第71話 前哨戦
私は馬を駆り、ザルバトル公爵の駐屯している場所にまでやって来ていた。
エマはハイネと行き違いにならないように残ってもらっている。
情報が正しければこの方角で合っているはずなのだが……。
「――見つけたっ」
ずっと遠く、ゴマ粒くらいの点がいくつも見える。
恐らくはザルバトル公爵の私設兵だろう。
私は馬の腹に蹴りを入れてその方角へと出来る限りの速さで向かったのだった。
こちらが向こうを見ているとなれば、向こうからもこちらが見えるのは道理である。
私の馬はすぐさま斥候らしき兵士数騎に囲まれてしまった。
「何者だ、名を名乗れ」
「雲母・井伊谷。グラジオス殿下の楽士です」
私がそう名乗った瞬間、兵士達は腹を抱えて笑い出した。
私の顔を知らないのは仕方のない事としても、いきなり笑われるのは心外だ。正直むかっ腹が立つ。
「歌姫様は相当にお美しい女性だと聞いている。お嬢ちゃんは背と年齢が足りないだろ」
「美しい金髪だとも聞いたぞ。お前は黒髪じゃないか。合っているのは異国人という事だけか」
どうやら噂が独り歩きした結果、妖精と言われていたエマの容姿と歌姫が混じってしまったらしい。
確かに歌姫がエマみたいな美人さんだったら映えるけどね! 私みたいなチビガキで悪かったわね!
「ここから先は戦場になる。子どもが来ていい場所じゃないんだ。帰りなさい」
ちょっとだけ優しそうな風貌の兵士がそう声をかけてくれる。だけど……。
アンタも失礼じゃい! 子どもじゃないの! もう18歳!
まあ、色々言いたいことはあったのだが、正直説得するのも面倒だった。
だから私は息を吸い込むと――。
――Dead END――
力の限り歌い出した。
この歌はアニソンではあるが、珍しく日本語ではなく全て英語で歌われている。
だから私とグラジオスはこの歌を翻訳することが出来なかった。
でも今はそれがいいのだ。この世界に存在しない言語で聞いた事もない歌を歌う事が何を意味するのか。
この歌こそ私が私である一番の証拠だ。
私が、歌姫だ。
噂なんかリアルで吹き飛ばしてしまえばいい。
私の歌は何百の言葉を重ねるよりもなお強い説得力を持ち、真実を目の前の兵士たちに突き付けた。
「お客様をお連れ致しました」
兵士に付き添われた私は、ザルバトル公爵の居る天幕の中へと入っていった。
ザルバトル公爵はソファに座ったまま私の方をチラッと見て忌々し気に舌打ちする。
「子どものどこが客だ。つまみ出せ」
――ブチ殺すぞてめえ。
誰が貧相でちっさいガキだこの野郎。こちとら皇帝陛下からも求婚された雲母ちゃんだぞこら。
「……そうおっしゃらずに、私の顔をご覧ください」
私は頬を引きつらせながら持ってきた手ぬぐいで顔を拭き、汚れと変装用の化粧を落としていく。
そして素顔をザルバトル公爵へと晒した。
ザルバトル公爵は胡乱げな視線を私へ向けていたが、やがて気付いたのか目を丸くしていく。
「帝国でお会いしてから二カ月ぶりですね、ザルバトル公爵様。グラジオス殿下の楽士、雲母・井伊谷にございます。本日は急な訪問、謝罪いたします」
私が最後まで名乗っても、ザルバトル公爵は二重顎を震わせて一言も声を発せずにいた。
「というわけでして、グラジオス殿下は明らかに嵌められたのです」
事のあらましを全て聞いたザルバトル公爵は、やはりという感じで深く頷く。
「やはり私の思った通りだ。あのいけ好かない小僧め兄上を弑逆しおったか。何たる奴だ」
ザルバトル公爵は手に持っていた杯を地面に叩きつける。中に入っていた薄い琥珀色の液体が周囲に飛び散り天幕を汚す。
それでも怒りが収まらなかったのか、勢いよく立ち上がると激しい怒声を上げながら杯を何度も何度も踏みつけた。
本当はこれをカシミールに向けてしたいのだろうが、そのカシミールは何千人もの兵士に守られ、石で出来た堅牢な城の中に籠っている。
手の出し様がなかった。
「ザルバトル公爵がグラジオス殿下の為に動いてくださっている事、本当に感謝いたします」
「あやつのためだけではないわっ。自分の息子に殺されるなど、兄上が浮かばれぬっ。まことに……まことに……。兄上……!」
どんな人にでも大切な人は居るし、想ってくれる人が居る。
正直、私はあのヴォルフラム四世王はいけ好かなくて嫌いだったが、弟のザルバトル公爵は本心から慕っていたのだろう。
だからこうして涙を流してまで激怒しているのだ。
市井の人々は権力がどうなどと斜めに見ていたが、本当はもっと単純な感情による判断だったのだ。
私は少しだけザルバトル公爵の事を見る目が変わていくのを感じた。
しばらくの間ザルバトル公爵は杯に鬱憤を叩きつけていたが、散々暴れて冷静になって来たのだろう。足を杯の上からどかし、ソファに全体重を預ける。
そのまま片手で両目を覆い、天を仰いだ。
「……歌姫。証言には礼を言おう」
「は、はい」
「だがそれは何の意味もなさん」
それは私も分かっていた。この世界は最高権力者が絶対で、その判断で黒を白に、白を黒にも出来る。
そして今その最高権力の座にもっとも近いのは、カシミールだ。
私がどれだけ騒ごうと意味がない。
グラジオスの従者が主を助けるために嘘を言っているのだと言われて終わりだ。
「ですが、裁判は開かれるのですよね?」
とはいえ筋は通さなければならない。
カシミールはグラジオスの罪を貴族たちの前で証明し、自分こそが正しいのだと形だけでも示さねばならないのだ。
それこそが私の狙いで、最後望みなのだ。
何とかしてICレコーダーを回収できれば、少なくともグラジオスが王位継承権を破棄した事だけは証明できるはず。
そうなればカシミールの主張は完全とは言えないまでも崩れるのだ。
殺した時の様子が録音されていた所でさすがに意味はないだろう。物音だけしても、誰が殺したか分からないのでは証拠能力はない。
「開かれたところでカシミールめは色々と証拠を用意しているだろうよ」
「ですが、もしカシミールの言っている事が決定的におかしい事を証明できるとしたら……」
「もしそんなものがあったとしても無理だ」
ザルバトル公爵はようやく顔から手を退けて私を見る。
その目は、涙を堪えるために強く圧迫したせいで、充血して真っ赤に染まっていた。
「貴様の様な平民には分からぬだろうがな。貴族や王族とはこういうものなのだ」
私は、その瞳に飲まれてしまっていた。
深く昏い闇を称えた深淵の様な瞳は、私の知らない世界を嫌というほど覗いて来たのだろう。
私にはザルバトル公爵の言葉を否定することなど出来なかった。
「だから、力で己を通さねばならんのだ。そういう意味では、カシミールこそ王にふさわしいのかもしれんな」
「そうなのかもしれません。でも私はグラジオスが王様になってほしいです」
私は思い出す。グラジオスの言っていた言葉を。笑顔を。
自らの国民に見せた態度を。
「自分の好きな事が出来る国になればって言ってました。私は歌いたい。私はグラジオスと歌いたい。カシミールの作る国だとそれが出来ません」
きっぱりと言い切った私を見て、ザルバトル公爵は不満そうに鼻を鳴らす。
「貴様はそればかりだな。歌、歌、歌。それにグラジオスを引き込みおって……」
こういう観点はヴォルフラム四世王と似ているんだな、と思う。
「でもグラジオス……殿下は歌で他国から評価を得ていますよ?」
「知っている。この目で見たからな」
自分が評価していない事が世間で評価され、少し納得がいかないといった感じか。
でもそれをうまく呑み込める人が成功していくのだろう。
「……まあ、カシミールの作る国よりはマシだろう。カシミールはちと欲が強すぎる」
ザルバトル公爵はそう言って、グラジオスを認めてくれたのだった。
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