第70話 助けるためにって…どうすればいいのよぅ
私とハイネ、エマとその家族は命からがら王都を脱出した。
だがそのまま国外へと逃げる事も出来ず、エマの家族をオーギュスト伯爵の所領近くまで逃がした後、私とハイネとエマは王都まで引き返し、近くの村にある売春宿の主に大金を払い匿ってもらっていた。
「おひゃようございまふ……」
私は眠い目をこすりこすり二階に用意された自分の部屋から顔を出した。
「おはようったってもう昼だよ」
廊下の調度品を磨いていた女性――この売春宿の女主人、ミランダがこちらを向いて呆れたように呟く。
ミランダは、蓮っ葉な口調が特徴的で、胸元の大きく開いたドレスをいつも素敵に着こなしていて、長く艶やかな黒髪に狐目の姉御肌な女性だ。
「すみません、ミランダさん。寝つけたのが明け方だったもので……」
私の言葉にミランダが噴き出す。
「もう三日目だろ? そろそろ慣れな」
「うぅ、あれに慣れるのは無理ですぅ……」
ここは娼婦の人たちが客を取る売春宿である。当然夜になると、そこら中からいけない声がするのだ。
まだそんな経験どころかまともな恋愛経験すらない私には、かなり刺激が強すぎた。
男の子同士の恋愛だったら耐性あるのに……。
「まったく、おぼこいねぇ」
くぅ、反論できない。
「あ、あの。エマとハイネはどこに……?」
「エマは掃除の手伝い。ハイネはふらっと何処かに出かけたよ。大方情報でも集めに行ったんじゃないかね」
一目で分かる身体的特徴を持つ私と、主に男性に顔が売れ過ぎたエマが外に出るのはリスキーすぎる。
ハイネも同じく有名人のはずなのだが、何故か一度も騒ぎを起こしていないので、何かしらうまくやっているのだろう。
私もアッカマン商会と連絡を取ったりして一応動いているのだが……あまり芳しい結果は得られていなかった。
肝心のオーギュスト伯爵が、国が割れる事を恐れて満足に動けないからだ。
「まったく、情報ならアタシが売ってやるってのにさ」
「下さいっ!」
ハイネには悪いが、情報はいくら持っておいても損はない。
私が手をあげると、ミランダはにやりと笑って指を二本立てた。銀貨な訳があるはずもなく、金貨二枚という意味だろう。
日本円にすれば二十万を軽く上回る額だ。
ちょっと怯んでしまうが、背に腹は代えられない。私は部屋に取って返すと愛用のランドセルの中から金貨を三枚持ってミランダの所に戻った。
「出来ればでいいんです。お客さんたちから積極的にグラジオスの情報を集めてもらえますか?」
金貨を三枚手渡すと、ミランダの眉が跳ね上がった。
「分かっちゃいたけど、金貨がポンと出て来るんだねぇ」
ミランダはしばらく手の中に在る金貨を矯めつ眇めつしていたが、二枚だけ懐に仕舞うと、一枚をぴんっと親指で弾いて返してくる。
私は慌てて金貨を空中で受け取った。
「グラジオス殿下にはこちらも恩があるからね。できれば助かってもらいたいから協力はするさ。情報に対する分だけ貰っとくよ」
「恩、ですか?」
正直、売春宿とグラジオスにどんな関わりがあるのか気になってしまう。
グラジオスもやっぱり男だからこういうのを利用するのだろうか。
「ああ、定期的に梅毒の検査と治療。働けない間は違う事して金を……まあ僅かだけど稼げるって仕組みを作って下さったんだよ」
「へ~」
「最初はめんどくさい事を何やらせるんだいって思ったんだけど、きちんと守っていたら軍内部でウチの事を紹介してくださったみたいでね。それ以来、上客が付く様になったってわけさ」
グラジオス、そんな事もしてたんだ……。
現代日本的な感覚からすると、売春と聞くだけで少し敬遠したくなる。でも歴史的に見れば売春は国の成り立ちと切っても切れない関係なのだ。
それにきちんと手を入れてコントロールしようとしたグラジオスは間違ってなどいないだろう。
「……お礼にいい娘を世話するよって言ったんだよ」
「えっ!?」
私は思わず食いついてしまい……ミランダのしてやったりという顔を見て、自分がはめられたことを知った。
「安心おし。殿下は、自分の立場では女性を抱くことは出来ないって顔を真っ赤にしながら断ってらっしゃったよ。あれは間違いなく初物だねぇ」
そう言ってミランダはキシシと楽しそうに笑った。
「…………」
興味はあったものの、聞いてはいけない事を聞いてしまった感じに思えて私は……正直ほっとしていた。
そういうところにお世話になっていたら、今まで通りの目でグラジオスを見られなくなってしまう気がしたから。
「と、とりあえず情報を教えてください」
「ああ、そうだったね」
私は話題を変えてミランダを急かした。
ミランダによると、オーギュスト伯爵を含んだ貴族のほとんどは王城の中軟禁に近い状態にあるか不干渉を決め込んでおり、唯一ザルバトル公爵だけが私設兵を率いて、カシミールとの対決姿勢を顕わにしているとの事だった。
「え、あの太っちょな人がですか?」
いくら叔父とはいえカシミールを敵に回してグラジオスの味方をするなんて、ちょっと意外に過ぎる。
もっと世渡りの上手な人の印象があったからだ。
「そりゃあ、娘がグラジオス殿下の婚約者だからねぇ」
「え……?」
「だいぶ昔に婚約してたんだけど、最近までは嫌がってたんだけどね。でもグラジオス殿下が戦場から帰ってきて随分とイイ男になっただろ? そうなったら手のひらがくるんと回ったという事さね」
ミランダはそういうと実際にジェスチャーをしておどけてみせたのだが……。
私は何故か……胸が痛くてまともにミランダの顔が見られなかった。
でもそうだ。なんで私は気付かなかったんだろう。
王子なんだから、そういう相手が居て当たり前のはずだったのに……。
「あー……知らなかったのかい?」
「え、えっと。私……その……知らずにエマを焚きつけたりしてて……。あはは、悪い事しちゃったかなって」
私は胸の痛みを誤魔化すために、無理やり笑顔を作って見せる。
ミランダは私の顔をまじまじと覗き込んで、意味ありげにちょいと肩をすくめると、
「ま、そういう事にしておこうかね」
ため息混じりにそう言った。
それからミランダは、話は終わりとばかりに私に背を向け、調度品の掃除に戻る。
私はぐちゃぐちゃになってしまった頭の中を整理するため、ちょっとだけ長めに切りそろえている自慢の黒髪に手を突っ込んでかき混ぜ、深呼吸をする。
きゅっきゅという調度品を磨く音が響く中、私はしばらく沈黙して……気付く。
「すみません、ミランダさん。この情報って誰から手に入れたんですか?」
「お、話を続けられるかい?」
どうやらミランダは話を終えたわけではなく、私を待っていてくれたらしい。
私は内心で感謝しつつ、ミランダに頷き返した。
「ま、顧客の情報をバラすから、正直ウチの信用問題になりかねないはなしなんだけどね」
客から聞いた話であれば確かに噂として流すこともできる。しかし客本人の事となると話は別だ。
確かにそれなら金貨二枚では安すぎる情報と言えた。
「ザルバトル公爵様ご本人さね」
「はい?」
「今ザルバトル公爵はウチのシンシアにご執心でねぇ。自分がどれだけ凄いのかを自慢げに語ってくれるのさ」
「な、なんでそんな大事な事すぐに教えてくれないんですかー!」
私の大声を、ミランダは耳を抑えて受け流した後、不満そうに顔をしかめる。
「アンタたちがやって来たのが三日前。この話を聞いたのが昨日というか今日の夜。アタシがシンシアからこの事を聞いたのがさっき。これ以上ないくらいすぐに教えたと思うんだがねぇ」
「うぐっ」
確かに私達はここに駆け込んだ後、ひたすらオーギュスト伯爵と連絡を取ろうとしていたし、その手段を探って情報もオーギュスト伯爵とグラジオスの事ばかり集めていた。
ザルバトル公爵の動き何て全然知ろうともしていなかったのだから、教えなかったと非難するのは確かに筋違いだ。
私は素直に謝罪をしてから話を続ける。
「それでその~、ザルバトル公爵っていついらっしゃるのか分かりませんか?」
「ん~、三日空くことはないんだけどねぇ」
それでは遅すぎる。今グラジオスの命があるのは先王の国葬が一週間もかけて行われていたからに過ぎない。
グラジオスは本来いつ処刑されてもおかしくないのだ。三日後生きている保証はない。
「分かりました。ありがとうございます」
私は礼を言うと、一旦部屋に戻ってランドセルを引っ掴み、ミランダの前に戻ってくる。
「すみませんミランダさん。この近くで馬を売ってくれる人、知りませんか?」
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