第55話 私達の歌
歌詞は単語のはみ出しだったりズレがある。
歌詞に籠められた意味や思いだってまだ稚拙だ。
楽器の音がうるさくて、肝心の声が消えてしまうような所だってある。
粗は探せばいっぱいあった。
でも、そんな事を跳ね除けるくらいナターリエの歌は素晴らしい。
声の質が私と全く違うのだ。
私の声が、自然が生んだ荒削りの石だとしたら、ナターリエの声は磨き抜かれた宝石だ。
澄んでいて、ブレるところが全くなくて、遠くまで響き渡る。
私はこの世界に来て初めて、歌を教えるなんて約束をした事を強く後悔した。
「グラジオス」
「なんだ」
私はじっとナターリエ見ていてグラジオスの事など見ていない。
でも、グラジオスがナターリエから目が離せなくなっている事は感じていた。
「お願いがあるの」
「分かった」
私の願いを聞く前に、グラジオスが即断してくれる。
きっとグラジオスも私と同じ感情を持っているに違いない。
「歌おう」
「ああ」
嫉妬すれば、その次に私の中で沸き上がってくるもの。それは対抗心だ。
負けたくない。私は負けてない。
絶対、勝つ。
勝ち負けなんて誰が決めるのかは、本人しか出来ない事。
ナターリエに、今の私と同じ感情を持たせてやる。――これは、意地だ。歌姫としての、私の矜持だ。
そういう想いが私の中で渦巻いていた。
ナターリエの歌が終わった時、私は惜しみない拍手を送る。
私以外にも、ダンスをせずに彼女の歌に聞き惚れていた人は何人も居たようで、同じような拍手があちこちで起こった。
本来はダンスの添え物であるはずなのに、それだけ聞かせる力があったということだ。
「雲母」
「なに?」
グラジオスは私を床に下ろしながら、私の目を見て言う。
「お前の方が上手い」
「ああそう」
他人の評価なんか、私にはまったく響かない。
グラジオスが私を気遣って言ってくれたのは分かっている。それが本心だろうとお世辞だろうと、私には関係なかった。
それを決めるのは私と、ナターリエだ。
「ハイネはどこ行ったかな?」
「分からん。分からんが……む」
私よりも背のだいぶ高いグラジオスが、何かを見咎めて目を細める。
「おそらく、今ハイネがこの会場を出て行ったな」
さすが舎弟。私の事をよく分かってるじゃない。
今ハイネは楽器を取りに行ったはずだ。多分、エマとグラジオスの物もアッカマン商会の人たちと協力して持ってきてくれるだろう。
なら私達に出来る事は、武器が届いた時すぐに使えるよう準備しておく事だ。
「エマ、ごめん。私のために協力してもらえる?」
「もちろんですよ」
グラジオスの背後に控えていたエマにもお願いする。
ナターリエに確実に勝つための方法には仲間が必要だった。
「私も、歌を歌う者のはしくれとして意地がありますから」
「ありがと」
背後では、再びナターリエの歌が始まる。次も違う毛色の歌で、これも先ほどと同じ様に旋律取りがされている。
私は頭の中でナターリエを打ち砕く作戦を組み立てながら、仲間と一緒にハイネの消えた扉の方へと向かった。
演奏が終わった瞬間を狙って、私はナターリエに声をかけた。
「すみません、私達にも一曲演らさせてもらっていいですか?」
私以外全員の手には獲物が握られていて、既に臨戦態勢だ。お願いなんてものじゃないのは分かっているだろう。
これはナターリエの楽団への殴り込みみたいなものだ。
「は、はい」
それがナターリエ達にも通じたのだろう。彼女は緊張した面持ちで頷いた。
「皆さん、よろしいですよね?」
ナターリエが自らの楽団の方を振り向いて確認する。
少し顔をしかめる者、快く頷く者。様々居るが、こちらの手の内を知りたいと全員の顔に書いてある事は共通していた。
おそらくは今後ルドルフさまへの曲作りのために学ぼうとしているのだろう。
だから私は――わざと手札を晒してやる。
「皆さんの了解が取れましたので、どうぞ」
「ありがとうございます」
礼を言った後、私は楽器をエマに預けたグラジオスと共に大広間中央へ向かう。エマとハイネは楽団の横に、各々の楽器を設置し始めた。
普通、歌を歌う場合は少しでも響かせるために台に乗るか、すり鉢状になっている場所のもっとも低い位置に立つ。だが私達は歌を歌うというのに大広間の中央に、背中合わせになって立った。
そこに音響という意味でのプラスの効果はまったくない。
私達の型破りともいえる行動を不思議そうに見るナターリエ達を、そして再び私達が歌う事に興味を持った人々を聴衆にして、私『達』は歌い始めた。
――歌に形はないけれど――
バラッド調のこの曲は、とても静かに、ゆっくりと大切な人の事を歌い上げるボカロ曲だ。
この曲にはデュエット版の物がファンの歌い手によって作られている。
私とグラジオス、ちょうど男女二人が揃っているのだからこれを使わない手はない。そしてデュエットは、ナターリエ一人だけでは決して歌えない歌だ。
まずはグラジオスの歌声が響く。それをエマの奏でるハープが追いかけていく。
次は私が歌い、ハイネのドラムが静かに添えられる。
絡み合う二つの歌を中心に、演奏が仄かに混じっていった。
でもそれだけではない。私達の歌に、エマとハイネが更にコーラスをかぶせていく。
そう、私達は楽団全員で歌うのだ。
それぞれが一つの役目をこなして一つの音楽を形成するのではなく、全員がまじりあって一つの歌を歌いあげる。
それは先ほどナターリエ達の行った演奏とは全く違う、歌が奏でられていた。
私達の静かで優しい歌につられ、人々は自然に互いの手を取り合い、チークダンスを始める。
互いのパートナーと頬を寄せあい、体をしっかりと抱きしめ合って、ゆっくりと、ゆらゆら揺れる。
音楽に乗って、歌になって。
私達の歌が終わった時、拍手は一つも起こらなかった。
それどころか歌も音楽も、一欠けらの音すら大広間の中には存在しなかった。
それでも人々はダンスを止めず、ゆったりと揺蕩っている。
みんながみんな、自分たちの中で歌を奏でていたから。
私は背中にグラジオスの存在を感じながら、しばらく心の中の歌に浸っていた。
「こんな歌もあるんですね」
歌い終えた私達が楽団の元まで戻ると、ナターリエが悔しそうな表情をしながらそう言った。
それで私の溜飲は少し下がる。
互いに嫉妬し合ったのだから、今日の勝負は引き分けといったところだろうか。
「まだまだ色んなのがありますよ」
ゴスペルやケチャなんてのも音楽にはある。
アニソンのケチャはさすがにないけれど、ゴスペルはカバー曲ならあるのが凄いよねぇ。
アニソンの懐は深い。
「まだあるんですかぁ……」
そう言ってナターリエはため息をついた。
そんな簡単に追いつかせるわけにいかないという感情と、音楽を広めたいっていう心が私の中でせめぎ合う。
結局勝ったのは、
「後で教えますね」
後者だ。
最高の歌が歌いたい。その気持ちはよく理解できたから。
「ふふっ、楽しみにしてます」
「楽団の皆さんもいかがですか? 書き溜めた楽譜とかお見せしますよ」
「お願いします」
早速男性の一人が食いついた。一人が食いつけば、後はなし崩し的に全員が参加することになる。
今日眠るのは諦めた方が良さそうだった。
「皆さん、演奏を続けましょう」
とりあえずといった感じで、促された楽団員がゆったりとした曲を奏で始める。
先ほどのチークタイムの続きといったところか。
こうなるとナターリエの出番はほとんど無さそうだった。
とはいえゼロではないだろうけれど。
「じゃあ、馬車で待ってますから。皆さんには紙とペンにインクを忘れないようにって伝えておいてくれますか?」
「は、はい」
私はナターリエにそう耳打ちすると、楽器の手入れをするために仲間たちと会場を後にしたのだった。
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