まれ、夜の帳が下り始めている。そろそろ帰らなければ足元が危うくなるだろう。
私はその事を伝えようと口を開き――。
「雲母」
「うん」
グラジオスに先んじて名前を呼ばれ、タイミングを逃してしまった。
でもグラジオスは暗闇の中まっすぐと私の瞳を見つめて、
「…………ありがとう」
再びその言葉を口にする。でもこれは今歌ったことに対してではなく、昨日の事に対してのものだと私の心が理解した。
そして気付く。
グラジオスが暗くなるこの刻を待っていたことを。
これは想像だけど、素直に礼を言うのが恥ずかしかったのかもしれない。
「昨日は、救われた。始めは雲母を疎ましく思っていたんだが……素直に泣けてよかったよ。心から安心したし、本当に楽になった」
グラジオスは私の瞳を見る。暗くなってほとんど見えなくなった私の瞳を。
「ありがとう」
私は闇の向こうで照れ臭そうに笑っているグラジオスの顔を幻視しながら、
「どういたしまして。でもありがとうじゃなくて歌で返せ」
そう言って笑い返したのだった。
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