第46話 貫く意志を
結局あの赤茶色の服を着た男が帰ってくることは無かった。
捕まっている状況であろうと思う存分歌えた事は、それはそれで楽しかったのだが、あの男に見せつけられなかったことは少々心残りかもしれない。
そして新しい朝が来た。
私は貰った毛布にくるまったまま目を覚ます。
思った以上に冷たい床は私の心も体力も、削り取っていったのだが、まだ私は抵抗する意志を失ってはいなかった。
板で雑に塞がれた採光用の窓からこぼれてくる朝の陽ざしに手を伸ばしながら、ぼんやりとした頭で今日はどうするかを考える。
「……うん、今日も歌おう」
昨日みたいにぶっ飛ばし続ける事は難しくても、休憩をはさみながらなら歌えるはずだ。
そう私が決意すると同時に扉が開き、あの男が数人の部下を引き連れて入って来た。
そして私を見ると、思い切り顔をしかめる。
「おい、コイツを縛り上げてないっていうのはどういう了見だ? しかも毛布までくれてやるとは何考えてんだ、おめえら。ここは宿屋じゃねえんだぞ」
「あ、いえ、それは……」
私と昨日盛り上がった部下の人達は、困り果てた様子でしどろもどろ返答している。
本来ならば、この男が帰ってくる前に毛布なども回収して元通り縛られた状態に戻る約束だったのだが、予想とは違う行動を男が取ったためその仕込みが出来なかったのだ。
「何よ。レディに対して男性が優しく振舞ってくれただけでしょ。ちっちゃい男ね」
「……チッ」
私の援護に対して男は舌打ちをすると、怒鳴り声を治める。
そうだ。部下の反感を買わないようにするためにも、これ以上怒鳴る事はできないだろう。
「次からはもっと厳しくしろ、いいな?」
「はいっ」
これから先、男は長く苦しい逃亡生活を続けながら私を逃がさないようにしつつ、部下の反乱や逃亡、裏切りを防がなければならないのだ。
ちょっとでも部下の心が私に傾けば、その後どうなるかは容易に察しが付く。
苦しい立場に追い込まれているのは男の方だった。
あーあ、私が傾国の美女ぐらい顔がよくって背がもう少し高くて胸があったらもっと簡単だったのになぁ……。
…………全部足りない、くそぅ。
「そういう事だから、すまんな姫さん」
「大丈夫、分かってるから」
部下の一人が手に持っているロープで私の手首をを縛り上げる。
昨日より緩めなのは気のせいではないだろう。
「おっと、足は縛るな。これから馬車に連れて行く。さっさとここをズラかるぞ」
私の手首から伸びたロープの端を男が握り、顎で扉を指し示す。
歩け、という事だろう。
私は軽く肩をすくめると、素直に歩き出した。
「財産の現金化が終わったんだ。それとも金とか宝石?」
「……お前も逃げ出したことがある様な口ぶりだな」
テレビドラマで見たことあるだけだけどね。
「気を付けなさいよ。それ奪われて逃げられたら終わりでしょ?」
私はわざと周りにいる部下に聞こえる様な声で続ける。
「そのお金を盗られても、貴方は取り返すことも復讐することも出来ない。再起だってできなくなるし、逃亡生活を続けることも出来なくなるから豚箱行きは決まった様なものでしょ」
男の足が、止まる。
見れば背中側からでも分かるほど、男の体から怒気が溢れ出していた。
それでも私の口は止まらない。次から次へと不安材料を男に、部下たちにぶつけていく。
「街道を避けるから、国境まで二、三週間くらい? それに国境を超える時もわざわざ山の中を行かないといけないよね。素人が山を越えるって出来るの? それに私、モンターギュ侯爵とは仲が良いし、あそこの兵士さん達にも顔見知りが多いから、賄賂も効かないと思うけど?」
「黙れ」
私の言葉を否定しない事が、男の中にある不安を表していた。
「ああ、海路ならもう少し楽かもしれないけど、そっちはすぐ封鎖されるんじゃない? 腐ってもグラジオスは王子だよ? それから、私はグラジオスを呼び捨てに出来るってこと、理解してる?」
「黙れっ!」
男はロープを強く引っ張って私を手繰り寄せると、顔に平手を叩きつけてくる。
でもそれは、私にだって分かる悪手だった。最善の手は、私の言う事を鼻で笑って相手にしない事だったろう。
過剰に反応しすぎてしまったことで、私の言葉は真実味を増し、部下に要らぬ恐怖を植え付けてしまう結果になってしまった。
私は男を睨みつけると、今度は部下の説得にかかる。
彼らは元々犯罪者ではない。だから説得の見込みは十分にあった。
「貴方は無理だろうけどさ、みんなは私に優しくしてくれたし毛布もくれた。グラジオスに頼んで罪を軽くしてもらう事も出来る。ううん、約束するよ。だから解放して」
「おいお前ら、このガキにさるぐつわを噛ませろっ! それが終わったら全身縛り上げてから箱にでも突っ込んでおけっ!」
「……オ、オルランドさん」
「早くしろっ!!」
男――オルランドは、不安顔の部下を叱り飛ばすと、再び同じ命令を繰り返した後、憎悪に染まった目を私に向ける。
「今度くだらんことを言えば、殺す」
これは脅しでなく本気だろう。これ以上追い詰められればこの男は暴発しかねなかった。
私はとりあえず言われた通りに口をつぐんでおく。
不安の種は蒔かれ、天秤は完全に私の方へと傾いた。しかし、それによって新たな危険が生まれてしまった。
私は素直に男の後をついて階段を上がり、外に出る。
そこには大型の馬車が停められており、二頭の馬が繋がれていた。
「準備はいつでも出来ています!」
御者台に乗っていたロイドが、オルランドへ向けて大声で知らせる。
オルランドはそれに一声返した後、
「お前はコイツが入りそうな木箱を探して持ってこい! お前は早く縛れ! ぼさっとすんじゃねえ!!」
慣れた様子で部下たちに指示を出した。
だが部下たちの反応は鈍い。私の言葉がよほど効いたのか嫌々ながら命令をこなすために散っていく。
「ったく」
オルランドがため息をつきながら、私から伸びるロープの端を手に巻き付けた時だった。
木箱を探してくる様に言われた部下の一人が曲がり角を曲がった瞬間。
「おっ、お前ら誰だっ!」
泡を食った様な声を上げる。
それと同時にそこかしこから轟く様な声が響き渡ると、皮鎧を身に纏った騎士や兵士が私達の所になだれ込んで来た。
抵抗する間もなく部下たちはその流れに飲み込まれ、捕らえられていく。
そんな中、オルランドの反応は早かった。こうなる事を予期していたのかもしれない。
私を手元に引き寄せると、腰元から引き抜いたナイフを私の首筋に突き付け、私の体を盾にする。
「近づくなっ」
私達の周囲を、兵士たちが十重二十重に取り囲んでいく。
何があってもこの包囲網を脱出するのは不可能だろう。
「抵抗を止めて雲母を離せ」
聞き覚えのある声がオルランドに最後通牒を突き付ける。
一日ぶりでしかないと言うのに、私はその懐かしさと安心感から涙が零れそうになっていた。
いや、自分では気づいていなかったけれど、もう私の両目からは涙が溢れ、まともに彼の姿が見えなくなってしまっている。
「グラジオスッ」
「雲母、今助ける」
「うん、うん……。ごめんね、ごめんね」
「泣くな、馬鹿」
久しぶりに聞く彼の罵倒は私の胸に染み込み、深い安らぎを与えてくれる。
まだ助かってもいないのに、私は全身から力がぬけてしまうのを感じた。
「くそっ、しっかり立てっ」
「抵抗は無駄だっ! 雲母を離せ!」
「うるさいっ、俺から離れろっ! コイツを殺すぞっ!!」
オルランドが突き付けたナイフが私の首筋を浅く傷つけ、赤い涙を流す。
オルランドだってもう分かっているはずだ。どんなことをしても、ここから逃げ出す事が不可能だって。
「くそっ、なんでこんな事にっ……。何でバレたっ」
そんな絶望に染まったオルランドの独白に、
「俺が警吏に通報しました」
兵士たちの輪の中から進み出たロイドが答えた。
ロイドの裏切りを知ったオルランドの手が震えだす。
傍から見ても、一番忠誠心が高そうなロイドが何故真っ先に裏切ったのか、私にも理解できなかった。
「なんで……お前が?」
「もうやめましょうよ。俺らは商人です。盗賊とは違うんです。こんなことしたら、胸張って商人名乗れませんよ」
「……馬鹿野郎っ! んな甘い事言って生き残れるかっ!! 金が稼げるかっ!!」
「アッカマンの野郎がナイフ使って人を攫いましたか? そんな事するところにまで追い詰められた時点で無理なんですよ。あの時大人しくヤツの軍門に下るべきだったんです」
「そんなふざけた真似が出来るかっ! 俺は……俺は……」
オルランドの怒りが増し、それにつられるようにしてナイフはより強く押し付けられる。
もうあとほんの少しでも力が籠れば、私の命はなくなってしまうかもしれなかった。
その恐怖で私は指一本だろうと動かせなくなってしまう。
息を殺して、僅かでもいいから幸運が舞い降りることに賭けるしかなかった。
「商人としての矜持があるならすべきだったんです。俺は、ソイツに教えられましたよ。ソイツはどんな時でも歌姫としての矜持を忘れず歌い続けた。俺らも、どんな時でも商人であるべきだったんです」
「矜持だと? それに何の意味がある。それが銅貨一枚の価値でもあるのか? 金稼ぎの邪魔なだけじゃねえか!」
「結果貴方は商人ですらなくなったじゃないですか! 今のあなたに金が稼げますか?」
「それ……は……」
オルランドが迷い、一瞬だけ、ナイフが私の首から離れ……。
「雲母っ! しゃがめっ!!」
どうやらロイドとの会話中、グラジオスはじりじりと近づいていたらしく、思ったよりも近い位置から彼の怒鳴り声が上がる。
私は言われるがままに全身の力を抜いて、地面へと転がった。
「姉御はこっちっす!」
即座にハイネの手が伸びてきて兵士の囲いの中へと引きずられていく。
そんな私と入れ替わる様にグラジオスとロイドがオルランドに組み付く。
グラジオスは胴を、ロイドがナイフを握っている腕をそれぞれ抑える。
「くそっ」
だが、オルランドは空いている方の手でナイフを握り直し、
「せめてお前だけでもっ」
グラジオスの肩口めがけて振り下ろした。
それをグラジオスはギリギリで察し、腕を上げて防ぐ。
だが勢いを殺しきれなかったナイフは、グラジオスの頬を浅く裂いた。
「殿下をお守りしろっ!!」
一瞬の後に追いついた兵士たちがオルランドの腕をねじり上げる。
怯んだオルランドの上に、更に多くの兵士たちが積み重なっていき……この騒動はようやく終わりを迎えた。
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